別れ

「これでお別れ、ですね」

 ラウルとウゴはそれぞれに馬を引き出してきた。二人は帝国本部の直属だという。

 カカの〝提案〟をイリネイが認め、私を砦に引き渡す必要がなくなった彼らは、晴れて任務終了となる。私を乗せるための馬車は置いて、砦の馬で昼食も取らずに本部へ帰ることになった。

 私はカカと帝国首都ヴィスナグラドへ向かう。カカの母が囚われているのは皇帝の城らしい。

 ラウルが馬に荷を乗せ始める。ウゴは少し離れた馬車のほうへ、荷台の整理に向かった。

 旅を共にした彼らとの別れ。彼らの私の扱いは、ちゃんと「人」に対してのそれだった。私のせいで祖国を失ったはずなのに。気を許せる相手ではないが、名残惜しくないこともない。

 カカと二人きりになるのは気まずい。危機を切り抜けるためとはいえ、皇子の前で私を娶ると宣言したのだ。ヴィスナグラドに着いたら結婚しなければならないのか? 賢者にはそれを回避する策もあると思いたい。

 当の本人とはあの後まともな会話もできないままだ。私に「ラウルとウゴを見送る」と言ったきり、カカは一人で砦の面々と出立の段取りを決めた。今度は馬車のほうでウゴと何か話している。

「それにしても、よかった」

 馬の鼻を撫でながらラウルが言った。「あなたを置いて、後味の悪いまま帰還するはめになるかと思いました」

 ラウルたちも、私がイリネイにあんな仕打ちを受けるとは予想していなかったに違いない。

「しかし、賢者様があなたを見初めるとは。これ以上ない後ろ盾だ」

 羨ましい、と笑うラウル。皮肉やからかいのつもりはなさそうだ。見初めたのとは違うと思うけれど。私は、ずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

「カカは、何者だ? 賢者とは……」

 ラウルは、ああ、と察した様子で、

「はっきりと我々の身分を明かしておりませんでしたね。私とウゴはただの騎兵です。チチェクの敗残兵は、すべて本部の駒だ」

 この人も! 面と向かってチチェクと聞いて、私は心臓を鷲掴みにされた心地になった。

「気にしますか?」

 ラウルは私に目線を合わせるように膝を屈めた。

「チチェクは、あなたに滅ぼされたのではない。アンブロワーズに敗れたのです。そしてもう、あなたはアンブロワーズの兵ではない」

 差し出された右手を、私は握り返した。……それでも、この人たちは帝国で、チチェク人だった過去と戦い続ける。

「燃えるものがあるうちは、火は消えない。命ある限り生き続けるだけです」

 解いた手で一回、私の肩を叩く。「あなたも良い生を、マルリル」

 ラウルの笑顔はどこか空虚で、それ以上の会話を拒んでいた。

 燃えるものがあるうちは消えない。その言葉は、生きている限り忘れない、とも聞こえた。私が放った炎は、きっと今もどこかで燻っている。

「賢者様の話でしたな」

 話を戻そうとしたラウルは、こちらに戻ってくるウゴとカカに気づいて声を落とした。

「あの方は皇帝直属です。命令できるのは皇帝陛下のみ、だからイリネイ皇子も何も言えない」

「それはどういう──」

 食いついた私に、口元に指を立てて話の終わりを仄めかす。

「実際は複雑です。私も知らないことは多い。これから、あなたが自分の目で確かめるといい」

 いずれにしても、カカといる限りもう砦で受けたような扱いをされることはないはずだから安心していい。ラウルは締め括った。

 複雑、か。いつかの晩のカカに見せられた歯を、私は思い出していた。

「積んでいたものは片付けた」

 布袋ひとつ担いだカカに続いてウゴが馬を引いてくる。馬車には分けるほどの量を乗せてなかったのは私も知っている。野営の道具やわずかな食糧はあらかたウゴの馬に乗せたようだ。

「では、我々はここで」

 ラウルが一礼し、ウゴがそれに倣う。

「世話をかけた」

 カカもどこか改まった感じで彼らと視線を交わした。ただそれだけの素っ気ない儀式で、チチェクの二人は砦を去った。

 二人の後ろ姿が門の向こうに消えるまで、カカは無言で立ち尽くしていた。カカにとっては、彼らは母親の歯を手に行動を促し監視する、皇帝の目だったのかもしれない。毒の件を少しでも疑っているとしたら、行かせてしまうことに迷いもあったはずだ。

 でも、もう二人はいない。

 これからどうするのか。聞きたいが、今、私からではない気がしていた。

 一陣の風が私とカカの間を渡っていく。振り返ったカカは、布袋から何かを取り出した。クロードの剣だった。

「これはまだ、お前に必要なものだ」

 差し出すカカの表情は硬い。強いまなざしに射抜かれて、私の胸はまたざわめく。受け取った剣を抱きしめる手に力を込める。

 まだ安息は許されない。クロード、私に名前をくれた人。どうか私に、マルリルとして生きる力を──。

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