第12話 ヒレカツ丼食うか?

 憲兵隊庁舎の二階にある取調室は、簡素な机がひとつ、椅子がふたつ置かれた小さな部屋だ。

 扉は鋼鉄製で簡単に破れそうには見えない。窓枠には鉄格子が嵌め込まれ、ここからの脱出は困難だろう。


 そんな殺風景な部屋のなか、三十前の男と少女ふたりが向かい合って座っている。

 男は机に乗り出すような態勢で、少女は手を膝の上に乗せ俯いていた。

 そこに甘い雰囲気は微塵もない。


「テバレシアの王女様が、エインズ区長にいったい何の用だ?」


 エインズ殺害容疑で連行されたアスカは、憲兵隊庁舎の取調室のなかで取り調べを受けていた。


 アスカの正面で、金髪スパイキーヘアの男が脚を組んで椅子に腰かけている。グリフォンの階級章をつけたこの男は、憲兵隊長だった。名前はキリアンというらしい。その彼による直々の取り調べである。


「ゴウマとテバレシアの今後の関係について、話し合うためよ」


「話し合いだと? 殺しに来たの間違いだろっ! ああん?」


「殺してどうするの? ワケが分からないわ」


 しばらく、ふたりの間でこのような堂々巡りの尋問が続いている。

 すでに、取り調べは長時間にわたっていた。


 やや恫喝気味の取り調べにも、アスカは動じることなく対応している。


 むしろ、アスカに尋問を行っている憲兵隊長キリアンの方が苛立った様子だ。

 わざとらしく深いため息を吐いたり、頭をガリガリ掻いたりしている。


「俺たちが踏み込んだ時、あの部屋にいたのはお前だけだ。そこにエインズ区長の遺体があった」


「言ったでしょう? わたしが部屋へ入ったとき、すでにエインズ区長は死んでいたの」


 キリアンが腕組みをして、首を左右に振る。

 彼はため息を吐いてから、新たな事実をアスカに突き付けた。


「ちなみに、お前が殺したところを目撃したという証言もある」


「は?」


 アスカは、首をこてりと傾けた。


「あるお方から頂いた証言さ。お前がひとりでエインズ区長の部屋へ入った後、部屋から叫び声が聞こえたそうだ。おそるおそるドアの隙間から見ると、お前がエインズ区長を剣でメッタ刺しにしていたと」


 明らかに、その人物は嘘をついている。だいいち、ファブレガスを伴って行ったのだ。つまり、その人物はアスカたちの姿すら見ていない。


「じゃあ、その人が嘘を言っているのね。どうしてかしら?」


「おい、言葉に気を付けろ、王女様。ここはテバレシアじゃねぇんだよ! そのお方はな、いち憲兵から区長にまでなった俺たちのレジェンドだ。その方が、お前の犯行を見たと言ってるんだ」


 理由は分からないが、アスカがエインズ区長を殺害したなどという出鱈目な証言をしたのは、どうやらゴウマの区長らしい。


「お前は、エインズ区長を殺しに来たんだろ? あの方は、テバレシアにとって邪魔な存在だからなぁ。そしてジャニス議長の秘書を騙し、エインズ区長とあの部屋で会う約束を取り付けて殺した。そうなんだろう?」


 アスカは頬杖をつきながら、呆れたような、困った子を見るような目で憲兵隊長キリアンを見ていた。


 キリアンはアスカの前に一枚の羊皮紙を差し出した。


 羊皮紙には、アスカがエインズ区長を殺害したこと、アスカがその旨認めたこと、以上相違ないこと、が書かれている。拇印させるためか、一番下は空白になっていた。


「ほれ、この書類にポポンと拇印してよ、さっさと終わらせようぜ。な?」


「顔に似合わず、物語を作るのが得意なのね。憲兵なんか辞めて、ラノベ作家にでもなれば?」


 アスカの言葉を聞いたキリアンは、まるで世界が終わりを迎えたかのような悲し気な表情になった。そして、目を剥いてアスカに怒鳴った。


「うるせえっ! そっちがダメだから、憲兵になったんだよぉぉ!」


 心の叫びにも似たキリアンの言葉を聞いたアスカは、手で口を塞ぎながら瞬きした。

 偶然にもアスカの言葉は、彼の「最もやわらかい部分」を直撃してしまったらしい。


「ご、ごめんなさい」


 上目遣いで、心底申し訳なさそうにアスカは謝罪した。

 キリアンは、ふてくされた表情で頬杖をつく。


「ったく」


 天井を見上げながら、キリアンはしばらく指で机を叩いていた。

 時折、チラチラとアスカの方へ視線を向ける。


 アスカは無言で、じっと机の縁を見詰めていた。

 ふたりの会話が止まり、時間だけが過ぎていく。


 そうして、どのくらいの時間が過ぎただろうか。


 キリアンは大きくため息を吐くと、アスカの方に顔を向けた。


「腹が減っただろ? ヒレカツ丼食うか?」


 アスカがチラっと視線を上げる。

 キリアンと視線が合う。


 キリアンは唇の端を上げた。


 これまで彼が幾度となく被疑者を仕留めてきた奥の手。

 キリアンは、この一言で一介の憲兵から憲兵隊長にまで上り詰めた。


 が、


「いらないわ」


「なっ!?」


 アスカに素気無く断られた。


 キリアンは信じられないといった表情で、わなわなと身体を震わせている。


 アスカにとっては認める必要もない罪だ。むしろ濡れ衣である。

 ヒレカツ丼くらいで落ちる筈はなかった。


「キリアン隊長、よろしいでしょうか?」


「おう、入れ」


 彼の副官らしき男が取調室へ入って来て耳打ちする。

 キリアンは、口角を上げて頷いた。


「アンタの剣にエインズ区長の血が付着してたってよ。動かぬ証拠だよなぁ。ええ?」


「は? どういうことかしら? 何度も言うけれど、わたしにはエインズ区長を殺す理由がないわ」


「じゃあ、なんでエインズ区長は、あの部屋で死んでいたんだ?」


「それだって何度も言ったでしょう? わたしが知るわけないじゃない。わたしはエインズ区長に会うために、あの部屋へ行っただけよ? 悪いのは耳? それとも頭かしら?」


 キリアンは両手で机を叩いた。ダァンという音が取調室に響く。

 そして彼は立ち上がり、アスカに掴みかかった。


「ロバート区長が見たと証言して下さったんだ! エインズ区長を殺ったのは、アンタしかいねぇんだよっ!」


 ロバート区長は、いち憲兵からゴウマの区長に上り詰めた立志伝中の人物である。そのため憲兵隊に強い影響力を持っていた。

 憲兵隊長のキリアンに虚偽の証言をしたのは、彼のようだ。


 襟首を掴まれているアスカはキリアンからそっと視線を外して、これ見よがしにため息を吐く。


「ああ、悪いのは頭だったのね」


 薄ら笑いを浮かべて、そう呟いた。


 その直後、パァンという音が取調室に響く。

 逆上したキリアンが、アスカの頬を平手打ちした。

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