夏至祭

 燃える。燃えている。

 炎は意思を持つかの如く敷石の路上を這う。千切れた輪舞に代わって立ち上がり踊る。露店のいくつかは庇を舐められ、売り物は炭と化す。広場には悲鳴と怒声が飛び交い、逃げる人に踏みしだかれた花冠は熱に抱かれて発火する。

 目を開けていると眼球が炙られる。かざした指の隙間から見える赤い世界。数歩先に立つ少女の、すくい上げる仕草の両手から、湧いてはこぼれる炎。これは、魔法だ。


*****


 マルリルの花が盛りを折り返す頃、半島に吹く風は南から潮の香りを運んでくる。野山は緑を濃くし、種々の花が彩りを添える。苗付けが終わった畝では、渡る風に翻る葉が日の光に輝く。

 夏。一年で最も美しく、生気あふれる季節。窓を開け放ち上着を脱ぎ捨て、人々は明るく心地よい暑さを享受する。

 そんな夏の訪れを祝うのが夏至祭だ。

 夏至の日、街や村の単位でそれぞれに催される季節行事で、半島に暮らす者はこれがないと夏が始まらない。規模は地域ごとの文化や人口に左右されるが、この日ばかりは戦場の兵士ですら休暇をもらって帰ってくるほどだ。

 祭の中心地には朝から火が焚かれ、人々はそれを囲んで輪舞を踊る。未婚の女は花で編んだ冠を被り、男は葉のついた小枝で想いびとを輪舞に誘う。酒や軽食を売る露店が並び、大きい街なら道化や芝居の見世物小屋が建つこともある。

 焚き火は夏を象徴している。炎がもたらす熱と光は、生命を育み繋ぐ精霊の息吹だ。盛夏の太陽のように勢いよく一晩中燃やし、富める者にも貧しき者にも隔てなく分け与えられる。人々は藁を一本手にして集まり、ランタンに火を移して持ち帰る。あしたの豊穣と繁栄を祈りながら。

 セルジャンでは王城近くの広場が祭の中心地となる。噴水の石組みに金属の板で蓋をして水を止め、その上に薪を組む。城の至近で大きな火を焚くのは最小限の人員で警備する都合だ。浮かれる群衆はここに集まり、いざこざもここに集まる。

 衛兵とは別にクロードが指揮する騎士団からも、出身地が近い者から選抜した交代制で常時二十名が二人一組で城下の見回りをしている。見習いを含めた未婚の若者は早番で、勤務が明ければ祭に参加してよいとするのが、クロードが団長になる以前からの伝統だ。これから伴侶を見つけようという年頃には、出会いや進展に重大な意味を持つ祭だからだ。また、夜間のほうが〝出番〟が圧倒的に多い。熟練度の高い騎士を遅番に厚くするためでもある。

 クロード自身はというと、警備の指揮を大隊長に任せ、いち貴族として妻子とともに王城に来ている。

 近郊の貴族は昼過ぎに王城に招かれ、貴族だけの祭事を行う。茶会から晩餐、舞踏会の長丁場なので、各々が都合に合わせて出入りしてよいことになっている。

 多くの来賓が、王族や中央の権力者が出席する夕刻から夜に集中する。だが、クロードは毎年夜間警備にかこつけて、茶会のうちに帰る妻子に合わせて退出していた。家督はまだ父にあるので、将軍が晩餐から出席すればラヴァル家としての体面は保たれる。騎士団長たる者、貴族も庶民も浮かれる日だからこそ気を引き締めねばといえば、仕事熱心を褒められこそすれ、咎められる筋合いはない。


 それは、ほんの思いつきだった。

 今年も、例年どおり茶会の終わる頃に席を立とうとした時だ。晩餐前に帰途につく賓客への土産として夏至祭の火を移したランタンが運ばれてくるのを見て、クロードは街の火をシーファに見せてやりたいと思った。

 城の馬車寄せは広場とは反対側にあるうえ、祭の当日、庶民であふれかえる広場側の目抜き通りは馬車の通行を禁止している。妻と馬車で移動するシーファは、まだ大きく焚かれる火と祭の熱気を経験したことがない。勤めもあって、普段から一人で馬を駆るクロードは、今日も妻子とは別に愛馬で城に来ていた。

 馬に乗せて帰れば、城門の脇から広場のほうへ抜けて、道すがら焚き火見物ができる。シーファは魔法特訓でプルデンス邸に詰めていたし、自身の勤めもあって、ここしばらく顔を合わせていなかった。まだ明るいし、馬に乗るだけでも気晴らしになるだろう──そんな、軽い気持ちだった。


 街へ入ると祭の空気が濃くなる。串焼きの肉や、腸詰を挟んだパンや、花冠と小枝をかたどった焼き菓子。食べ物を片手に練り歩く者たち。道端に並ぶテーブルと椅子。酒を飲んでいる者たち。

 初めて見る光景に、シーファは身を乗り出してはしゃいでいる。すれ違う通行人は、礼装の騎士と通る〝小さな姫君〟に花冠を差し出す。クロードがひとつ受け取って被せてやると、シーファは目を輝かせて振り返った。

 クロードはゆっくり馬を歩かせながら、警備の詰所のほうへ向かっていた。ここに馬を預けて、混雑の激しい広場には徒歩で入る。最も人出の多い夕刻まではまだ間があるが、念のため、手空きの兵を一人借りた。

「お父様、わたし、あのお菓子をいただいてみたいわ」

 クロードの手を引っ張ってシーファが露店を指す。夏至の火を中心に踊る人の輪が回り、その外に楽隊と露店が並んでいる。燃える薪の匂いと人いきれ。貴族の暮らしからは見えない、国を支える人々の姿。

「足元に気をつけて。手を放してはいけないよ」

 窘めながらも、クロードは娘が喜ぶ様子に頬が緩んだ。

「お父様」

 焚き火がよく見えるところに来ると、シーファは突然足を止めた。「わたし、……」

 シーファの声は先程までの興奮を失い、喧騒にかき消された。

「何だい?」

 クロードは腰を屈めて聞き返す。シーファの右腕がまっすぐに上がり、正面を指した。

「わたし、あそこに行きたい」

 娘の幼い顔からは笑みが消えている。指が示す方向には、燃え盛る炎。

 呼応するように、シーファの指先に火が灯った。火球に変わるそれを、手首を返して包み込む。

「シーファ!」

 クロードが硬直した一瞬の隙に、シーファの手から火柱が上がった。音楽は止み、悲鳴が響く。火柱は大蛇のようにうねり、焚き火に鎌首を突っ込んだ。

 シーファはクロードの手を振り払って、一歩また一歩と焚き火に近づいていく。

「応援を呼んで避難誘導しろ!」

 クロードは詰所で借りた兵に指示を出した。

「シーファ! 炎を鎮めろ! 大叔母様に教わったことを思い出せ!」

 娘の背に叫ぶが、シーファは放心したように両手から炎を立ち上らせ続けている。マルリルの花を燃やした時とは比べものにならない火力。顔を向けているだけで、産毛が全部燃えるような熱さ。もはやクロードも近づくことはできない。〝千里を薙ぐ〟の文字が脳裏に浮かぶ。

 このままでは広場から周辺の民家へ、風向きによっては王城にも被害が及ぶ。なんとしても広場で食い止めなければ。せめて水を、と思っても、噴水は焚き火の下だ。

「誰か魔法を使える者はいないか!」

 クロードは祈る。最悪の選択肢には気がつかないふりをして。

「騎士団長殿!」

 詰所の方面から数名の兵が駆けてきた。

「近くにいた見回り組を集めて、避難誘導、消火水の運搬に手分けして当たっています! 城内からも応援を呼んでいます」

「怪我人は詰所で手当てしています。重傷者はおりません!」

 兵たちは口々に報告する。そこへ騎士団の大隊長が馬を走らせてきた。

「馬上から失礼! 団長殿、この勢いでは水で消すのは無理です!」

「わかっている! 誰か魔法が使える者に、制御の方法を指導させる!」

 叫ぶクロードの背を汗が伝う。炎熱のせいだけではない。「誰かいないか! 大魔導閣下にも報せてくれ!」

「団長殿! 猶予がありません!」

 大隊長も怒鳴る。炎は広場で踊り狂い、隣接する民家への延焼が始まっている。

「術者を、斬るしかありません──ご命令を!」

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