画策

 北部国境、火竜領。

 夏至を過ぎてやっと花盛りを迎えたマルリルに、王都セルジャンとの距離を思い知らされる。

 火竜公レア── イヴェットは、中庭に面した窓辺でレースを編んでいた。よく晴れた昼下がりでも風はまだ冷たく、ストールを羽織るくらいが丁度いい。丸く膨らんだ腹部は重く、時折動いては、中に独立した命があることを主張する。

 レースは生まれてくる赤ん坊の靴下や帽子になる予定だ。性別がわからないのでまずは簡素に、飾りは、女の子だったら付けられるように別に作っている。

 夫は、男女どちらでもいいと言った。男の子なら領地を継がせられるし、女の子なら母に似た可愛らしい子になるだろうと。

 だが、秘密を抱えて生きてきたせいか、妊婦特有の不安定さゆえか、イヴェットはその言葉の裏を考えてしまう。性別にこだわらないのは、火竜の力さえ受け継げばいいと思っているからなのでは──。


 イヴェットは十五の時にこの地に火竜姫レアとして送られてきた。

 当時、国はボブロフと牽制しあっており、アンブロワーズ軍はチチェクでの苦戦がなければ大陸へ攻め入ろうとさえしていた。

 半島を手中に収めたアンブロワーズの勢いを警戒してボブロフの主軍が南下を始めた、そんな噂でセルジャンが不安に陥る最中、半島の名を冠して大陸への野心を隠した国は、恩賞として領地を与える体で火竜姫を北部国境に配した。

 現火竜領は、元々は一国としてラビュタン王が治めていた土地である。辺境の小国ではあったがアンブロワーズとは親交が深く、半島統一にあたってはいち早く盟約を結び、背後を守った。統一後も侯爵の地位を得て自治を認められていた。

 それを召し上げて火竜姫に与えることになったのは、王都に必要なくなった不遜なほどの火力を遠ざける目的と、ボブロフに踏み込ませない壁としての役割を果たすのに最適な場所だったからだ。

 ラビュタン側にも中央の決定を覆す理由がなかった。

 大国と隣り合わせのこの土地に「千里を薙ぐ」魔導士が来る。卑賤な身で称号が示す地位だけは高い、ほかに取り柄のない小娘。実権は十分ラビュタンに残る。

 半島統一さえなければ次期国王となるはずだったリオネルとの婚姻を条件に、火竜姫レアは──イヴェットは好意的に迎え入れられたのだった。


 ドアをノックする音に返事すると、サリーナがお茶を持って入ってきた。

「少しお休みなさいませ、レア様」

 干した果実と妊婦に良いとされる薬草を煮出した茶が注がれると、ほのかに甘い香りが漂う。

 サリーナは唯一、イヴェットが王都から連れて来ることのできた侍女だ。極秘裏にレアの身代わりになることが決まった時、クロードが養家として供をつけたいと口実をつけて叶った、イヴェットの心の拠り所だった。

 レース編みの手を休めてイヴェットは茶を飲んだ。

「美味しい」

 イヴェットは微笑んでサリーナにも勧める。

 妊娠がわかってからというもの、夫リオネルは日中執務で忙しい。サリーナと二人で過ごす午後の茶は、夫のいない寂しさからも、他人になりすまして生きる緊張からも解放される貴重な時間だった。サリーナの表情が強張っているのに気づくまでは。

「……どうかした? サリーナ?」

 イヴェットが聞くと、サリーナは手紙を差し出した。養家ラヴァルからだという。

「いつもの、ご機嫌伺いとご支援の内容かと思ったのです……」

 サリーナの声は小さく、震えた。

 イヴェットは受け取った手紙に目を落とす。そこには、クロードの筆跡で「火竜姫レアが王都に現れた」とあった。

 本物が生きていた。しかも王都に現れた。

 イヴェットの胸は激しく脈打つ。クロードは手紙で、まだ行方を追っている段階であり、当人に国に戻るつもりがあるかどうかわからないと言っている。何があっても今の火竜姫レアは君だ、必ず守る、と。

 火竜姫の替え玉は国家機密だ。レアが戻ってくるならイヴェットは不要になる。立場を追われるだけで済むはずがない。

 両手から炎を出して手紙を焼くイヴェットを、サリーナが心配そうに見守っていた。


 プルデンスがやって来たのは昼過ぎだった。手土産の菓子を受け取ったシーファが小躍りしてホールを出て行くのを、メイドが追いかける。クロードの妻でありシーファの母、レティシアも続いて場を辞そうとすると、プルデンスがそれを止めた。

「レティシア。今日はお前も話を聞きなさい」

「でも、大事な軍部のお話なのでは……」

 恐縮するレティシアに、プルデンスは柔らかく笑むと歩き出した。勝手知ったる屋敷、通される部屋はプルデンスが指定する。今日は温室で、すでにロゼが茶の支度を整えて待っていた。

「本当にここでよろしいのですか?」

 クロードは椅子を引いてプルデンスを座らせた。「会話が外にも聞こえますが」

「構わない。気が滅入るような話にはちょうど良かろう」

 天井まで全面ガラス張りの部屋は広くはないが、ラヴァル邸の造園を見渡せる位置にあり、中でも植物を育てている。陽光が差し込み花の香りが漂う空間はプルデンスの気に入りの場所だ。中央に置かれた丸テーブルは三人掛けると一杯で、ロゼは茶を注ぎ終わると呼び鈴を置いて出て行った。

「さて、まずはシーファの話からだ」

 プルデンスが口火を切る。レティシアは緊張した面持ちで頷いた。

「火事被害に遭った者たちには、ラヴァル将軍名義で見舞金を出した。なかったことにはできないが、怒りの矛先がシーファに向くことはないだろう」

 茶を一口飲んでプルデンスは続ける。「しばらくは倹約することだな。付き合いも控えて大人しくしておれ」

「それは、もちろん」

 クロードはテーブルの上で指を組んだ。夏至祭を打ち壊した身で、着飾って出歩く勇気はない。レティシアにしても、元来好んで社交する令嬢ではなかった。噂の的になるとわかっていながら表に出るはずもない。

 貴族社会において、舞踏会や有力者への献上品に金を掛けられないことは家の衰退に直結する。しかしそれはもはや些事だ。クロードとシーファは断罪されようとしているのである。

「中央法廷は、シーファは王都には置けないという見解だ」

 プルデンスの言葉に、茶のおかわりを勧めるレティシアの手が止まった。

「強力すぎる火器は、今の王都には不要なのだ。判決はディディエ殿下が待てをかけているが、衆目に晒された以上、シーファにとっても別の土地で暮らすほうが良い」

 娘の置かれた状況を突きつけられ、両親は沈黙した。確かに、シーファが火を放つところは大勢に目撃されている。ラヴァルの令嬢であることも知れ渡ってしまった。

「せめて十かそこらの歳であれば、魔導見習いとして軍に入れることもできたが、あとあと嫁の貰い手に困る」

 プルデンスは扇で口元を隠して笑った。彼女なりの冗談だとわかっていても、クロードたちには笑えない。

「一応は親戚でもある火竜領へ行かせるのが妥当なのだが」

 言葉が途切れ、扇から鋭い眼光が覗く。「モンテガント公に打診した」

「モンテガント!?」

 クロードは思わず腰を浮かした。ぬるくなった茶がこぼれる。レティシアが呼び鈴を鳴らし、ロゼがテーブルの始末をして新しい茶を持ってきた。

「公が火竜姫の子との縁組を望んでいることは知っている。私のところにも根回しに来た」

「生まれたらすぐ領地に引き取りたいとか。一体何を考えているのか……」

「お前こそ、頭は回っているのか? 赤子には母親が必要だ。だが母親の火竜姫は領主だ。赤子ともども領地を離れるのも、赤子だけ渡すのも無理な話。それを承知で言っているのだ。断れば、では年頃になったあかつきには、と話を持っていきやすい」

 口約束でも、すでにモンテガントが候補に挙がっているとなれば他の貴族を牽制できる。

「まあ、王都周辺の貴族は血統優先だから、ほかに引き合いが来るとも思えぬが。なんとか生きているうちにと老体に鞭打って奔走しているのだろう」

 貴族は位が高いほど人生を選べぬものだ、とプルデンスは断じた。

「公に借りを作る形になる。シーファまで嫁がせろと言い出しかねないではないですか!」

 クロードは憤慨した。

「願ってもないことだ。これからのラヴァル家にそれだけの価値があれば良いな」

「どういうことです?」

「兄上は将軍を辞職する」

「お義父様が!」

 今度はレティシアが声を上げた。

「そうだ。一騎士団長の首では足りん」

 プルデンスの言葉がクロードの胸に刺さる。父にも累が及ぶ可能性は想定していたが、こうもあっさりと決まってしまうとは。傷から血が滲み出すように不安が広がる。

「では、誰が次期将軍に?」

「当面は空席だ。議会での発言権は弱まる。左右軍に付け込まれるのが目に浮かぶな」

「そんな……」

 指揮を失えば軍力も自ずと下がる。長引けば解体され左右軍どちらかに吸収されるのがオチだ。

「心配するな。将軍辞職の件はまだディディエ殿下預かりとなっている」

 プルデンスは扇の先端をクロードに向けた。「お前にはやることがあるのだろう?」

 レアを探し出し、ディディエの前に突き出す。それまではすべてが保留だとプルデンスは言った。

「お前が騎士団長のままでいられるのも殿下のお取り計らいだ。レア捜索には手駒が要るからな」

 見舞金と将軍辞職で国民感情と左右軍への落とし前をつけ、クロードからは目を逸らさせる。王太子のお膳立ては完璧だ。言うまでもなく失敗は許されない。

 クロードは生唾を飲み込んだ。テーブルに置かれた拳が固く握られるのを、レティシアが青い顔で見つめる。

「正攻法では難しい。だからモンテガントなのだ」

 火竜領は実質旧ラビュタン王家の権力下でラヴァル家から動かすのは難しい。それよりも昔から親交のあるモンテガントを後ろ盾に、情報収集──場合によっては情報操作しながらシーファを守り、ラヴァルを支援するのが現実的である。

「モンテガント領へ行ってくれるな? レティシア」

 プルデンスの視線を受けて、レティシアは頷いた。

「ロゼを供に付けよう。公より承諾得られ次第の出立となる。準備を急ぐように」

「モンテガントまで行くなら私も」

 クロードが身を乗り出すと、

「いいえ、あなた」

 レティシアが制す。「シーファはわたくしが」

「しかし……」

「あら、騎士団長が王都を離れたら何が起こるかわかりませんわ。モンテガントはわたくしにお任せください」

 レティシアの顔色は悪いままだが、夫を見返す目には力が戻っていた。

「わたくしの実家にも、あらかたの経緯は伝えております。路銀くらいは用立てられましょう」

 言葉にも頼もしさが窺える。

「モンテガント公には失礼のないように。具体的な指示は追って伝えよう」

 プルデンスは満足そうに目を細めた。

「さてクロード、これでお前が心配すべきなのは自分の仕事だけだ。存分に励めよ」

 扇で口元を隠し、プルデンスは呼び鈴を鳴らした。現れたロゼとともにレティシアが退室する。クロードは冷め切った茶を飲み干してプルデンスの言葉を待った。

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