想いを重ねて

 ベルカントの腕の中でサリーナは硬直していた。手巾とともに滑り落ちた木片が床で乾いた音を立てる。

 長身のベルカントの胸にサリーナの耳が触れていた。激しく打つ心臓の音を聞かれるのは面映い。しかし何より、ベルカントは今の自分の表情を見られたくなかった。きっと情けない顔をしているに違いない。

 ややあってサリーナの手のひらが、ベルカントの胸を押し返した。

「お茶が冷めてしまいますわ」

 声は震えている。困らせていると自覚しながら、ベルカントは回した腕を緩めなかった。

「今、少しの間だけでいい」

「でも、窓が……いけません、私などに」

「俺は構わない。あんたに何か言う奴がいたら、脅されて仕方なかったと答えればいい」

 背を丸めて上半身でサリーナを包む。こうなると女の力では振り解けない。男が卑怯なのは宿命だ。

「サリーナ、あんたが好きだ。何もしてやれないくせに、求める気持ちを捨てられない」

 抱きしめる腕にサリーナのささやかな抵抗と体温が沁みる。自責とやるせなさで締め上げられても放してやらない身勝手は、たとえこれで嫌われたとて、痛みごと思い出として刻みたいベルカントの切実だった。

「畏れ多いことです……私の身分では、とても」

 サリーナは俯く。湿った吐息が衣服を抜けて肌に届いた。ベルカントは言葉に詰まって、そっと彼女の髪を撫でた。襟足から顔の輪郭をなぞる。頬にはやはり涙の筋が、紛糾した女心を表していた。

 親指で拭うと、さらに雫がこぼれる。彼女の瞳に映る自分を見て、ベルカントは堪らない気持ちになった。

「サリーナ」

 名前を呼ぶ。返事の代わりにサリーナはゆっくりとひとつ瞬きをした。

「好きだ」

 目を見てもう一度告げる。情けない顔を晒したはずだが、サリーナはベルカントの胸に頭を預けてきた。細い腕がおずおずと腰に回ってくる。力強く抱きしめ直せば、応えるようにしがみつく。

「あなたは、ひどい人です」

 呟いたあとサリーナは声を上げて泣き出した。しゃくりあげる隙間にこぼれる思いの丈に、ベルカントは耳を澄ませた。

「行きずりの女をその気にさせて戦場に行ってしまった。残された私は、ただひたすらに無事を祈る毎日でした」

 ベルカントの服を掴む手に力が籠る。

「知らないままでいたかった。自分の欲も、あなたの真心も。あの月の欠片で、私は十分だったのです。期待してはいけないと自分に言い聞かせてきたのに、あなたは、私を惑わせる!」

 サリーナは両手で顔を覆って床にくずおれた。こんなに取り乱すほどベルカントへの想いがくすぶっていたのには、当のサリーナも今日初めて気づいただろう。

 ベルカントは横に座って彼女の背をさすった。落ち着くのを黙って待つ。肩を抱いたり顔をのぞき込んだりせず、呼吸を数える。泣かせることしかできない男だ。泣きたいだけ泣かせてやるくらいの甲斐性は見せてやらねば。

 このまま朝になるなら、それも悪くない。サリーナの嗚咽が止まったあとも、ベルカントはしばらく背に手を置いたまま様子を伺っていた。

 静寂を破ったのはサリーナのくしゃみだ。

 いつのまにか暖炉の薪が燃え尽きていた。

「寒いのか?」

 火を点け直そうと暖炉に向かうベルカントを、

「私がやります」

 サリーナが追いかけて来ようとして──足が痺れていたのか、立った拍子によろめいた。ベルカントが反射的に伸ばした手が倒れかけた体を受け止める。安堵の息をいたところを、泣き腫らした目が見つめていた。

 ベルカントはまだ足取りが覚束ないサリーナを抱き寄せて口づけた。サリーナの冷たい指先が頬を撫で、暖炉に火を入れなければと思ったが離れがたくて、ベルカントはめいっぱいに広げた手のひらでサリーナの背を温める。二人はひとしきり唇を重ねあった。

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