第39話 ---眞白side--- 少しだけ
---眞白の思い---
昨日、大原が帰った後、冷蔵庫を買いに行った。ついでにレンジとトースターに、コーヒーメーカーも買った。
いつだったか、ぬるいコーヒーの話を未来としたのを思い出したから。
冷蔵庫は買った日に届けてもらえることを初めて知って驚いた。
ガランとしていたキッチンが、少しだけ、人を受け入れたような気がする。
朝起きて、パンを焼き、コーヒーを入れて飲んでいたら、フライパンも必要だと思った。
こんな当たり前と思えることを、オレは、ずっとして来なかったんだ……
署に着くと、事務所に机が用意されていた。机の上にはパソコンと、報告書なんかの書類が積んである。
当面はこの書類の入力が仕事になる。これまでパソコンはほとんど触ってなかったから、一文字打つのにもキーボードの上の文字を探さなくてはいけない。
骨折した右手も、指先はギブスから出ているが、そもそも慣れていないから、人差し指しか使わない。
「どう?」
坂下が聞いてきた。
坂下とは消防学校の同期で、年も同じだった。
話が合うから、依頼ずっと友達でいる。
志保理のことも、坂下にだけは話していた。
「この記号なんだよ? なんででてこない?」
「ああ、それはShift押しながらじゃないと出てこないよ」
言われた通りにすると、目的の文字がパソコンの画面に表示された。
「出た」
「……思ったより元気そうだね」
「怪我なんかして凹んでるよ。早く事務から解放されたい」
「そっち?」
そう言われて気がついた。
坂下が言ったのは、志保理のことだ。
自暴自棄になって、今のこの怪我を招いた。
ずっと何も考えられなかったし、何もする気が起きなかった。
そのはずなのに、昨日冷蔵庫を買った。アイスを入れるための冷凍庫もちゃんとついた大きいやつ。
8年間を忘れたわけじゃないし、志保理のことは一生忘れない。
それなのに、少し先の未来(みらい)を見ている自分がいる。
「そこ、間違ってるよ、最後の漢字。違う文字に変換してる」
「本当だ」
「まぁ、頑張って。わたしは走ってくるから。医者からOK出たら教えて。たまには走るの付き合うよ」
そう言って、坂下は行ってしまった。
事務職は定時に終わるせいか、思ったより早く家についた。
1人でいる部屋は、こんなにつまんないもんだったっけ?
2回続けてドアフォンが鳴った。
急いでドアを開けると、未来が手提げ袋を目の前に差し出してきた。
「福寿のあんこパイです!」
なぜか息を切らしている。
「ありがとう」
「じゃあ、失礼します!」
「え?」
「急いでるので!」
すぐに背を向けた未来に声をかける。
「なんで?」
未来が振り向いた。
「途中で学校にパソコンを忘れてきたことに気がついて。急いでとりに戻って、家に帰ってレポート書かないといけないから」
「あ、待って」
未来が立ち止まる。
玄関に置いていた自転車の鍵を持って出た。
「自転車乗れる?」
「はい」
「乗ってって。オレは今乗れないから。バス待つより早いでしょ?」
未来は少し戸惑っているようだった。
「無理にとは言わないけど」
「……じゃあ、お借りします」
「うん」
自転車置き場まで案内して、鍵を渡した。
「ありがとうございます」
「返すのいつでもいいよ」
「いえ、明日お返しに来ます。それじゃあ、失礼します」
未来の後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとそこに立っていた。
姿が見えなくなってすぐに、また未来に会いたくなった。
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