一方その頃

 モニックから東、街道から離れた川沿いで、女は焚き火に当たっていた。外套やら襟巻きやらの隙間から目だけ出して炎を見つめている。

 夜気の肌触りは夏の終わりを告げているが、半島中部ではまだ暖を取るほど寒くはない。枝に布を引っ掛けて張り下ろしただけの簡素な天幕は、夜露を凌ぐことしか期待されていなさそうだった。

「襟巻くらい取ったらどうだ。見てるほうが暑い」

 後ろから近づいてきた男が、燃える火に腕を伸ばして小枝を突っ込んだ。移った火を煙管に押し当ててふかすと、焚き火から離れ、女に背を向ける形で腰をおろす。

 横目で男の目が向いていないことを確認して、女──マルリルは襟巻きを外した。

「お前は何か着てくれ、カカ」

 襟巻を投げつける。その先には、剥き出しの筋肉質な背中。男──カカは上半身裸だった。

 カカは振り返りもせず、後ろ手で拾った襟巻を肩に引っ掛けた。煙が吐き出されたのを合図に、マルリルはフードを被り直す。

「……こっちも、魔物が増えてるみたいだ」

 カカが話し出した。


 昼間や、人里での出現。夏至を境に、魔法で荒れた土地でないにも拘わらず襲われて死傷する件数が増えているらしい。夏至祭の後、カカは薬を売りながらいくつかの町や村を回って情報を集めていたのだった。

「半島はこの十年平和だったはずなのに」

 マルリルは呟いた。

「十年なんて短い期間、自然や精霊の擦り傷程度も癒やせやしない。〝凍てつく夏至〟は何十年何百年分もの穢れの清算なんだろう」

 カカの返答に、マルリルは外套を掻き合わせて首をすぼめる。

「結局、できることなんて何もないんだ……」

「立ち寄った先では魔物除けの方法や傷薬の作り方を教えてきた。できることはしている」

「そんなの気休めだろ!」

 語気を荒げて振り返ったマルリルの視界に、カカの姿はなかった。

「お前にできることは次の夏至まで生きることだ、マルリル」

 カカはいつの間にかマルリルの後ろに回っていた。

「追い回されて疲れているみたいだな。今日は早く横になれ」

 広げた襟巻を頭から被せて、両肩に手を置く。「俺が悪い。一人にするべきじゃなかった」

 マルリルは俯いたまま首を振った。

「お前には帝国の仕事もある。目立つし、いないほうが行動しやすい」

「減らず口をたたく元気があるなら大丈夫そうだな」

 肩を軽く叩いて背後から隣へ移動した時には、カカは上衣に袖を通していた。マルリルの顔に手を添えて、両の頬に代わる代わる焚き火の明かりを当てる。

「体調は変わりないか?」

「こっちでもたまに揺らぐ。でも大陸にいた時ほどじゃない。鱗の増え方も、少し遅い気がする」

「夏至からどのくらい増えた?」

「寄せて集めれば体の半分くらいかな。……まだ尻尾は生えてない」

 マルリルが笑顔を見せたせいか、カカも表情を緩ませた。

「しばらくはこっちにいたほうが良さそうだな。アンブロワーズはまだお前を探しているのか?」

「クロードには、会ったよ。従わないなら殺せと命令されたらしい」

「なら、まだ居場所を固定しないほうがいいか?」

「それなんだけど、カカ」

 真顔に戻ったマルリルが、カカの目を見返す。「セルジャンに戻ろうと思う」

「そうしたいなら構わないが?」

 即答だが、カカの声には疑問が滲んだ。マルリルはそれに応える。

「夏至の火にクロードの娘が反応したのが、ずっと引っかかってる。最後の鍵が、セルジャンにありそうな気がするんだ」

「敵の懐に飛び込むのか」

 眉をひそめたカカに、

「敵じゃない。故郷だよ」

 マルリルは肩をすくめた。

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