第29話 何度でも

学校が終わって、眞白さんのマンションに行った。


ドアフォンを押すと、しばらくしてドアが開いた。

眞白さんは右腕を肩からアームホルダーでつるしていた。


「何?」


わたしを見た第一声は、今まで聞いた事がないほど不機嫌だった。


「どうしてるのかと思って、様子見に来ました」


眞白さんが何か言う前に部屋の中にずかずかと入った。


以前来た時と同じ、最小限のものしかない部屋。

でも今は、その部屋の中はカーテンが締め切られていて、ローテーブルの上はお酒の缶で散らかっていた。



お酒は飲まないって言ってたのに……



その辺にあったビニール袋に、テーブルの上の空き缶や、床に転がったペットボトルを分けて入れていった。


「頼んでない」

「はい、頼まれてないです」

「帰れ」

「ここ、片付けたら帰ります。不衛生なの見過ごせないんで」


眞白さんはわたしが片づけるのをしばらく見ていたけれど、やがて冷ややかな声で言った。


「志保理のこと聞いたから来た?」


わたしが何も言わずに最後の空き缶を手にとった時、ギブスをしていない方の左手で腕を掴まれた。


「慰めに来たんなら、もっと方法があるだろ?」


そう言うと、ベッドを目で指した。

そして、わたしの手を離すとベッドにどさっと横たわった。


「……そうですね」


持っていたビニール袋をそこに置いて、ベッドの上に乗った。

横たわった眞白さんをまたぐように膝立ちする。


「オレ、手使えないから」

「いいですよ」


そう言って着ていたTシャツを脱いだ。


上半身下着姿になったわたしの、右の肩からウエストに向けて続く大きな傷跡が露わになる。

眞白さんがその傷をじっと見ていることに気がついて言った。


「これは、我慢してください」


彼の着ている服に手を触れた時、


「なんで?」


と聞かれた。


「その傷、なんでついた?」

「今聞きますか? この状態で」

「教えて」

「小学生の頃、木から落ちたんです。その時の傷です」

「言いたくないことは何?」


眞白さんはわざとわたしを傷つけようとしている。


言いたくないこと。

言ってないこと……


眞白さんが、怪我をしていない方の左手で、わたしの傷をなぞった。


「好きだった男の子に誘われて木に登ったんです。結構高いとこまで登ったところで、もう降りようってなって。その時、その男の子が足を滑らせて落ちそうになったのを咄嗟に庇って、わたしが落ちました。落ちる時、枝に抉られて、こんなに大きな傷が残ったんです。落ちた理由は誰にも話してません」


眞白さんの目を見て言った。


「前に眞白さん言いましたよね? 志保理さんのこと、自分が代わりになれば良かったって。代わりに怪我をした方は、からだだけじゃなくて、心も深く傷つくんですよ。庇われた方は、自分のせいで怪我をさせたって、こちらに負い目しか感じられなくなって……わたしは、この怪我のせいで、わたしのことを苦しそうに見るその目をずっと忘れられないでいます」


「……ごめん。頼むから帰ってくれる? 本当に……こんなことさせるつもりじゃなかった……」


眞白さんは、左手の甲で自分の目を隠すように覆った……


わたしはベッドから降りて、服を着た。


「『命がある限り、あなたの人生を生きて』って、ナイチンゲールが言ってます」


そして部屋を出る時、言った。


「また来ます。何度でも。わたしはこんなことで傷ついたりしませんから」


返事はもちろんなかった。

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