央軍出陣

 セルジャン郊外では紅葉した木々が季節の移ろいを知らせていた。王都中心部から続く石畳は途切れ、未舗装の街路が、点在する周辺の集落をつなぐ。

 このあたりまで来ると家屋は高くても二階建ての住居で、店はあっても庶民向けだ。それらも今は閑散としている。

 クロードがセルジャンに戻った時、すでにラビュタン・チチェク連合軍との戦いは始まっていた。火竜姫レア捜索は国王の一声で下命取り下げとなり、任務中に行方をくらましたクロードの罪も不問となった。

 左軍苦戦の報に、真実を知らない者は火竜公がラビュタンを唆したと噂し、本物がアンブロワーズの手の内にないことを知る者は火竜姫さえいればと央軍騎士団の不手際を謗る。

 混迷を極める中央が情報統制に手間取っているうちに、城下からは貴族が姿を消し、裕福な商人がいなくなった。気がつけばセルジャンの外に所領や縁故がない者、セルジャンを出るのに必要な金や健康を持たない者だけが、息を潜めて生活を続けている。

「そう、もう少し右……よし!」

 クロードたち央軍騎士団は下級兵士を指揮して城壁内の練兵場に天幕を張っていた。

「そこは城への避難路になるから、支柱ははみ出さないように。躓きそうな大きさの石はなるべく拾っておいてくれ」

 図面を手に、クロード自身も現場を仕切る。今日中に二百ほどの天幕を張り終える予定だ。ここには怪我人、病人、年寄りを優先して受け入れる。本当は走れない者は城内が良かったが、いかに左軍不利が事実とはいえ、まだ二日の距離がある。さすがにクロードの立場で口に出すことはできなかった。

「団長殿、南区画は張り終えました」

 大隊長が報告にやってきた。「西の区画は一部起伏が激しく天幕設営に不向きのようです。道具置き場と替えたほうがよろしいかと」

「ありがとう。ではそうしよう」

 図面を直すクロードに、

「ここまで攻め込まれるでしょうか……」

 大隊長は小声で漏らした。

「おや、風の戯言が聞こえたような」

 クロードが冗談めかして目配せをすると、大隊長は気まずそうに咳払いをした。そんな彼に軽く笑って、

「私の我儘で駆けずり回らせて済まない」

 右手を差し出す。大隊長が握手に応じていると、近場から人手を求める声が上がった。

「私が行こう」

 クロードが行きかけると、大隊長は慌てて首を振り、代わりに出張っていった。

 王城至近で左軍が敗れるなどとは、口にするのも憚られる空気だが、戦線が後退してきているのは中央も認めている。自らもその歯車の身で不謹慎とは思いつつ、クロードは都合よく状況を利用した。厄災は信じてもらえなくとも、戦時下を理由に「念の為」の策は打てる。

 どのみち一人ですべてを救えはしない。来年の夏至に何が起こるかもわかってはいないのだ。今は目の前の問題に対処して、少しでも犠牲を減らす。

 自力で逃げられるなら好きに逃げてもらい、そうでない弱者は固まっていてくれたほうが守りやすい。警護のために騎士団を王城に貼り付けておければ、他の罹災地への派遣指揮も円滑に行える。

「取り越し苦労で済めばいいが」

 組み上がっていく天幕を数えながら、クロードは不安が予感に変わっていくのを自覚していた。

 陽が傾いてあらかたの天幕を張り終えた頃、練兵場に馬の駈歩かけあしが響いた。馬はクロードの手前で止まり、降りた衛兵が駆け寄ってきた。

「騎士団長殿、城内にて大魔導閣下がお呼びです」

 衛兵は乗ってきた馬へとクロードを促す。

「随分急ぎのようだな。何があった」

「央軍に出撃命令が下ったとのこと。とにかく早く来るようにとのことで……」

「わかった」

 クロードは馬に跨ると王城へ向けて走らせた。


 アンブロワーズ央軍がナデージュ平原に向けて進軍を始めた頃、火竜領スティナ山麓では、半島でいち早く冬を迎える土地らしく、例の村の住人たちが食糧や燃料の備蓄、降雪への備えに勤しんでいた。

 乾燥させた牧草をしまい、薪や焚き付けを集め、肉を燻す。サリーナは村の女たちを手伝って、果肉や根菜を干したり、木の実を選り分けたりしていた。

「私も何か、手伝えないかしら」

 突き出た腹を抱えてイヴェットがやってくる。サリーナは慌てて作業の手を止めてイヴェットを支えに向かった。

「大丈夫、少し歩いたほうがいいと、村長のおかみさんが言っていたのよ」

 イヴェットは笑ってサリーナの出した手を断った。

「そうそう、じっとしてちゃあ元気な子は産めないよ!」

 村女の一人が返す。子供を三人持つという彼女は、先日イヴェットに赤ん坊を包む毛織や肌着をくれた人だ。

「楽しみだねぇ。王様の赤ん坊を拝めるなんて、あたしたちついてるよ」

 丸太の輪切りに腰掛けてほつれた籠を直している女が言うと、

「気が早いよ。まだ産み月になったばかりじゃないさ」

 鍋で何かを煮ている女が口を挟む。その場の十数人が一斉に笑った。

 先程の女がイヴェットに手招きして、サリーナのいる作業台に着かせる。入れ違いに立ち上がって、赤い実でいっぱいになった籠を持ち上げた。

「今に芋が煮える。そしたら、薄く切って干すんだ。それまではここで木の実を分けておくれ」

「わかったわ」

「タイス、教えてやりな」

 サリーナの隣で木の実を広げていた少女が頷く。女の娘らしかった。

「硬い殻付きのはあっち、それ以外は渋抜きが要るのと要らないのとで分けるの。虫食い穴が空いてるのはこの鍋に」

「拾う時に分けたりしないのね」

「ここにあるのは、男たちが山に狩に行ったついでに拾ってきたやつだから」

 タイスは肩をすくめる。

「ははっ、山じゃあね、これはこっち、あれはあっちなんてやってる暇はないんだ。少しでも籠を重たくして帰らないと、家で待つ女たちにどやされるからね!」

 屈託のない笑いを残して、女は赤い実で一杯にした籠をどこかへ運んでいった。

「全くだめだねぇ、末娘が十七じゃ、もう妊婦時代なんか忘れちまってるんだろ」

 呆れ声に顔を上げれば、鍋の女がイヴェットを呼んでいる。

「こっち来て火に当たりな。いくら元気だって、体を冷やしたら毒だよ」

「あら忙しい! でも火の番のほうが得意だわ」

 イヴェットはサリーナに目配せして、やりかけの木の実を託して席を立った。レアを演じていた頃には見せたことのない明るい表情だった。

 リオネルがラビュタン王になりアンブロワーズに出兵した布令は、この村にも届いている。いつかベルカントが言っていたように、歴史が変わろうとしているのは、サリーナにも実感としてあった。半島統一後十年の平和は終わったのだ。

 戦争が長引けば臨時の課税や徴兵があるかもしれない。しかもサリーナは、イヴェットと共にこの村の異物だ。連れてきたチチェク兵はもういない。

 これから迎える冬、産み月に入ったイヴェット。村人はよくしてくれている。だが、イヴェットは領主を騙った。もし今、村を追い出されたら──ベルカントのいない心細さがサリーナを駆り立てる。

「台の上が空いてきましたわ。次の籠を持ってきますね」

 少しでも役に立てれば、頼み込めば春まではいさせてくれるだろうか。サリーナがタイスに声を掛けて立ちあがろうとすると、作業台に突いた手にタイスの手が被さった。

「気を遣わないで。お客さんなんだから」

 サリーナは咄嗟に返事が思いつかず、口元に手を当てた。タイスは慌てて両手を振る。

「ごめんなさい! 違うの、ただ無理をしてほしくないだけ。本当ならお城で不自由なく暮らしていたのにって、みんな二人に同情してる」

 飾らない言葉に、タイスの真心を感じられて、サリーナは安堵と感謝で胸が一杯になった。

「無理なことはありません。二人分ご負担をおかけしているのですから、何でも言いつけてください」

 口元から手を離して笑顔を返す。途端に、タイスが大笑いした。

「サリーナ様、顔が! 汚れた手で触るから……」

 鏡はないが言われれば想像がつく。手を見れば指先は真っ黒だった。サリーナは慌てて前掛けの隠しから手巾を出した。

 その時、手巾から落ちた物があった。ベルカントが置いていった、満月に見立てた木片の半分だ。サリーナは素早く拾って隠しに戻したが、タイスは見過ごさなかった。

「それ……もしかして、〝約束の月〟?」

 問われても、呼び名があるとは聞いていないサリーナは、否定も肯定もできなかった。まごついていると確信を得たのか、タイスが声をひそめて続ける。

「チチェクの人がくれたものでしょ?」

 自分の隠しから台の上に木片を出した。サリーナのそれとは違う割れ方の半円だ。すぐにまたしまって、左右を伺う。村人には聞かれたくないのだろう。他の女たちはめいめいに手を動かしながら世間話に花を咲かせていた。イヴェットも鍋の芋が煮えて、その対応に追われている。

「私も、もらったの。大人たちからはチチェクの兵士に気を許すなって言われていたんだけど……みんなには、内緒にしてね」

 タイスは真剣だ。サリーナも、手巾で口元を拭いてから、背筋を伸ばして座り直した。

 チチェクの陣営は村から少し離れたところにあった。村によく出入りしていたのは、ベルカントやセミフをはじめとした上層部と、伝令や見張りの若い兵士数人だ。その中の一人とたまに顔を合わせるうちに……ということらしい。

「遊ばれただけかも、って思わないこともないの。でも、生まれて初めて愛してるって言われた。村から出たことないし、村の男はみんな子供の頃からの付き合いだもの、外から来た人に言い寄られたら舞いあがっちゃうわよ」

「タイスさん……」

 サリーナは掛ける言葉を探した。タイスは軽く首を振って目を伏せる。

「チチェクの男が月に誓ったなら、それは絶対だって。必ず戻ってくる、そしたら兵士辞めて村人になるって言ってくれた。だったら行かないで、今すぐ辞めて村人になればいいって思ったけど、それはやっぱり言っちゃいけない気がしたんだぁ」

 タイスはため息を吐く。と思うと、ぱっと表情を輝かせて作業台に身を乗り出した。

「じゃ、次はサリーナ様の番ね!」

「ええっ?」

 思わずサリーナは声を上げた。慌てて手巾で口を塞いで、目を泳がせる。こちらを気にする女はいなかったので、サリーナは胸を撫で下ろした。タイスに視線を戻すと、無言の催促だ。

「私は、その……イヴェット様のことで、それどころではなくて」

「こんな作業場まで持って来ているのに?」

 タイスは追撃の手を緩めない。先に聞いてしまった以上、自分だけ沈黙するわけにもいかず、サリーナは覚悟してタイスに顔を近づけた。

「私は、お断りした後にこれをいただいたのです」

「どういうこと?」

 話が飲み込めないタイスはぽかんと開けた口で続きを促した。サリーナは、隠しからもう一度木片を摘む。

「これは〝約束の月〟というのですね。半分ずつ持って、再会を願うものだと聞いていました」

 作業台に置くと、籠から木の実と一緒に出てきた落ち葉や木屑と一見見分けがつかない。

「私はイヴェット様という主人にお仕えしているので、お許しがなければお側を離れられないのです。お相手の方もそれは理解してくださって、急がなくていいとおっしゃっていました」

「それって、つまり……どういうこと?」

 首を傾げるタイスに、サリーナは微笑んだ。木片を手巾に包んでしまい直す。

「まだ何も結論は出ていないということです。もしまたお会いできたなら、その時はもう少し違うお話をしてみたいと思ってはいますけれど……」

「相手って誰?」

「それは申し上げられませんわ」

「ええー、教えてよ!」

 タイスがふざけ半分に不満をぶつけてくる。そこに、

「こらっ、あんたたち手が動いてないんじゃないかい?」

 タイスの母が戻ってきて、新しい籠の中身を作業台に広げた。ちょうどその時、

「ちょっと! 誰か来ておくれ!」

 離れたところから鍋の女が呼ぶ。

「イヴェット様が、産気づいてきたみたいだ!」

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