大魔導の庭

 色とりどりの花が咲く庭の中心で、大人の男の背丈ほどの噴水が初夏の陽射しを散らしている。貴婦人の住まう館によくあるマルリルのアーチをくぐると、その奥に小高く造られたあずま屋で読書に勤しむ人物がいた。金糸の刺繍で縁取られた薄布を羽織るその人は大魔導プルデンス、将軍直下で魔法を使う兵──魔導士を率いる司令塔である。

 庭園の手前で、案内してくれた執事に帯びていた剣を預けると、クロードはあずま屋に登る階段下で跪いた。

「ご機嫌麗しゅう、大魔導閣下」

 プルデンスは本を閉じてクロードに向き直った。ゆるくまとめ上げた金髪が逆光に透ける。プルデンスは細い指先をわずかに振って執事を下がらせた。噴水の音が沈黙を埋める。

 クロードは勧められるままにあずま屋に上がり、対面に腰を下ろした。

「お前がこうしてやってくる時は大概悪い知らせだ、クロード」

 ため息に呆れと諦めが表れる。「可愛い甥よ、今日はどんなお願いだ?」

 プルデンスは父の、母違いの妹だ。若い頃から魔法の研究に明け暮れ、独り身を貫いている。半島統一の際には魔法使いを指揮して父の背後を守った。彼女がレアの素質を理解し引き出さなければ、チチェク制圧は成らなかっただろう。

 レアが消えた後、クロードが真っ先に相談したのはこの叔母だった。父や自分とは違い、軍の中枢にありながら国や貴族社会から一歩引いたところで物事を見ている。チチェクから降った魔法使いも、彼女にだけは忠誠を誓う。

 クロードは娘が突然炎を出したことを伝えた。

「ほう……」

 プルデンスの片眉が上がる。

 魔法の力自体は、主に親からの遺伝で、素質があれば成長とともに発露するもので特別珍しくはない。ただ、魔法には精神の力が作用する。その関係上、両親が魔法使いであっても十二、三歳頃が普通だ。クロードも承知で、だからこそ、ここへ相談にきた。

「まだ七つだったな? お前の娘は手足に鱗でも生えていたかな?」

 プルデンスは扇で口元を隠した。この仕草をする時、叔母は面白がっているのをクロードは知っている。

「笑い事ではありませんよ。またいつ火を出すかと思うと、おいそれと外に出すわけにもいかず」

 言葉を聞いて喋れても文字を学ばなければ読み書きができないように、炎を引き出し、操るには訓練がいる。

 シーファは自分の意思なく炎を出し、それを収める術を持たなかった。突然出した炎はごく小さなもので、水をかけて消し、事なきを得た。世話係に水を備えさせているが、いつまでただの水で消せる規模でいるかわからない。

 クロードには確信があった。娘に発現した力は、そのうちきっと強くなる。おそらく、火竜姫に並ぶほどに。

 早急に手を打ちたいが、ことを大げさにしたくない。剣技一筋の騎士団長の娘が、凡庸でない──かもしれない魔法の素質を見せたとあれば、世間は騒ぐ。すでに屋敷の者には知れてしまった。〝まぐれ〟で済ませられるのは一回だけだ。

「直々に手ほどきしよう」

 プルデンスは言った。「そのかわり、私には隠し事なしだぞ、騎士団長殿」

 閉じた扇の先で指され、クロードは深く息を吸い込む。想定はしていた。元より、叔母の知識と知恵を頼ってここへ来たのだ。魔法に関する情報は誰よりも早く手に入れ、独占したがる質なのも知っている。

 十年、秘密を守った。レアは別人として生きているのだろうか。あれ以来、際立った炎の使い手の話は聞かない。火炎が薙ぎ払った土地にも新しく樹木が育ち、森林の姿を取り戻してきているだろう。自分に起こった出来事は、〝火竜姫死す〟の筋書きに矛盾する。誰にも話せなかった。だが、今は。

 おぼろげな記憶は、ひとつの可能性を示していた。毒が臓腑を蝕んでいく、その痛みと苦しみ。啜るたびに癒してくれたあれは、レアの……。

「火の精霊サラマンダーの生き血」

 クロードの言葉に、プルデンスは扇を引いた。再び広げて顔を扇ぐ。

「興味深い」

 扇から目だけ出してクロードを見据える。無言に促されて、クロードは重い口を開いた。


 火竜公懐妊の正式な報せは、間もなくして中央に届いた。主治医の見立てで半年以内には生まれるとあり、そこから半年、つまり今から一年あまりは、戦地帰参はままならぬと。

 軍幹部はさほどの動揺を見せない。火竜公が女である以上、結婚出産は想定の範疇だ。対策は〝平和的外交〟を以って成された。今では火竜公第一子誕生に各国の王の名で祝いの品くらい届くだろう。

 一方で、隣国ボブロフは侮れない。この機に従属を迫ってくる、そう予見して武装強化を声高に叫ぶ者がいれば、そうやって兵を集めることこそが敵意ありとみなされ、付け入る隙を与えると制する者がいる。

 議会は平行線をたどったまま、三日目を迎えた。議場は王城の一角にあり、クロードは中央騎士団の長として円卓の外に座る。

 シーファは、プルデンスと話がついて即日、乗馬特訓という名目で母親とともに花の屋敷に身を寄せた。私邸の奉公人にはロゼが上手く執りなしている。大丈夫だ、己に言い聞かせると、列席者のざわめきが耳につく。間もなく、議場の扉が開いた。

 議長を務める宰相に続いて、王下で中央軍を指揮する三人の将軍が入場する。左軍将ブリエンヌ卿、右軍将ベロニド卿、央軍将ラヴァル卿──クロードの父だ。今日は大魔導プルデンスを従えている。

 それぞれが円卓に着くと、宰相は厳かに開会を宣言した。議題はこれから先一年の国防の方針。円卓の中で昨日までと代わり映えのしない議論が始まる。

 茶番だ、クロードは思った。この国の大体のことは、宰相と国王の間で決めている。将軍たちに意見を出させるのは、最終的に矢面に立つ彼らに一応の納得を与えるためだ。今回でいえば、隣国に対して特別に警戒するつもりはないだろう。ボブロフはボブロフで、ここ数年内紛に手を焼いている。火竜公が動けぬと知ったところで、おいそれと国境を侵せる状況ではないのだ。

 だが、万が一に備える必要はある。平和的外交も、背後に〝千里を薙ぐ〟の威光あってこそだ。半島を統一してから年々国力は上がっているものの、北の大国には及ばない。兵力の差を覆す何か、それさえあれば。

「新しい火竜姫など立ててはいかがか」

 突然の大魔導プルデンスの言葉に、クロードは脳天を割られたような衝撃を受けた。口を開くが声は出ず、遅れて息を吐く。この席からの発言は、求められた場合以外許されていない。クロードと同列の文官や他二軍の騎士団長が顔を見合わせる。

「心当たりでもあるのか、大魔導よ」

 一瞬で張り詰めた議場の空気を割って、ラヴァル将軍が問いかけた。プルデンスは口元を隠していた扇を閉じて立ち上がった。

「簡単なことです。少女をひとり選んで、任命すればよい。火竜公も国境赴任後はその力を披露する機会なく女の幸せを謳歌しておられる。〝千里を薙ぐ〟がどのようなものか、チチェクの残党が語り継いでくれたおかげで、ボブロフは試してみようなどとは思いますまい」

「またいたいけな少女に重責を課すと? 大魔導殿は相変わらず非情でございますな」

 円卓では最年長のブリエンヌ将軍が鼻で笑った。「ご自身が名乗りを上げればよろしいのでは?」

 プルデンスは穏やかに微笑みを返す。

「わたくし程度の者、どこの国にもひとりふたりはおりましょう。そうでなく年若くして力を持つ、だから良い。五年先十年先の充実を匂わせて、永く無用な争いの抑止力となる」

 一同は沈黙した。

「宗教ですな」

 呆れた様子のブリエンヌを一瞥し、プルデンスは立ち上がった。

「宗教、結構なことだ。それこそ民の救済ではありませぬか。戦争が起これば、いたいけな少年少女や働き盛りの若者がどれほどの数失われるか。竜の炎に焼き出された者たちも、今はその庇護下で平穏無事を享受している。火竜公レアが戦線から遠のいても、代わりがいるとなれば民も安心するでしょう」

 涼しい顔でプルデンスは続ける。

「要は有事に至らなければよいのです。たかが一年。軍備強化は国の務めとしてこれまでどおり行う。特別北部に兵を集めるようなことをしなければ、いかな大国といえど、干渉する道理はないというもの」

「異議あり」

 ベロニド将軍が右手を挙げる。「我々は万が一、有事の際にどうするかを話している」

 プルデンスは黙ってベロニドに視線を投げた。知将と評される男に議場が注目する。ひとつ咳払いをしてベロニド、

「火竜の威光がまばゆいからこそ、翳りが見える時を諸国は手薬煉引いて待っているのだ。付け焼刃で次なる火竜を仕立て上げたところで、どれほどの抑止となるか」

 そうだそうだとブリエンヌが身を乗り出す。父ラヴァルだけが、プルデンスの意図を悟ってか──あらかじめ示し合わせていた可能性が高いが──黙って話を聞いていた。

「その時は、王下三軍の出番でしょうなあ」

 プルデンスは優雅に扇を振った。にわかに立つ風の吹く先に、貴婦人のすました顔。「元々なかったではありませんか、千里を薙ぐような火力など、我々には」

 かつては騎馬と歩兵中心の軍で遠征を繰り返し、半島を統一したあかつきにはボブロフ国境をも越えようとしていた。人に非ざる力を拾ったのは、たまたまだ。

「〝お護り〟があってもなお一戦を望む国があるなら、戦えばよい。チチェクの教訓を生かして各軍兵法は見直されておりましょう」

 チチェクのような小国にてこずるような兵構成で大国に攻め入るのは単なる愚行。魔法使いを効果的に配置するべきだと、当時ラヴァルから上申している。結果、ボブロフとは当面の友好を結ぶ形になった。

「まさかこの十年、火竜公の力を当てにして、何も進歩してないということは?」

 プルデンスの言葉に、左右二軍の将は口をつぐんだ。

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