リオネルとベルカント
グザヴィエの報告を受けたリオネルはラビュタン王の名のもとに議会を開いた。アンブロワーズに刃を向ける前に、ラビュタンとしての王政を取り戻す宣言のためだ。王座にはリオネルが就いた。半島が統一されて火竜公が領主となって以降、政治は実質リオネルが執り行ってきたからである。側近も前王世代の者は多くが一線を退いており、前王自身がリオネル即位を支持したのだった。
布令を出したのちグザヴィエとともに一万の兵と行軍すること三日、チチェク軍の陣営に追いついた。彼らは同志の集結を待っていたらしく、報告で四千弱と聞いていた兵は六千ほどに膨らんでいた。
「中央にいた魔導士が合流してきているそうだな」
自陣の奥、軍議用の天幕でリオネルが腕組みする。その右手中指には深紅の石が光っていた。ラビュタン王家の証だ。
向かいのグザヴィエが、間に広げた地図上の現在地に、兵馬に見立てた駒を並べる。五つはラビュタン、三つがチチェク。白い木彫りの馬は一つで二千騎規模の兵力を表す。
「それでもラビュタン総力と合わせて二万にも満たない。中央の兵力とはまだ開きがあります」
グザヴィエはセルジャンの位置に駒の塊を三つ作った。
「左軍五万、右軍五万、央軍六万。南部の諸侯にも参戦を呼びかけているでしょう。チチェクに先陣を切らせて、我々は援護に回る形がよろしいかと」
「だめだ」
リオネルは首を振った。
「帝国の尻馬に乗ったわけじゃない。アンブロワーズに受けた屈辱を晴らすのが先だ」
指輪を抜いて、駒のひとつに嵌める。
「腰の重い王下三軍が平和ぼけしているうちに王城まで攻め上る──連れて行くのは精鋭だけだ」
大粒の宝石を戴いた駒でセルジャンの塊を押し除ける。
「中央に一泡吹かせてやれればいい。あとはチチェクにくれてやる」
「背後を任せると? そこまで信用してよいものでしょうか……」
「帝国の手を煩わせずに半島を獲って帰らねば褒美はない。我々を出し抜く余裕はなかろう」
「しかし……」
グザヴィエがなおも懸念を示そうとした時、天幕の外から来客を告げる声が掛かった。グザヴィエは言葉を切ってリオネルに取り次いだ。
「チチェク軍からの使者とのことです」
「行こう」
リオネルは指輪を自分の手に嵌め直した。
グザヴィエとリオネルが天幕の外に出ると、男が二人跪いていた。
「面をあげよ」
呼びかけに応じた二人の顔は、グザヴィエの記憶に新しい。
「これは……ベルカント王子」
将軍がたじろぐ様子に、案内してきた兵士たちがざわつく。
「お目通りが叶い恐悦至極にございます、ラビュタン国王陛下」
セミフと名乗る供の者が恭しく挨拶する。「このお方はベルカント・チチェク・クラル。チチェク王家の証明と同盟への誠意を示すため、直々にまかり越しました」
紹介された男、ベルカントは跪いたまま一礼をすると立ち上がった。
「久しぶりだな、リオネル」
腕を広げてリオネルに近づく。状況を飲み込めていない兵士が止めようとするのをグザヴィエが制した。リオネルは目を見張って言葉を失っていた。
「と言っても、子供の頃以来だ。顔を見てもわからないだろう。……これを」
ベルカントは左手をリオネルの眼前に差し出す。親指にはチチェク王家の証が仄かな輝きを放っていた。
「いや、私は覚えているよベルカント」
リオネルは立ち上がって握手に応じる。「逝去の報を受けた時はひどく落胆したものだ。また会えて嬉しい」
「そろそろ生き返ってもいい頃合いだと思ってね」
ベルカントは一瞬笑みをこぼしたが、すぐまた真顔に戻った。「時間も人員も惜しい。そのために直接来たんだ。早速作戦会議といこうじゃないか」
まずは二人だけで話したいというリオネルからの申し出にベルカントは応じた。グザヴィエとセミフがそれぞれの主の剣を預かり、軍議用の天幕へと案内する。
「直接出向いて来るとは」
リオネルの感嘆に、ベルカントは笑った。
「長いこと一兵卒だったからな。大概のことは自分でやるさ」
「それにしたって無茶をする」
言いながら、リオネルが天幕の入り口をくぐる。ベルカントがその後に続いた。
「──危険だとは思わなかったのか?」
振り返ったリオネルの手にはナイフが光っていた。「ここで指導者を失えば、チチェク御一行はどうなる?」
ベルカントは眉ひとつ動かさなかった。
「俺が死ねば元の策に戻るだけだ。帝国本隊が半島を制圧する。変わらない、何も」
「ではチチェクとしてこちらの軍門に降ってもらおう。王手だ、ベルカント!」
「なるほど」
ベルカントは刃を立ててにじり寄るリオネルと睨み合った。
「敵を見誤るなよ、リオネル。ラビュタンの戦力では今のチチェクには勝てない」
「モンテガントや帝国の後ろ盾があるからか?」
「違うね」
言うと、ベルカントは天幕の支柱のほうへ目を泳がせた。大きく外された視線に釣られてリオネルが振り返ろうとした一瞬に、ベルカントはナイフを持つ手を右手で上から、左手で肘を下から押し上げて固める。
「大将の頭に血が昇ってるからさ!」
続け様に軸足を払ってリオネルに尻餅を突かせた。
「く……!」
歯噛みしながらリオネルは体を起こした。
「どうかなさいましたか!?」
物音が外まで聞こえたか、グザヴィエの声が飛んでくる。
「何でもない!」
怒鳴り返したリオネルにベルカントが手を差し出した。憮然としつつもその手に掴まって立ち上がり、即座に背を向ける。
「イヴェットが気になるか」
後ろからベルカントの手が肩を叩く。
「スティナの麓の村にいる。母子ともに健康……ってのは、生まれた後に言うやつか。まだ生まれちゃいない。とにかく元気だ、心配いらない」
「イヴェットなんて女は知らない……好きにすればいい」
「リオネル!」
「アンブロワーズの欺瞞が露呈したところに帝国だチチェクだと横槍を入れてきたのはそっちじゃないか! もうセルジャンを攻めるしか選択肢はない。その後で偽物を有り難がるわけにはいかないだろう」
リオネルはベルカントの手を振り払った。「アンブロワーズは十一万。勝ち目はない」
覚束ない足取りで数歩距離を取り、へたり込む。ベルカントはその隣に腰を下ろした。
「アンブロワーズの半島統一で、ラビュタンとチチェクは違う道を選んだ。火竜姫が現れて、チチェクは滅んだ」
静かに、語りかけるようにベルカントが言葉を継ぐ。
「俺は戦争が本格化する前に死んだことにされて帝国にいた。半島統一がひと段落する頃には、立派な帝国兵さ──火竜姫がすり替えられる原因にも加担している」
ベルカントの告白にリオネルは目を見開いた。
「イヴェットに罪はない。この戦いでお前を死なせずに連れて帰るのが、俺のせめてもの償いだと思ってる」
「ベルカント……」
「自分を偽って生きるのは簡単じゃない。向き合ってやってくれ──俺が言えた義理じゃないが」
そこまで言うと、ベルカントは立ち上がった。
「夏の精霊が去った、この
天幕に一人残されたリオネルの心に浮かんだのは、泣きながら微笑んで振り返った、いつかの少女の姿だった。
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