第15話 サンタンデルの娘
ゴウマから王都へ戻ったアスカは、早速、侍女のレイチェルを花の宮殿へ遣いに出した。
王太后ミランダに会談を申し入れるためである。
レイチェルには、会談を申し入れる手紙にゴウマから持ち帰った協定案の写しを添えて託けた。
二日後、花の宮殿でアスカとミランダは会談することになった。
アスカはファブレガスとレイチェルを伴って、花の宮殿を訪れた。
「いらっしゃい、アスカちゃん」
ミランダは客間でアスカを出迎えた。
護衛騎士のファブレガスが、くるくると巻かれた敷物を抱えている。
「あら、そちらは?」
「おばあさまへのお土産です」
「まぁ、何かしら?」
ミランダは興味深そうに水色の瞳を輝かせた。
「失礼いたします」
ファブレガスが床に敷物を広げ、レイチェルが中央に描かれた魔法陣に火属性の魔力を流した。リースも顎に手を当てて、まじまじと敷物を見詰めている。
「春になったとはいえ、まだ寒い日もあるでしょう? これを敷いて魔力を流すとお部屋が温まるという魔導具です」
これはアスカがゴウマの魔導具店で見つけたものだ。
その名も「ほかほかあったかカーペット」。
魔力を流すと暖気を逃がさず冷気を通さない魔力壁を展開。さらにカーペットが発熱して部屋を暖めてくれる。
「本当! 暖かくなったわ」
「すごいですね」
ミランダと執事のリースはは目を丸くして、部屋のなかを見回した。
「アスカちゃんは優しいのね。ありがとう」
ミランダは首を傾けて、嬉しそうに目を細めた。
「それで、本日は『ゴウマ』の件について、ご報告に伺いました」
アスカは席に着くなり本題に入った。会話の主導権を手放すと、ミランダの長話が始まってしまうからだ。
「聞きましたよ。なんでも、ペンドラ派の過激グループがゴウマへ兵を差し向けたそうね」
城攻めをするには少なすぎるとはいえ、二千五百もの軍勢を動かしたのだ。
その報せは王都の貴族たちの耳にも入っていた。
「ペンドラ派の過激グループですか?」
王都ではペンドラ侯爵が指示したのではなく、彼の派閥の貴族が独断で行動したかのような話になっているようだ。
「ええ。ウェルバニアとの国境を護っていた軍勢の一部が、交代の際にゴウマへ立ち寄り攻めたとか」
テバレシアとウェルバニアとの間の国境警備は、周辺の領主と国王直属の兵が交代で行っていた。ゴウマを攻めたマーカス・フラー将軍は、国境警備を国王軍へ引継ぎをした後、その帰りにゴウマへ攻め入ったという。
アスカは差し出されたティーカップに視線を落とした。
――どこの軍勢を動かしたのか疑問だったけれど、そういうことだったのね。
「それでね、そのペンドラ軍を撃退したのがアスカちゃんだって聞いたのだけれど、まさかねぇ、そんなわけないわよね。うふふふふ」
アスカは視線をミランダに向けた。
「そのまさかですわ、おばあさま。ペンドラ軍を追い払ったのはわたしです」
アスカの言葉を理解できず、ミランダはしばらく固まっていた。
我に返ると首を左右に振って言った。
「? ワケがわからないわ、アスカちゃん。おかしな罪を着せられてゴウマの牢に投獄されたのでしょう? マーカス将軍は自領へ帰る途中、それを知って激高し、あなたを取り返すためにゴウマへ攻め入ったと言っていたわ」
まぁ、言い訳するならそういう話をするだろう。事実は、アスカの姿を見てもゴウマへ攻め込もうとしたのだが。
おそらく、マーカス将軍はアスカが生きていようと処刑されていようとゴウマを攻める気満々だった。穿った見方をすれば、どさくさに紛れてアスカを消すつもりだったかもしれない。
本音を隠し、事実に嘘を織り交ぜながら自分たちに都合のいい話を作っていたようだ。
「あらぬ疑いにより、投獄されたのは事実です。マーカス将軍……、いえ、ペンドラ侯爵はそこに付け込んだのです。わたしは、すぐに無実と判明し解放されました。それでもなお、彼らはゴウマへ攻め入ったのです」
ミランダとリースは、目を丸くして顔を見合わせた。
「ですが、アスカ様。そこから、どうして貴女がペンドラ軍を追い払ったという話になるのでしょうか?」
ミランダの側に控えていたリースが尋ねる。
たしかに、あのときゴウマにいなかった者にとっては、ワケの分からない展開だ。
「じつは、未だによく分からないのですが、ゴウマの区長たちによると、わたしは彼らの『主』なのだそうです」
「主?」
リースが怪訝そうな表情で尋ねる。
床にティーカップが落下し、陶器の割れる音が客室内に響いた。
ミランダがティーカップを離した手をわなわなと震わせている。
「おばあさま?」
「ミランダ様?」
アスカとリースの言葉が耳に届いていないのか、俯き加減のミランダは視線を彷徨わせている。
アスカに背を向けると、悲痛な表情で額に手をあてて、首を左右に振った。
「そ、そんな。どうして? どうして、そうなるの?」
肩を震わせながら、小さな声でミランダは呟いた。けれどもその声は、アスカの耳には届いていない。
しばらくの間、アスカはミランダの丸くなった背中を見詰めていた。
「どういたしますか? 本日のところは、お帰りいただくことにいたしますか?」
心配そうに執事のリースがミランダに声をかける。けれどもミランダは、首を横に振るだけだった。
やがて肩の震えが止まると、ミランダはゆっくりと顔を上げた。
ようやく落ち着きを取り戻した彼女が、アスカの方へ向き直る。
取り繕うような笑みを浮かべて、アスカに視線を向けた。
「取り乱して、ごめんなさいね。アスカちゃん、いまの話は絶対に口外しないと約束してちょうだい。フリードリッヒにも言ってはダメ。いいわね?」
最後の言葉を口にしたとき、ミランダの笑みは消えていた。ほんの一瞬だが、深刻そうな表情さえ見せた。
「あの、おばあさまは何かご存じなのですか?」
「……ごめんなさい。今は私も混乱してしまって。そのお話は別の機会にいたしましょう」
「わかりました」
「それから、事前に届けていただいた協定案を見せてもらったわ」
「いかがでしょうか?」
「テバレシア国民に対する入都税の撤廃とリヒトラント城修繕の賦役等の条件は良いわね。でも、これを考えたのはアスカちゃんじゃないでしょう?」
「……はい。ゴウマの最長老ヨゼフ区長の発案です」
「うふふふ。懐かしいお名前ね。お元気にされてたかしら?」
「ご存じだったのですか?」
「あの方はね、昔、王立学園の先生だったのですよ」
ころころと笑いながら話すミランダとは対照的に、アスカは大きく目を見開いた。
「えええ!?」
「私と貴女のおじい様は、あの方から魔法や政治学を教えてもらったの。ほら、この前に来たとき、お庭にジェンティアナのお花が咲いていたでしょう? あの青いお花もヨゼフ先生が卒業祝いにと贈って下さったものなのよ」
このとき、アスカは完全に油断していた。しまったと思ったときには、もう遅い。そう。老人が昔話を始めると止まらない。
ここから小一時間ほど、彼女はミランダの昔話に付き合うハメになった。
「ロイドは、とうとうその野良猫を追い駆け始めたの。それでね……」
以前に来たときにも聞かされた話が始まっていた。
「あ、あの、おばあさま。ゴウマの件ですけれど……」
たまらず、アスカが話題を戻す。
「あら、そうだったわね。ふふっ、ヨゼフ先生のお名前を聞いたものだから、つい思い出してしまって」
ミランダの視線が、まっすぐアスカに向けられる。アスカは背筋を伸ばして、ミランダの答えを待った。
「アスカちゃん。思っていたのと少し形はちがうけれど、わたしが出した課題を見事成し遂げたと認めます。リヒトラント城の件、お任せなさい」
「ありがとうございます。おばあさま」
ミランダの言葉を聞いたアスカは、エメラルドグリーンの瞳を潤ませて晴れやかな笑顔を見せた。
「最後に、もう一つ課題を出します」
「え?」
「王立学園の夏休みに、ここへ遊びに来ること。いいわね?」
そう言うと、ミランダは悪戯っぽくウィンクした。
「はいっ」
その後、アスカとミランダは夕暮れ時まで、お茶とおしゃべりを楽しんだ。
アスカがミランダの思い出話をたっぷりと聞かされたのは言うまでもない。
帰り際にアスカと抱擁を交わして別れ、夕食を取った後、ミランダは私室に籠った。
「ルーカス、ごめんなさい。ルーカス……、まさか、こんなことになるなんて」
ロッキングチェアに腰かけて、繰り返しそう呟いて涙を溢した。
「けれど、テバレシアを二百年前のエーテルナやリヒトラントの二の舞には……しない。絶対にしないわ」
ひじ掛けを握りしめ、悲痛な表情で天井を見上げる。
ルーカスとは、サンタンデル公爵家先代当主の名である。故第二王妃クラウディアの父であり、アスカにとっては祖父にあたる人物だ。
ふと、アスカの笑顔を思い出した。
可愛らしい孫娘の笑顔だ。
その彼女が「おばあさま」と声をかける。
やはり、会わなければ良かった。
会うべきではなかった。
涙が溢れて、ミランダの視界が歪む。
ロッキングチェアのひじ掛けを掴む彼女の手が震えている。
「アスカちゃん。あなたが、サンタンデルの娘でなければ良かったのに……」
ミランダは瞼をきつく閉じた。彼女の頬を涙が伝う。
後日、テバレシア国王フリードリッヒは貴族たちの前で、王女アスカ・テバレスが王立学園を卒業後、彼女に「リヒトラント公」の称号を与え、国王の名代としてリヒトラントの地を治めることを発表した。
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