第二章 まつろわぬ魔導都市

第1話 クルミ入り焼き菓子とリヒトラント城

 アスカがリヒトラント城の制圧を王城で報告してから、約一週間が経過した。


 その日、アスカは国王フリードリッヒから王城へ来るよう呼び出された。

 美味しいお茶とお菓子を用意して待っているという。お茶会のお誘いのようだ。


 昼過ぎに、アスカは護衛騎士のファブレガスと侍女のレイチェルとともに王城を訪れた。


 王城へやって来たアスカたちが国王の側仕えに案内されたのは、フリードリッヒの私室。

 部屋には、フリードリッヒのほか彼の側近たちと宮廷道化師のガーラがいた。


 アスカは促されるままに席に着くと、給仕役の側仕えたちが白地に赤や黄色の薔薇を絵付けしたティーカップに紅茶を入れ、焼き菓子を盛りつけた皿を彼女に差し出した。


 アスカは焼き菓子を見るなり、エメラルドグリーンの双眸を輝かせた。

 サクサクした歯触りの焼き菓子で、クルミを混ぜ込んでいる。彼女の好きな焼き菓子のひとつだ。


 アスカは甘い香りを静かに吸い込むと、小麦色の焼き菓子に手を伸ばした。

 焼き菓子を口にした彼女が、笑みを溢す。


 その様子を見ながら、フリードリッヒは話を切り出した。


「今日、お前を呼んだのは他でもない。リヒトラント城の件だ」


 フリードリッヒの言葉に、アスカは首を傾げて瞬きしている。


 アスカが制圧したリヒトラント城は、ペンドラ侯爵の奏上により第一王子エドワードに与えられるというのが大方の理解だった。アスカも同様に考えていた。


「卒業祝い」にお城が欲しいと言ったけれども、それは父である国王フリードリッヒへの感謝のしるしだ。どうしても、お城が欲しかったというワケではない。


「お兄さまに、お任せするのでは?」


「あれ、あれぇ? オバケ屋敷を欲しいと言ったのは、姫さまじゃない」


 アスカの隣に座っていた宮廷道化師のガーラが、彼女を下から覗き込むようにして言った。


 彼の手が、アスカのために出された皿の上の焼き菓子に伸びている。

 ガーラはその焼き菓子を、ひょい、ぱくっと、口に入れてサクサクと咀嚼した。


「ふえっ!? あ、ああっ……」


 目の前で起きたあっという間の惨劇を、アスカは見ていることしかできなかった。


 ふるふると肩を震わせながら、彼女は涙目で隣のガーラを睨む。すました顔で、ガーラは口の中のモノを呑み込んだ。


 ゴホンと、フリードリッヒが咳払いをして話を戻す。


「……あの城は『卒業祝い』だった筈だ。エドワードに与えては、お前との約束を果たすことができん」


 その言葉を聞いたアスカは、視線をフリードリッヒに戻した。きょとんとした表情で、彼の顔を見つめている。


 隣に座るガーラの魔手が、ふたたびアスカの皿に迫る。


 どうやら貴族たちが何と言おうと、フリードリッヒは約束通り「卒業祝い」としてアスカにリヒトラント城を与えるつもりらしい。


 言葉の意味をようやく理解したアスカは、じわっと胸に込み上げるものを感じていた。


「お父さま……」


 アスカはフリードリッヒに向けた瞳を潤ませている。

 彼女の左手が、ぺちっとガーラの魔手を撃退した。


「だが、ペンドラの奏上があったであろう? あの男の意見も無視はできない」


 王城でリヒトラント城制圧の報告をしたさい、ディーター・ペンドラ侯爵はリヒトラント城をアスカではなく第一王子エドワードに与え、「リヒトラント公」にしたうえで彼の地を治めることを奏上した。


 ペンドラ侯爵家は、二百年ほど前から、軍事・外交面でテバレス王家を支えてきた大貴族である。初代アーサー・ペンドラ侯爵は、テバレシア王国第七代国王ルリの友人にして勇者でもあった。


 このため、現在でもペンドラ侯爵に付き従う貴族が多い。「ペンドラ派」という大派閥の盟主だ。


 ペンドラ派の抵抗を受けると、今後の王政に支障をきたすおそれもある。


「そうですね」


「そこでだ。母上に会え」


 フリードリッヒの母、王太后ミランダはテバレシア王国で唯一ペンドラ派に対抗できる派閥の盟主。アスカにとっては、祖母にあたる。


「?」


 とはいえ、リヒトラント城をアスカに与えるために、王太后ミランダに会えというフリードリッヒの真意がアスカには分からない。


「今、エドワードにリヒトラント城を与えるという話は、政局になりつつあるのだ」


 現在、貴族たちの間では、「リヒトラント公」が王太子、すなわち次期王位への必要条件であるとウワサされていた。


 この王国の貴族たちは大きく二つの派閥に分かれ、ことあるごとに激しい政争を繰り広げている。

 ひとつはペンドラ侯爵率いる「ペンドラ派」、もうひとつは王太后ミランダ率いる「ミランダ派」だ。


 両者は、「次期国王」の件でも争っていた。


 テバレシア国王フリードリッヒには、三人の子がいる。

 第一王子エドワード(二十歳)、王女アスカ(十七歳)、第二王子ユリアン(十二歳)。


 ペンドラ派は、次期国王に第一王子エドワードを支持する。

 派閥の盟主ペンドラ侯爵は、自分の長女ネヴィアを第一王子エドワードに嫁がせていた。そして、エドワードにリヒトラント城を与え「リヒトラント公」とすることを奏上した。

 彼の奏上どおりにことが運べば、エドワードは「リヒトラント公」となり、領地の統治実績を作ることができる。

 これにより、エドワードの次期王位が大きく近づくという計算だろう。


 ミランダ派は、第二王子ユリアンを支持する。

 第二王子ユリアンはアスカの弟で、第三王妃とフリードリッヒとの間の子である。この第三王妃はミランダの姪にあたる。


 ミランダ派にとって、エドワードが「リヒトラント公」になることは決して容認できるものではない。それが王位に近づくとなれば、なおさらだ。

 そこでミランダ派の貴族たちは、ペンドラ派に対抗するための方策を講じ始めていた。


 ちなみにアスカを次期王位にと願う貴族も、ほんのごくわずか存在するらしい。

 アスカの侍女レイチェルから聞いた情報である。


「独り歩きするウワサに踊らされている感がありますが、おっしゃるとおりのようですね」


 アスカは宙を見ながら、レイチェルから聞いたテバレシア王国の政治状況を反芻していた。

 同時にアスカの左手は、焼き菓子をめぐってガーラの魔手と一進一退の激しい攻防を繰り広げている。


「困ったものだ。私は、ペンドラの奏上を『検討する』と言ったのだぞ? それがいつのまにやら『リヒトラント公』が王太子になる条件という話にすり替わった。なぜだ?」


 人から人へ話が伝わるさいに、話し手の憶測を聞き手が事実と取り違えたりして変わっていったのかもしれない。そうでなければ、誰かが意図的に事実を捻じ曲げて広めたことになる。


 フリードリッヒは側近らに指示して「リヒトラント公が王太子になるワケではない」と火消しに努めた。


 しかし貴族たちは、これを表向きの話と理解し「リヒトラント公が王太子の条件」という話の方は、表に出せない極秘情報と考えるようになったらしい。


 フリードリッヒは首を左右に振ると、大きくため息をついて言葉を続けた。


「そんな状況下だ。お前にリヒトラント城を与えるには、それなりの理由と力が必要だ」


「理由と力……ですか?」


「そうだ。それも、ペンドラの奏上を見送るだけのモノでなければならん」


「それが、おばあさまにお会いするということなのですか?」


 フリードリッヒは、目を閉じて頷いた。


「先日、母上にお会いしたところ、お前と直接話をしてみたいそうだ。母上がお前の力になってくれるなら、理由と力が揃う」


 たしかに、ミランダ派がアスカにリヒトラント城を与えるように働きかけることで、ペンドラ派の動きを牽制できるだろう。


「理由は、お前がリヒトラント城を制圧したこと。もともと、リヒトラント城を与えるという話と誰を王太子にするかは別の話だ。力とは、母上の支持だ」


「なるほど。わたしがリヒトラント城のあるじとなれるよう、おばあさまに働きかけてもらうというワケですね」


「そういうことだ。流石のペンドラも、母上の派閥を無視することはできんからな」


 アスカは、祖母にあたる王太后ミランダと話したことはない。遠目にミランダの姿を見たことはあっても、直接の面識はなかった。


 その理由は王太后ミランダが、フリードリッヒとアスカの母クラウディアとの婚姻を強く反対していたことにある。

 しかし、フリードリッヒはミランダの反対を押し切る形で、クラウディアを第二王妃とした。


 そのような経緯からか、ミランダは決してクラウディアに近づこうとはしなかった。

 孫のアスカが生まれても、変わることはなかった。


「わかりました。おばあさまにお会いして、リヒトラント城の件、お願いしてまいります」


 アスカは、フリードリッヒに真っ直ぐな力強い視線を向けている。


「あーっ、あっ、姫様ヒドイ、鬼、悪魔、ケチンボ姫っ!」


 ガーラの魔手を回避すべく、焼き菓子の入った皿を彼の手が届かない位置に掲げながら。

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