再会

 サリーナ。主人のイヴェットが火竜姫に仕立て上げられて、見ず知らずの土地で秘密を抱えながら生きる羽目になった娘。イヴェットと二人、逃げ出した城下の路地裏でごろつきに震え上がり、粉屋の二階でパンも喉を通らないほど萎縮していた。

 反面、主人のこととなるとはっきりと意見を言う。帝国兵に扮してイヴェットを攫おうとするベルカントには、ごろつきよりも恐怖していただろうに……自分も連れて行けと食い下がった。

 あの時のサリーナの真っ直ぐな視線が、過酷な日々に擦り切れたベルカントの心に引っかかった。


 懐に手を突っ込んで木片を確認する。「約束の月」──満月に見立てて円く削った木片を二つに割り、再会を願って分け合うチチェクの風習だ。

 木片の半分は、「捨てていい」と言ってサリーナに渡した。モンテガントへ、チチェク王家との血縁を持ちかける嘆願書を添えて。

 普通に考えれば片割れは捨てられ、書状はサランジェ卿へ渡っているはずだ。再会したとして、その先を期待するべくもない。

 リオネルを見守るついでに茶の一杯を馳走してもらうだけだと、誰に言うでもない言い訳を反芻しているうちにもう扉は目の前だ。


 薄く開けた扉の隙間から中を覗き込むと、一人の女がこちらに背を向けて茶の支度をしていた。煮立った鍋からは青苦い独特の香りが漂っている。

 なんとなく気まずさを感じて、ベルカントは足音を忍ばせた。一歩、二歩と近づいていくのを、忙しなく手を動かしている女は気づかない。すぐ後ろで女が間違いなくサリーナであることを確認する。


 サリーナは小壺から干し果肉を出していた。テーブルには木片が置かれている。約束の月の片割れだ。

 ベルカントははやる気持ちを抑えて平静を装った。

「俺のには入れないでくれよ。それ果肉、嫌いなんだ」

 果肉を取り落としてサリーナは固まった。震える肩越しに腕を伸ばして、木片を合わせる。約束の月は、その裂け目をぴったりと符合させてひとつに戻った。


 続ける言葉に迷っていると鍋が吹きこぼれた。サリーナは役割を思い出したことで動揺を払えたらしく、弾かれたように鍋を見に行く。

「これはイヴェット様用の薬草茶です。果肉を入れないと、苦くてとても……普通のお茶を別にお淹れしますから……居間でお待ちください」

 振り返りもせず告げるサリーナから、緊張が伝わってくる。ベルカントは短く返事をすると、入ってきた扉から外へ出た。

 戸板にもたれて息を吐く。別れの夜に「嫌でないから困る」と言った時よりも、彼女の心は閉ざされたように感じた。


「苦しむだけです。あなたも彼女も」

 聞き慣れたセミフの声がしてベルカントが顔を上げると、正面に腕組みしたセミフが立っていた。

「来てたのか」

「ウゴだった頃とは違うのです。単独行動はお控えください」

「わかってる」

 ベルカントは足早にセミフの脇を抜けた。軽く挙げた右手に、親指の指輪が重い。


 戦場に赴けば、命は運命の天秤の上だ。幸いにして、今回は生きて戻ることができた。チチェクの男が月に誓った約束もある。近くを通るついでに顔を見て、踏ん切りをつけて旅立つ。それでいいと思っていた。

 初めから行きどころのない想い、焦がれるほど燃え上がることはない。最後の一人になっても生き延びて戦い続けるよう宿命づけられた王子としての人生、正体を明かせばさらに命の危険は増す。出陣前に木片を預けたのも、忘れるつもりで心の整理をしただけのはずだった。


「でも」

 後ろからセミフの声が追いかける。ベルカントは足を止めた。

「苦しい道と知りながらそれを選べるのも、若いうちです。この村に再び来れたのも月の導きでしょう」

 セミフはベルカントに向き直って跪いた。顔を伏せている側近は、密命を帯びて国を出された少年を兄として育ててきた男だ。

「明朝お迎えにあがります。私はこれで」

 立ち去るセミフの背中は大きかった。


 その頃庭では、リオネルがイヴェットとの再会を果たしていた。断片的に聞こえてくる赤ん坊の泣き声や物音から、炊事場の裏にいても何が起きているのかはわかる。ベルカントは静かに炊事場を後にした。

 チチェク勢の拠点は引き払ったため、村の中に行き場はない。圧力をかければ何とでもなるが、ベルカントはもう村人と関わりたくはなかった。自然と足は民家の少ないほうへと向かう。


 村の外には牧草地帯が広がっている。枯れ切って色の少ない景色に、快晴の空の青さが映える。

 国土を取り戻し、チチェクの王になる日は来るのだろうか。ふと弱気な考えがよぎって、ベルカントは自分の横っ面を張った。

 必ず悲願を果たす。王家はチチェクの民に甚大な犠牲を強いたのだ。おのれ一人不幸に浸ることは許されない。

 帰ろう、気晴らしは済んだ。どうせ長居するつもりはなかったのだと、踵を返すベルカントを、

「あの!」

 女の声が呼び止めた。

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