同盟交渉

「つまり我々ラビュタンに帝国の片棒を担がせようというわけか」

 帰還したグザヴィエの報告にリオネルは抑揚のない声で返した。主は出立前より明らかにやつれていた。とんぼ返りへの慰労の言葉など望むべくもない。


 ──スティナの砦に現れたチチェクの王子と近衛兵長を自称する二人は、マリユスとグザヴィエに半島侵攻の正当化を狙う帝国の筋書きを明かした。手勢の二千で火竜領に戦闘を仕掛ければ、彼らの役目はそれで終わる。勝敗は問われない。帝国が主力を差し向けるきっかけさえ作れればいい。

「だが、我々チチェクはこれを王国再興の好機と見た」

 ベルカントは厳かに語った。敵陣の中で動じず整然と語る様は、確かに指導者の風格を感じさせる。

「火竜軍、いや、ラビュタン王家には、このベルカントがチチェクの国主であることを支持したうえで、アンブロワーズ制圧に向けて同盟を結んでいただきたい」

 力の篭った瞳に、グザヴィエは圧倒された。言っていることはにわかには信じがたいが、元王子でも穏やかに育ったリオネルにはない気迫がある。

「断る」

 グザヴィエは、それでも撥ねつけてみせた。「盟友を裏切ることはできない。我々は何も聞かなかった。何も言わずにお帰りいただこう」

 片手を挙げると、物陰から出てきた兵が客人を包囲した。脇から侍女サリーナが短く声を上げたが、当の二人は驚く素振りも見せない。

「ラビュタンの名は地図から消えるだろう」

 剣を突きつけられてもベルカントは落ち着き払っている。

「我々が敗れれば帝国の主力が国境を越える。モンテガント経由で、供給路も確保済みだ」

「モンテガントが!?」

 驚いたグザヴィエにマリユスの声が重なった。モンテガントは統一前からアンブロワーズの配下である。場所柄、大陸との交易で潤ってはいるが、あくまでもオクタヴィアン国王の家臣だ。それが、国境を素通りさせるほど帝国との結びつきを強くしていたとは。……資金援助もしているかもしれない。グザヴィエは高価な金属矢が雨のように降ってきたのを思い出した。

「もはや帝国との戦いは避けられない。兵力差は歴然だ。ラビュタン王には賢明な判断を期待する」

 ベルカントは淡々と述べる。グザヴィエは手を振って兵を下がらせた。元より、揺さぶりをかけるだけの意図だ。相手もそれは承知だろう。

「……それに、アンブロワーズはラビュタンから領土を取り上げた挙句に偽りの火竜姫を押し付けた。意趣返しこそしても、負けの見えている戦で運命を共にする義理はないと思うが?」

 急に挑むような目つきで、ベルカントはグザヴィエとマリユスを見比べた。

「偽りとは?」

 訝しむマリユスに、グザヴィエは返答を迷った。まだ噂程度の情報しかないうえ、当人を目前にしている。言葉を継げずにいると、

「それについては私からお話しします」

 火竜公が口を開いた。

 自分はイヴェットという名の別人であること。魔法は使えるが〝千里を薙ぐ〟ほどではないこと。身籠っているのはリオネルの子に違いないこと。王都セルジャンに本物が現れ、隠しおおせる状況ではないこと。

「私は首と胴が離れた状態でセルジャンに送り返されても文句の言えない身の程なのです」

 目を伏せて、一語一語押し出すように語る彼女は、慈しむように腹部の膨らみに手を当てている。

「ただ、これだけは信じてほしい。私はリオネルを愛しています。ラビュタンの領土をほしいままにするつもりはありません。今の私ではお荷物にしかならないでしょうが、戦える状態なら、戦地に立つ覚悟もしていました」

 再び視線を上げた時、彼女の顔は意志を宿していた。

「こんな時に、戦えないばかりか余計な混乱を招いて、申し訳なく思っています。でももし我儘を言わせてもらえるなら、罪のないサリーナとこの子を助けてほしい。私自身はどのような罰でも受けます。どうか、お願いいたします!」

 懇願されてグザヴィエは困惑した。全容を理解したマリユスは、おそらく怒りから、握りしめた拳を震わせている。グザヴィエも予め噂で耳にしていなければ、当人の口から語られる事実に動揺を隠せなかっただろう。アンブロワーズに十年も欺かれてきたのだ。国を明け渡してまで──。

 ひと呼吸分の沈黙が流れた。

「そういうわけだが、今、イヴェットとサリーナはこちらの手の内にある」

 ベルカントが割って入った。偽物だと知っているなら、火竜軍に対して人質としての価値が薄いことはわかっているはずである。

「まさか偽物を同盟交渉に使うつもりでもあるまい。意図を、測りかねますな」

 グザヴィエは同意を求めるようにマリユスと視線を合わせた。

「突き返すなら、場所が違う」

 低く呟くこの老将の世代には、君主の欺瞞を第三者に暴かれたこと自体が屈辱であろう。イヴェットが自虐したように、刎ねた首を送る先はアンブロワーズ王家が正しいと言っているのだ。

 グザヴィエとしては複雑だ。派手な聞こえとは裏腹にひっそりとこの地へ送られてきたか細い少女は、大人しく、ラビュタン王家の言いなりであった。仮にも領主、その体面を保てぬほど内気で、セルジャンに送り返せとお偉方が噂するのをまだ一兵卒だったグザヴィエも聞いている。

 挿げ変えられた頭の繋ぎ目を取り成したのはリオネルで、結婚してやっと最近公の場での振る舞いが板についてきたところだ。夫婦仲睦まじい様子も目の当たりにしてきた。イヴェットの処遇を断じられるのは、リオネルしかいない。

「単なる事実だ。あなた方に判断を委ねてはいない。早いところシェブルーに伝えるんだな」

 ベルカントは立ち上がった。

「我々は一度自陣に帰り、一足先にセルジャンへ向かう」

「待て、言い捨てて行く気か!?」

 グザヴィエが気色ばむと、

「こちらにモンテガント公からの書状があります」

 セミフが薄い木箱を差し出した。開けると、封蝋にモンテガントの紋章を押した手紙が入っている。グザヴィエはマリユスと顔を見合わせた。

「彼女たちは拠点の村へ連れて行く。……いざって時、ここよりはマシだろう」

 ベルカントに言われて見れば、イヴェットの腹はもう六月むつきはとうに過ぎていそうな膨らみ具合だ。

「安心しろ、手荒な扱いはしない。世話はそこの侍女さんがしてくれているしな。やり直すつもりがあるなら自分で迎えに来いと、リオネル王子に伝えてくれ」

 言い終わらないうちに席を立つと、ベルカントは出口に向かって歩き出した。

「待て!」

 グザヴィエの声で兵士が慌てて槍を突き出す。行く手を阻まれたベルカントの後に、セミフとサリーナ、イヴェットが追いついた。

「グザヴィエ将軍、ここは、彼の言うとおりに」

 イヴェットは宥めるように言いながら、その手に炎を携えた。「私は、行きます」

「どういうおつもりか。あなたは、領主なのですぞ!」

「ええ。レアならば」

 手慣れた仕草で渦巻く炎を丸める。

「私は罪人です。でも、この子を産むまでは、死ぬわけにはいかない」

 向けられた熱は本物の魔法だ。放つ瞬間を射手に狙わせてもいいが、まだ──取り返しのつかない状況は避けたい。隣でマリユスも歯噛みしているが、帝国側にあり手出しできないとしておいたほうが、確かに今はいい。

「……承知した」

 槍を構えた兵士を下がらせ、グザヴィエは四人の後ろ姿を見送った。

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