第二章 後始末

王太子下命

 夏至祭から丸二日、クロードは王城の一室に留め置かれた。シーファも帰宅は許されず、報せを聞いて駆けつけた妻に付き添われて別室に隔離されている。城仕えの侍従が食事を運んでくる以外に部屋の扉は開けられず、鍵さえかけられていないものの、外には近衛兵が立った。

 一年のうちで最も大きく、重要な祭。その象徴を娘が災いに変えた。それも城下で。さらに、魔法。瞬時に広場を席捲するほどの火力を十にも満たない子供が、とくれば、新たな火竜姫擁立に傾いていた中央が見逃すはずもなく、クロードは沙汰を待つよりほかになかった。

 シーファの様子は、出入りする侍従から聞けた。祭で炎を操ったことは覚えておらず、王城の豪奢な部屋にはしゃいで、クロードの屋敷に帰れないことは気にしていないようだ。本や遊び道具もあり、母親も一緒だから、祭から続く非日常を楽しんでいるのだろう。王城警護の魔導士が見張っているとの情報に、門外漢の父は安堵する。ただ。

 このままシーファが新火竜姫として担がれる可能性は高い。言い出したのは血族のプルデンスだ。軍議での提言は最初からそのつもりだったのかもしれないが、クロードは同じ称号を持つ者が増えること自体を承服しかねる。

 とはいえ、素質を衆目に晒しておいて、幼い身内は候補から除外するなど、許されはしない。任命されたらされたで、別の娘を推していた者達からの嫉妬に炙られる。両親の血筋にない能力は下衆の勘繰りであらぬ噂の餌食になるだろう。

 間近にいながら守るべき市井に火を放つのを止められなかった、クロード自身の失態はどう問われるか。親として、騎士として。上官であるプルデンスやラヴァル将軍への責めは?

 いや、それは些末な問題だ。彼らは自分自身で如何様にも切り抜けられる。面会が叶わないところをみると、今頃彼らは上層部を巻き込んで建前を整えているに違いない。生贄になるのは、やはりシーファなのか。

 クロードが最も恐れているのは、夏至祭に現れた本物の火竜姫レア──マルリルの存在だ。

 あの場にいた何人が、現れた女に気づいたか。フードから覗かせた顔を、その技を見たか。単なる通りすがりでないことは、庶民の目にも明らかだ。

 中央では故人。一般には北部国境で身重。王都に火竜の炎が蘇ったとなれば、すべてがひっくり返る。繕ってきた十年の、すべてが。プルデンスにだけ打ち明けた秘密は、クロードの手の届かない場所で蓋を開けようとしていた。


 変化は三日目の朝に訪れた。

 顔を洗う水とともに運ばれた真新しい騎士服は、公式の場へお呼びがかかったことを示していた。ついに裁きの庭か……クロードは覚悟した。

 どのような裁定でもいい。シーファだけは守る。たとえ自分が罪人となっても。

 着替える間に侍従が茶の席を整えている。朝の茶は自邸でも同じ、この辺りの貴族の生活風景だが、昨日までと何か違う。支度を終えてテーブルに向かうと、違和感の理由はすぐにわかった。席は相向かいに二人分、茶器は焼きも塗りも最高級と言われる銘柄のものだ。並べられた菓子もこの二日に比べ豪勢である。

 案内された席に着く。侍従がクロードのグラスに水を注いだ。一口含んで喉を潤す。だがすぐに渇くのは、悪い予感がより悪い展開の確信へと変わったからだ。

 扉を叩く音がし、隙間から見張り番が顔を出した。侍従と二言三言会話し、一度扉が閉められる。踵を返し、侍従がこちらへ歩み寄る。

「王太子殿下がお見えです」

「殿下が?」

 クロードは生唾を飲み込んだ。席を立ち、扉を開ける。その向こうに、ゆったりした日常着の王太子ディディエが立っていた。

「軟禁状態は暇だろうと思ってな。朝の茶くらい付き合ってやろう」

 ディディエは案内も待たずに部屋を進み、侍従が引いた椅子に腰掛けた。慌ててクロードは後を追い、その足元に膝を突く。

「王太子殿下にあらせられましては……」

「まあ、そう畏まるな」

 挨拶するクロードをディディエが遮る。「我が友よ」


 いかにラヴァルが名家といえ、直系王族への謁見は簡単には叶わない。だがディディエはクロードと年が近く、幼少期から何かと接する機会は多かった。一時期には騎士見習いとして肩を並べたこともある。今でこそクロードから友と呼ぶのは畏れ多いが、騎士の規律に身分の上下は関係ない。まだ体制や伝統に意味を見出せていなかった少年達はかつて、共感と信頼で絆を結んでいた。

 ディディエに勧められてクロードも席に着く。侍従が二人分の茶を淹れ終わると、ディディエは彼に退室を命じた。

「では頂こう」

二人きりになった部屋に、茶器が立てる音が響く。ディディエは菓子にも手を出しているが、クロードはとてもそんな気になれなかった。

 あの頃は、とクロードは回想する。修練では対等に剣を交え、励まし合って騎士の精神を鍛えてきた。ディディエに対して、確かに友情と呼べる心持ちがあった。

 だが、王族の騎士修行は将来国軍を動かすための嗜みでしかない。それを悟ったのは、ディディエが二年の在団期間を満了した後、指導に当たった先輩騎士が僻地に飛ばされたのを知った時だった。火竜姫レアも、例に漏れない。

 この状況下で、わざわざ人払いまでしてクロードと茶を囲むのは、思惑あってのことだろう。何を言い渡すつもりなのか。クロードの手元では、水のグラスばかりが空になる。

 ディディエは指に付いた菓子の粉を舐め取って、優雅な仕草で茶を飲んだ。

「火竜姫が生きて戻ったと聞いてな。興味深い、実に」

 ディディエはおもむろに立ち上がった。応じて腰を浮かせるクロードを手のひらで制し、自身はゆっくりと窓辺へ歩く。

「国防の要が身重の時に、火竜の片鱗を見せた幼女、死人の再来、と。この天の采配を、天寿を全うするだけになったジジイ達に任せておくのは不相応だと思わんか?」

 朝の光が、窓から空を見上げるディディエの横顔を照らす。

「半島統一で一区切りついてはいるが、アンブロワーズはボブロフを諦めたつもりはない。ところが国王をはじめ中央三軍、我々の親世代はいつの間にか現状に満足し向上心を失った。困ったものさ。お前の叔母プルデンスくらいだろう、先の世を見通しているのは」

 話が見えない。クロードは焦れた。水を飲もうとするが水差しはすでに空だった。

 窓辺を行ったり来たりしながら、ディディエは続ける。

「私は次期国王として、我が国のことを第一に考える。守るだけでなく、もっと富ませる方法も」

 ボブロフを牽制するためには、火竜姫の看板が不可欠だ。だが、それだけでは足りない。大陸の名をオクタヴィアンに変えるには、同時に複数、そして次の世代の火竜姫が要る──。

 ディディエはそこで足を止め、クロードに向き直った。反射的にクロードは椅子から降り跪く。

「私は、お前の忠義と友情を信じたい」

 王太子と騎士。二人の視線がぶつかる。

「まずは、レアと思しき人物を連れてこい」

 ディディエは宣告した。「急務である」

「はっ……」

「馬を使っていてもまだそう遠くへは行っていないはずだ。ひと月やろう。諸事の謎を詳らかにするのはその後だ。できぬ場合は、生かしておくな」

 レアが本物かどうか、再び国の役に立つかで、シーファの扱いが変わるということか。即戦力としても、次世代を<産む>母体としても。

「異論があれば聞く。そのためにここに来たのだ」

 議場での王太子の言は絶対だ。二人きりの今、発言を許されるのは、確かにクロードへの温情かもしれなかった。

 だが、断れば詮索はすでに手元にあるシーファに及ぶ。その裏でレアの存在はいずれ暴かれ、消される。

「……御意に」

 クロードは胸に拳を当てて答えた。


 〝元〟火竜姫レアを探せ──中央軍議会で改めて下された命により、クロードとシーファの措置は王太子預かりとなった。

 午後には妻子と自邸に戻れたクロードだったが、与えられた時間は短い。そして、わかっていることは少ない。

 十年、何の音沙汰もなく、入れ替わりを知る者は死を、知らぬ者は国境での息災を信じていた。なぜ今さら……と、思わずにいられない自分をクロードは呪う。

 すべて自分の不甲斐なさが引き起こした。十年前のあの事件で自分がちゃんと死んでいれば。いや、怪我など負わずに守り抜いていれば。

 ……そうじゃない。

 国境へなど行かせない力が、あるいは勇気があの時の俺にあれば。細く小さな手を取っていれば、俺が──。

「お父様!」

 シーファの声が現実に引き戻す。クロードは寝室で、揺り椅子にもたれていた。

 笑顔で部屋に駆け込んできた娘と、それを穏やかに嗜める妻と。「特別な」少女を、あの時守れなかったから得られた、今、守るべきもの。

 戻れない過去を悔やんでも仕方ない。今は、やらなければならないことをするだけだ。

 構ってほしくてまとわりついてくるシーファを、妻に任せて部屋を出る。明日は朝からプルデンスがお出ましだ。しでかした件についての説教は当然聞かねばならないし、王太子ほか中央の面々にどこまで話すかも口裏を合わせる必要がある。その前に絵描きを呼んで人相書きを作り、騎士団へ指示を出しておきたい。

 連れていた大男が何者かは気になるところだが、目印には丁度いい。夏至過ぎの気候で顔を隠すような格好も人の印象に残りやすい。

 王都にはかつて半島平定の立役者として凱旋している。月日を経て顔つきは多少の変わっても、庶民の中には間近で見た火竜姫を覚えている者がいるだろう。足取りを追うのはそう難しくはないはずだ。

 ある程度情報を集めたら、レアには直接登城を交渉しにいく。十年の沈黙を破って現れた割に、すぐに姿をくらましたあたり、何か目的があって来たに違いない。大人しく王太子の前まで同行するとは思えない、だからこそ、クロード自身が出向くのである。抵抗を受けた場合の被害や、後始末のためにも。

 「出かける」の一言にメイド長ロゼが差し出したマントを羽織って、クロードは自邸を後にした。

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