第五章 万感の戦場
ナデージュ平原の戦い
夏の精霊が去ると、半島には冬の匂いが満ちる。この地に生きる人々は冬の精霊の訪れ──降雪までのおよそ
草木が枯れ落ちて寒気が忍び寄り、スティナ山脈から北風が吹き下ろす。そしてこの北風は、南へ攻めるラビュタン・チチェク連合軍の仕掛ける魔法攻勢に味方した。
土埃を巻き上げて突進する騎兵の束に炎の壁が襲いかかる。飛び越えようと跳ね上がった者を無数の矢が見舞い、それらを叩き落として切り込んだ者を槍が刺す。
セルジャンから四日、ナデージュ平原で迎え撃つ左軍は、風が吹くたびに勢いを増す敵勢に苦戦していた。
「なぜ二万ごときが蹴散らせない!」
アンブロワーズ左軍将ブリエンヌは報告に来た兵士を怒鳴りつけた。「こちらも魔導士隊は増強していたはずだ!」
「恐れながら、風向きが悪く炎の勢いが殺されるため魔法が使えないのです。敵は、追い風に乗せた炎の波状攻撃に加え、弓兵による直線攻撃を……歩兵の主力が近づけません」
「後退は許されん。じきに南部からの援軍が到着する。数ではこちらが圧倒しているのだ、多少犠牲を払っても戦線を死守せよ!」
「はっ!」
ブリエンヌの命令により、左軍は歩兵の多くを消耗した。燃え盛る炎をくぐり抜け敵陣深く切り込んだ者も、ラビュタンの騎兵に次々と討ち取られていく。痺れを切らしたブリエンヌは、魔法を使う指示を出し──向かい風に煽られて自軍への被害を拡大した。
開戦から数日、日和見の南部諸侯から援軍が到着する頃には、左軍はセルジャンから二日のところまで後退していた。
ラビュタン・チチェク側も無傷というわけにはいかなかったが、チチェクは火竜姫レアが出てくるまでは央軍に引けを取らない実力を有していた軍事国家である。十年、仮初の平和に胡座をかいていた左軍は、北風に乗って勢いづく炎を前に、戦意を萎ませていった。
そんな戦況を受け、セルジャン王城では、右軍からベロニド将軍、央軍からラヴァル将軍と大魔導プルデンスが呼びつけられ、軍議が開かれていた。
円卓を囲む宰相、ベロニド、ラヴァルの二将軍とプルデンスを、一段高い椅子から王太子ディディエが見下ろす。
「左軍がセルジャンまで退却してくるのは時間の問題だ」
傷ひとつない甲冑に身を包んだディディエは、あからさまに苛立っている。「王都を火の海にするわけにはいかない」
「もちろんですとも!」
ベロニドが卓に上半身を乗り出した。王太子の御前である、と宰相に嗜められ、慌てて居住まいを正す。
「策があるか、ベロニド」
ディディエが発言を許可すると、ベロニドは恭しく一礼した。
「我が右軍の出陣許可を。食い止めてご覧に入れましょう」
「……央軍はどう思う?」
ディディエがラヴァルに意見を求めると、ベロニドは眉間に皺を寄せた。ベロニドは殊にプルデンスへの敵意が露骨だ。元々気に入らないうえに、無罪放免となったとはいえ己の手で連行した人間が同じテーブルに着いているのが面白くないのだろう。
「央軍にいた魔導士はすべて敵方に寝返ったらしいな。弱点などあれば話せ」
ディディエが言葉を継ぐと、
「白兵戦に持ち込めば数の勝負。騎兵を多く有する右軍投入は定石かと」
ラヴァルは答えた。
兄が進言する間、プルデンスは扇で顔を隠していた。ディディエがそれに目を光らせる。
「プルデンス、補足があれば聞く」
促され、プルデンスは扇から目だけ出した。
「一度は罪に問われた身で発言など、畏れ多いことでございます」
「それはもうよい! 時は一刻を争う。そなたの考えを述べてみよ」
急かすディディエに、
「では、恐れながら……」
プルデンスはゆっくりと扇を閉じ一礼した。
「敵は決着を急いでおります」
プルデンスは語り始める。
「主力は北風を味方につけた炎。雪が降れば威力は弱まる。その前に片をつけるつもりでしょう」
「わかっている! 右軍が出れば
ベロニドが口を挟む。プルデンスは微笑んだ。
「ええ、ベロニド卿。右軍の実力があれば、敵を追い払うのは簡単でございましょう。しかし、この戦い、それでは終わりませぬ」
プルデンスは人差し指を立てた。
「真の敵は帝国と通じるモンテガント。チチェク・ラビュタンと和解し、モンテガント制圧へ兵力を割くことをご提案いたします」
「なんだと!?」
ディディエとベロニドの声が重なった。
「ラビュタンやチチェクにこちらから擦り寄れと!? 半島覇者の誇りを捨てよと申すか!」
ディディエがいきり立つ。プルデンスは真顔だ。
「目先の小勢力に惑わされて消耗している場合ではありません。ラビュタンはともかく、チチェクは国土奪還を懸けた瀬戸際。撤退や降伏など考えてはいない。統一戦の際の遺恨をここで解消せねば後々も火種として燻り続ける。最後の一人になるまで抵抗するでしょう」
「王子ベルカントの首を獲ればよい。それだけのことよ!」
ベロニドが鼻を鳴らす。プルデンスは大仰に首を振ってみせた。
「それだけのことに、あとどれほどの犠牲を払うおつもりか。魔法を使えば土地も荒れる。セルジャンを守っても、その外が焼け野原では国の体を保てますまい」
プルデンスはディディエに視線を送った。彼も憮然とした表情ではあったが、顎をしゃくって続きを促した。
「決着を急いでいるのは、帝国からの援軍が望めない証拠。モンテガントはさも後ろ盾を得たかのように見せていますが、まだ帝国に取り入れるかどうかというところでしょう」
卓の上に広げた地図で、プルデンスは国境を示す。
「今叩けば、半島の内乱で収められる。機を逃せば……消耗したところをモンテガントと帝国に狙われます」
言い切って、畳んだままの扇で口元を隠した。
「興味深い」
一言呟いて、ディディエは口の端を歪めた。円卓に歩み寄って地図上のモンテガント領を指す。
「モンテガントとラヴァルは懇意にしていたのではなかったか? 兵を向ける振りでまさか寝返る気ではなかろうな」
これにはラヴァル将軍が答えた。
「懇意というなら縁戚にあたるラビュタンも同じ。しかし何よりも、アンブロワーズ王家あってのラヴァル家、でございます。すべては王家と国のために」
兄の言葉に合わせてプルデンスも恭しく頭を下げる。
「縁戚だと? 嫁がせた娘は偽物だろう。あの時帝国の襲撃に抗議しておけばラビュタンまで敵に回すことにはならなかった!」
ディディエは卓を叩いた。すかさず宰相が口を挟む。
「殿下、それは陛下の命でございます。帝国と事を構えるより半島制定を優先するとのご判断によるもの」
「承知している! しかしいずれは露呈するとわかっていたはずだ。手を打っておかなかったラヴァルの責任は重い」
ディディエの拳がもう一度卓を鳴らす。ラヴァル兄妹はただ沈黙していた。
「クロードはどうしている? 火事娘ともどもモンテガントから帰ったとのことだが。火竜姫確保の命を無視したのだ、サランジェの首を土産にするくらいの機転を利かせてほしいものだな」
央軍の騎士団長も堕ちたものだと嫌味を浴びせられても、プルデンスは涼しい顔だ。
「特にお咎めがありませんでしたもので、騎士団長の任に戻っております」
「有事への備えとかいうあれか! ふん、気に入らぬ。あれもこれも父上の独断だ、私は認めていない」
「滅多なことをおっしゃいませぬよう……国王陛下への侮辱は、たとえ王太子殿下でも罰さねばなりません」
益々熱きり立つ王太子を宰相が宥めにかかった。
「夏至祭に大火を放ったご令嬢がモンテガントの手中にあれば、いずれは帝国の道具になりましょう。追手を撒いて連れ戻したことで火竜姫レアの件は不問とのご判断、
「侮辱などではない! ええい、埒が明かぬわ。宰相、まとめよ」
ディディエは不貞腐れた様子で高座の椅子に戻った。
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