第四章 錯綜する思惑

ウゴの正体

「……チチェク王家の末子だと?」

 セルジャン、王城内は玉座の間。宰相の報告にオクタヴィアン国王イアサント・アンブロワーズは眉根を寄せた。脇に控えて共に話を聞いていた王太子ディディエも表情を硬くする。

 左右の二将軍も呼ばれていた。玉座に向かって立つ宰相の後ろに跪いている。

 玉座の間へと宰相の報告に随伴するのは、報告後の王の判断を速やかに下知する緊急性がある時だけだ。つまり今、それだけの事態が起こっている。

「チチェク王家の証なる指輪を持ち、第三王子ベルカントを名乗っております」

 張り詰めた空気に臆するふうもなく、宰相は続けた。

「記録によるとチチェク王直系の親族は半島統一時の戦いで央軍が討ち取ったか、捕縛したのちに自害しており、血統は絶えております」

「ならば偽物か?」

 語気荒くディディエが立ち上がる。「それとも、亡霊が出たとでも?」

 掴みかかりそうな勢いで宰相に詰め寄った。

「第三王子は開戦以前に逝去したとの記録がございます。おそらく、侵攻への動きを察して先手を打っておいたのでしょう」

「その亡霊がなぜ、火竜軍を従えて向かってくる!?」

「いえ、火竜軍はチチェクに従っているわけではないようです。火竜姫が偽物だったことが明らかになり、旧ラビュタン国としてその報復を名目に掲げております──チチェクの後ろにはボブロフの脅威がございます。保身のため、一時的に手を組んだものかと」

「建前などどうでもいい! 要するにラビュタンはアンブロワーズを裏切った。そういうことだな?」

 ディディエは鼻を鳴らして王の脇へ戻った。

「一枚岩になりきれていなかったのは、我がオクタヴィアンも同じだったか……」

 玉座から吐き出される王の落胆が場の空気を塗り潰す。

「父上! 覇気のないことをおっしゃいますな! 臣下の前ですぞ!」

 ディディエが声を張り上げた。「それで、首尾は?」

 宰相は返答の代わりに左軍のブリエンヌ将軍を振り返った。

「敵は、火竜軍──ラビュタン軍と国境侵略のチチェク勢合わせても一万と少し。左軍の五万、火竜領方面に差し向けてございます。セルジャンから北四日のところで迎える見込み。王都の土は踏ませません」

 ブリエンヌから直接報告する。

「セルジャンの守りは?」

「右軍の五万にて固めます」

「央軍六万はどうする。ラヴァルに反逆の意思があった場合、右軍だけで押さえ込めるのか?」

「ラヴァルも我々と同じく歴々の将軍職。放蕩息子が一人出奔したところで、殿下のご心配に及ぶようなことは……」

「そうですとも!」

 右軍のベロニド将軍が口を挟む。「ラヴァル卿と大魔導プルデンスはこちらの手の内。あの二人なくして六万の兵は動きますまい」

「呑気なことを」

 ディディエが一蹴する。「央軍の魔導師団にはチチェク人が多い。王子の生存を流布しているのは内部から呼応させ寝首を掻く算段だと思わないのか!」

「それは……」

 ベロニドは口をつぐんだ。

「よい、ディディエ。控えよ」

 王の声が静かに響いた。ディディエは憮然としつつも玉座に向かって跪く。宰相と二将軍は平伏した。

「左軍の配置はよい。ブリエンヌは直ちに指揮に向かえ。ラビュタンに身の程を弁えさせよ」

「はっ!」

 王の命令に、ブリエンヌは一礼してその場を辞した。

「チチェク人は一人残らず身柄を拘束せよ。少しでもまだセルジャンに残っているなら」

「まさか!」

 驚くディディエを片手で制して王は、

「ラヴァル将軍と大魔導プルデンスは釈放し、央軍の指揮に当たらせるよう」

「しかし、まだクロード離反の本意は確認できておりません。危険では……?」

 ディディエが伺う。

「ほかに六万を御せる人材はいない。長年の貢献を信じよう」

「解体して右軍に編成しなおせばよいかと」

「付け焼き刃では意味がない。相手がラビュタンとチチェクだけならばそれもよいだろうが」

「ボブロフが援護すると? チチェクの残党にそこまで肩入れするでしょうか?」

「そうだ、繋ぎ役がいる。大陸と隣り合わせているのはラビュタンだけではない」

 王の眼が鈍く光る。

「──モンテガント……!」

 ディディエは歯軋りした。


 ──セルジャンに報せが届く七日前。

 スティナの砦での戦いは帝国軍優勢だったが、シェブルーからの最初の千、一日おいて後続二千が到着する。すでに砦の応戦により二千から数を減らしていた帝国軍は勢いをなくし、防戦に転じた。

 南寄りの潮風がスティナ山脈から吹きおろす北風に変わると雨が降る。この柔らかく包むような雨を半島では〝夏の精霊の涙〟と呼ぶ。だが戦場では移ろっていく季節に別れを惜しむ暇はない。

「完全に帝国を包囲しました!」

 砦の見張り台にいたマリユスに報告に来たのは、まだ少年と言っていいくらいの若い見習い兵だ。勝利を確信してか、声は上擦っている。

「油断するな、よもやとなれば敵は捨て身になる。退路を完全に断たず穴を空けるように伝えよ」

「は……!」

 老将の威厳に若者は表情を引き締めた。「退却した場合は追いますか?」

「現地の指揮に任せよう。我々は援護に回る。動ける者で小隊を組み、前線へ糧食や薬を運べるようにしておけ」

「はっ!」

 若者が踵を返す。その背を見送って、老将は静かに息を吐き出した。

 なんとか持ち堪えた。だがこれで山脈越えの奇襲二千を蹴散らせば、大陸から本隊が来る。他に方法がないとはいえ、まんまと敵の思う壺に嵌ってしまった。

 改めて戦場に目を遣る。煙る雨の向こうには味方の三千が帝国──チチェク勢を追い詰めているはずだった。

 シェブルーから援軍を率いてきた現将軍グザヴィエは、馬上でマリユスからの伝令を受け取って即、陣形を変形させた。実践経験豊富なマリユスは、リオネルと同世代のグザヴィエにしてみれば親や師のような存在である。助言には素直に従い勝ちを確定していく。

「これは帝国本隊ではない。退却するようなら追うな!」

 雨の影響もあり火柱の数は減った。魔導士は持久戦に弱い。斃さなくても、休ませなければ魔法力が尽きる。無傷の援軍はそれを叶えた。敵が逃げるなら追う必要はない。それよりも、少しでも消耗を抑えて次に備えたほうがいい。

 陣形は横に伸び、数の差を見せつける。じりじりと敵の前線が後退していった、その時だった。

 騒然と、グザヴィエから見て右翼の隊列が乱れる。敵に面して並行に押していたはずの陣形が、見る間に折れ曲がって収縮した。視界を邪魔する雨の向こうには目を凝らせば、火球が矢の速さで降っている。

「何だ!? 何が起こっている!」

 グザヴィエが問うとばらばらと声が返る。

「敵に増援が! 弓騎兵です!」

「数は!?」

「ざっと二千……」

 言いかけた兵士が馬から落ちる。その背には燃える矢が突き立ち、兵士の体は炎に包まれた。

「ぐっ、あああ……!」

 立ち上る火柱に、グザヴィエの馬が驚いて立ち上がる。それを宥めているところに、火矢が飛んでくる。

「く!」

 盾で防げば甲高い音が響く。矢は金属製のようだ。高価な武器を惜しげもなく放ってくる。

 ──ついに帝国本隊のお出ましか? 降りしきる〝夏の精霊の涙〟は、半島を守護してはくれないのか。いずれにせよ一旦体勢を立て直す必要がある。グザヴィエは一時退却の指示を下した。


 翌日、雨は上がった。帝国側から申し入れられた休戦に応じたマリユスは、合流したグザヴィエと共に砦で使者を迎えることになった。

 マリユスとグザヴィエはラビュタン流の使者への礼儀として武装を解き、略式だが礼服を纏う。一方で、柱の陰や衝立の裏には兵士を潜ませた。使者が刺客でないとは、まだ言い切れないからだ。

「夏の精霊が去ったと思うと、それだけで幾分、冷える気がするな」

「は……」

 応対の間で下座からマリユスに話しかけられて、グザヴィエは恐縮した。

「退却は、良い判断だった」

「恐れ入ります」

 こうべを垂れる若者に、老将は笑みを向ける。

「今はそなたが上官だ。後は頼みましたぞ」

 グザヴィエは頷いた。

 程なくして扉が開いた。案内されて入ってきたのは、男が二人、女が二人──、

「レア様!」

 グザヴィエは思わず声を発した。そこにいるのは、庶民の衣服に身を包んでいるが、火竜公レアに違いなかった。マリユスも驚きを隠せない様子で、目を見張っている。

 シェブルーで侍女とともに消えたレアを捜しているのはグザヴィエも聞いていた。王都セルジャンに〝本物〟が現れたという噂も。

「……ご挨拶をさせていただいても?」

 二人いる男のうち、やや年嵩の男が一歩、前に進んだ。グザヴィエは咳払いをして居住まいを正す。

「このお方はベルカント・チチェク・クラル──チチェク王家の生き残りにして正統の継承者、ベルカント王子であらせられます」

「王子!?」

 突拍子もない単語に、グザヴィエはもはや体裁を繕うのさえ忘れた。チチェクが滅んだのは彼がまだ少年だった頃。他国の王子の顔など知る由もない。王子と呼ばれた男は装飾の少ない実戦向きの騎士服で、身なりから身分を判じるのは難しかった。精悍なかんばせはにこりともせず、厳かな佇まいを見せている。

 どう受け止めればよいものかと思案に暮れていると、

「なるほど、それで統制の取れたチチェク式操兵が実現したというわけですな」

 横からマリユスが口を挟んだ。

「ではこの方は本当にチチェクの王子だと?」

 グザヴィエは一人合点の老将に問う。

「少なくとも、帝国内にありながら十年の間、チチェクの遺志を守り抜いた指導者であることは間違いない」

 断じるマリユスの表情は硬い。王子かどうかは測りかねているのだろう。直々に使者として訪れたその真意も、領主がここにいる理由も。

「そちらは?」

 平静を取り戻して、グザヴィエは年嵩の男に誰何すいかする。

「申し遅れました。私はセミフ・サヒン、チチェクでは近衛兵長を務めていた者です」

 男は片膝を突いて名乗った。「帝国ではラウル・ファルカウと名乗り、一騎兵ウゴ・ファルカウに身をやつした殿下の兄を演じてまいりました」

 言い終わると、若い男が右手の親指から指輪を抜いた。セミフがそれを受け取り、グザヴィエに恭しく差し出す。

「これはチチェク王位継承者の証です。アンブロワーズに敗れても、チチェクがまた花開くよう逃された種子」

 グザヴィエは指輪を手に取った。大粒の美麗な石だけを見ても、確かにラビュタンに伝わる王家の証に匹敵する。しかし模造や盗品の可能性はある。

「失礼ながら、この場では何とも申し上げられない。あなた方は帝国ではないのか? 我が主火竜公がそこにいる経緯についてもお聞かせ願いたい」

 指輪を返す。グザヴィエの反応は予想どおりだったのか、セミフに悪びれる様子はない。

「ラビュタン前王ならば、指輪の真贋を見極められましょう。話は少し長くなります。ご婦人方の分も、席をご用意いただければ」

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