第3話 卒業祝い

「お城! わたし、自分のお城が欲しいですわ、お父さま」


 ――時は、すこしさかのぼる。

 冬が終わりを告げ、春のやわらかな日差しを受けて花の蕾が膨らむ季節となった。


 ある日、テバレシア王国第二十代国王フリードリッヒ・テバレスは、自室に王女アスカを呼んだ。彼女が通学する王立学園の卒業祝いに、なにが欲しいか尋ねるためだった。


 アスカは来年のいまごろ、六年の課程を終え王立学園の卒業を迎える。品物によっては、手元に届くまで時間を要する場合もある。いまのうちに彼女の希望を聞いておかなければ、卒業に間に合わない。


 サプライズ・プレゼントも考えていたけれど、裏目に出て微妙な顔をされるのは悲しい。ならば、あらかじめ欲しいモノを聞いておいた方が良いだろう。


 そんな父親としての配慮だった。


 焦げ茶色の頭髪を刈り込んだ精悍な顔立ちのナイスミドルが、琥珀色の瞳を向けて娘の答えを待っている。


 アスカは、顎に手をあててしばらく考えこんでいた。やがて彼女が口にした答えは、フリードリッヒの想定をはるかに超えたものだった。


 リヒトラントの地にある廃城「リヒトラント城」をねだったのである。


「あの城を欲しいと言うのか?」


「ええ」


 アスカは、こてりと首を傾け笑顔で答える。まさかの「おねだり」に、フリードリッヒの思考はフリーズした。


 なにかの冗談だと思いたい。けれども、その表情を見る限りアスカは本気だろう。これなら、サプライズ・プレゼントの方がマシだったかもしれない。


「オバケ屋敷が欲しいとは、姫様モノ好きっ」


 王の側に侍る宮廷道化師のガーラが、大きな丸い目を開きおどけて見せる。


 このガーラという宮廷道化師は、あるとき国王フリードリッヒが連れてきた正体不明の人物だ。ピエロメイクをしているため、国王以外に彼の素顔を知る者はいない。出自、年齢も判らない。


 青いアフロのウィッグを被り、ひらひらと波打つフープの襟がついた白いシャツを着ている。下は紺と白のストライプが入ったテカテカのブーツカットパンツ。反り上がった爪先がくるんと巻いた黒い靴を履いている。


「べつにモノ好きじゃないわ。自分のお城があったら、素敵じゃない?」


 アスカはガーラに笑顔を向けて、そんなことを言っている。国王フリードリッヒは困り顔でアスカを諭した。


「アスカ、あの城はダンジョン化しており、魔物の巣窟になっているのだ。首飾りあるいはドレス、ブレスレット、指輪、宝石でもよい。他の物にせぬか?」


 アスカが「おねだり」したその城は、二百年ほど前、テバレシア王国によって攻め滅ぼされた「リヒトラント王国」の王城である。当時は勇壮で美しい螺旋の城だったという。

 しかしこの城は、なぜかそのまま放棄された。


 廃城は、魔物たちにとって格好の住みかとなる。

 美しい螺旋の城も、やがて魔物たちが住み着いてダンジョン化してしまった。噂によると、黄金の髑髏をもつ骸骨騎士(スケルトンキング)がダンジョンの主となっているらしい。


 そして最近では、リヒトラント城を根城にするゴブリンやホブゴブリンの集団が出没し、近隣住民や街道を利用する商隊を襲うなどして、深刻な被害をもたらしていた。


 もちろん、テバレシア王国もそのような事態を放置していたわけではない。

 定期的に討伐隊を組織して、魔物の駆除にあたっている。


 しかし、魔物討伐に多くの兵を割くことができず、街道や村に現れる魔物たちを駆除するにとどまっていた。


 その主な理由は、テバレシア王国と隣国のウェルバニア王国との国際関係にある。


 百年以上も前から両王国は犬猿の仲で、これまでにも度々武力衝突を繰り返してきた。

 このためテバレシア王国は国境付近に多くの兵を配備しなければならず、国内の魔物討伐に兵を回す余裕はなかったのである。


 リヒトラント城周辺に出没する魔物の問題は、フリードリッヒの悩みの一つとなっていた。


「あの城の現状は、わたしも知っております。わたしが魔物を討伐いたしましょう。ですから、あの城を下さいませ」


 年頃の娘が欲しがるような物に、なぜかアスカは興味を示さない。いったい、なにを考えているのか。なんとも微妙な表情で、フリードリッヒは自分の娘を見ていた。


「近隣の民も安心して暮らすことができるうえに、お城が手に入るのですよ。良いことばかりではありませんか。お父さまだって嬉しいでしょう?」


 もっともらしい理由まで。


 そして誰に似たのか、言い出したら聞かない娘である。

 さらに、フリードリッヒはアスカの「おねだり」に弱かった。


 アスカは、幼くして第二王妃だった母親クラウディアを亡くしている。それは彼女が八歳になった日、すなわち彼女の誕生日のことだ。

 クラウディアが故人となった後、フリードリッヒはアスカにあまり構ってやることができなかった。父親でもあるけれど、国王としての立場もあったからだ。


 当時、テバレシアは隣国ウェルバニア王国の侵攻を受けていた。このためフリードリッヒは、政務にかかりきりになってしまったのである。


 さらに、彼にはアスカのほかに第一王妃、第三王妃との間にも子供がいる。王妃たちは有力貴族の娘だ。夫婦、親子というだけでなく国王として、政治的な関係から二人の王妃とその子供たちにも心を配らねばならない。


 そんな事情もあって、フリードリッヒはアスカに寂しい思いをさせたことを気にしていた。

 せめて「おねだり」くらいは、叶えてやりたかったのだろう。アスカが欲しいとねだったものは、なんでも与えてきた。もっとも、アスカは物欲に乏しい王女だったが。


 フリードリッヒは、しばらく目を閉じたまま顎を撫でていた。やがて大きく深呼吸をすると、目を開いてアスカに言った。


「わかった、行ってこい。見事、魔物どもを討伐したら、城はお前にくれてやろう」


 その言葉を聞いたアスカは、ぱあっと満面の笑みを見せた。きらきらとエメラルドグリーンの目を輝かせて、フリードリッヒを見ている。


 なんとフリードリッヒは、魔物討伐を条件にリヒトラント城を与えると約束した。その言葉を聞いて、周りにいた側近たちの誰もが驚愕している。無理もない。王女を魔物討伐に派遣するというのだから。


「そうだな、護衛は、お前の親衛隊を……」


 どうやらフリードリッヒは、アスカ直属の親衛隊を率いて行けば問題ないと考えたらしい。さすがに、年頃の娘をひとりダンジョンに潜らせるわけにはいかない。しかし、彼の言葉が終わらないうちにアスカが口を開く。


「それは、結構ですわ」


 きっぱりと拒否。


 アスカの親衛隊は、国王が自ら選りすぐった総勢二十名ほどのイケメン騎士たちである。けれどもアスカは、彼らを連れて行かないという。


「しかし、ダンジョンだぞ? いくらお前でも一人では手に余ろう」


 娘の身を案じる父親の言葉としては、奇異に聞こえるかもしれない。

 じつはアスカ、その可憐な姿からは想像できないが、テバレシア王国でも指折りの剣豪だ。


 アスカの母親である故第二王妃クラウディアは、武芸に通じた女性だった。アスカも幼少の頃、彼女から剣の手ほどきを受けたことがあった。


 クラウディアが他界した後、アスカは本格的に剣の稽古を始めた。亡き母クラウディアから教えられたことを思い出しながら、国王の親衛隊の訓練に混じって、日々、鍛錬に汗を流した。


 はじめのうちは剣の握り方が悪かったのか、手の皮が剥けてしまうこともあった。それでも彼女は、けっして泣き言を言わなかった。


 なにかに憑りつかれたように、毎日、毎日、剣を振り続けた。


 そんなアスカを見守っていた親衛隊長は、ある日、彼女に一言だけアドバイスした。


「腕だけで、剣を振っていますよ」


 親衛隊長の言葉を聞いたアスカは、しばらく顎に手を当てて考え込んでいた。その後、彼女はふたたび剣を振り始めた。

 しかし、その動きは修正され、見違えるほどに鋭く早く力強いものになっていた。


 親衛隊長は、そんな彼女の姿に目を見張った。


「……アスカ様には才能がある。二百年前の剣聖王ルリ様の再来かもしれない」


 剣聖王ルリは、約二百年前にリヒトラント王国を滅ぼし、今日のテバレシア王国の基礎を固めたテバレシア王国国王である。


 彼も、見よう見まねで剣を振り始め、腕の立つ者から一言アドバイスを受けだけで、剣聖と呼ばれるまでに急成長したと伝えられている。


 こうしてアスカの才に気づいた親衛隊長をはじめ腕の立つ者たちが、面白がって彼女に手ほどきを始めた。

 アスカは真綿に水が沁み込むように、彼らの教えを吸収し急成長していく。


 親衛隊長たちがすべてを教え終わった後、親衛隊内でアスカよりも腕の立つ者はいなくなっていた。

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