大人だね

 冬至の祭りユールが近付くにつれて、それぞれの家から美味しそうなにおいが漂ってくる。


 どの家庭でもクリスマスには豚肉料理が振る舞われるため、母親たちは大忙しだ。


 オリーブ油と香辛料をたっぷり使ったハム料理、ローストしたポークリブはサワークラフトとじゃがいもを添えて、塩味で煮込んだ白身魚はゆで野菜たちと一緒に、他にも牛乳とサワークリームで煮たお粥に、溶かしバターとシナモンとお砂糖をかけて食べる料理などなど。


 アストリッドのお腹がぐうと鳴った。


 晩ごはんにはまだちょっと早い時間でも、こんなにいいにおいを嗅いでいたら仕方ない。アストリッドはちらっと隣を見た。きっとリリヤにも届いていたはずなのに、きこえないふりをしてくれている。


 いつもにこにこやさしいリリヤ。でも、黙っている理由は他にもあるのだろう。


 早くヘルガと仲直りした方がいいよ。

 たぶん、そう言いたいのだけど、リリヤは目顔で訴えているだけだ。


 戦乙女ワルキューレの隊長であるアストリッドと副隊長であるヘルガ。

 二人の仲がギスギスしはじめたことに、他の隊員たちも気付いているだろう。


 アストリッドもヘルガもみんなが呆れるくらいの頑固者同士。でも、この三年間ヘルガと大喧嘩したことなんてなかったな。


 アストリッドよりふたつ年上のヘルガだ。副隊長という立場もあり、いつだってアストリッドを立てていてくれたのかもしれない。そのヘルガを怒らせてしまった。


 もちろん、このままではいけないのはわかっている。

 もうすぐ冬至の祭りユールだってはじまるし、戦乙女ワルキューレの士気にも関わる由々しき事態だ。


「だいじょうぶだよ、リリヤ。あとでちゃんと、ヘルガのところにも行くから」


 リリヤはほっとした顔になった。

 抱えていたバスケットがずり落ちてきたので、アストリッドは抱え直す。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、キャベツ、他にも野菜たちがゴロゴロ入っているためけっこう重たい。でも、これは大切な食料なので落っことすわけにはいかないのだ。


「こういうのも、私たちの大事な仕事なんだよね?」


 リリヤがつぶやいた。夏至の祭りユハンヌスの前に戦乙女ワルキューレになったばかりのリリヤにとっては大仕事だ。


「そうだよ。リリヤはお料理得意だから、期待してる」

「そんなこと、ないけど。でも、アストリッドも手際良いよね」

「わたしのは見様見真似。味付けだって目分量だし」

「ふふ。レム先生、お料理上手だもんね。いいなぁ、先生に教わって」


 習ったつもりはないけれど。


 アストリッドはちょっとぼやく。レムはときどき家に押しかけて、アストリッドと養父のイヴァンが食べきれないほどの料理を作っていく。


「アスラちゃんは食べ盛りだから、しっかり食べないとね。力も、元気も出ないでしょ?」


 台所を我が物顔で使うレムの動きをアストリッドはしっかり見ていた。そのうちちょっとずつ料理を教わるようになったのは、いつからだったか。


「うんうん。アスラちゃんは良いお嫁さんになれるね」


 茶化したレムの背中をばしばしたたきながら、それは戦乙女ワルキューレを辞めるときだからそんなことにはならないと、アストリッドは思ったのだった。


 でも、その日が来るなんて。


 下を向きそうになって、アストリッドは慌てて顔をあげた。


「ユールまであと十日。みんなでがんばれば、きっと間に合うよ」


 うなずいたリリヤもしっかりバスケットを抱えている。

 冬至の祭りユールがはじまる前に、たくさんの料理を作っておかなければならない。これもアストリッドたちの大事な仕事のひとつだ。


 エルムトはこの三年間、ほとんど雪と嵐の毎日だった。


 春も夏も秋もない冬の日ばかり。

 寒さと飢えでエルムトではたくさんの死者が出た。親を亡くした子どもたちもたくさんいて、その子らを輝ける月の宮殿グリトニルで保護している。これから作る豚肉料理を子どもたちもきっとたのしみにしているはずだ。


 大台所に着くと他の隊員たちがアストリッドを待っていた。

 どの子もみんな年下だが、しっかりしているし働き者だ。下準備をリリヤに任せてアストリッドはヘルガと落ち合うことにする。副隊長のヘルガは街の見廻りだ。


 冬至の祭りユールが近付くにつれ、本土のイサヴェルからたくさんの人がエルムトを訪れる。三年前の悲劇は繰り返してはならない。本土の人間の顔は、できる限り覚えておくつもりだ。


「あれっ? あのひと、もしかして……」


 そこでアストリッドは見覚えのある人間を見つけた。


 フード付きの外套コートを纏った小柄な人を、アストリッドは知っている。向こうもアストリッドに気付いたようだ。フードを取ると長い黒髪と神秘的な青紫の眼が露わになる。


「ユスティーナ、さま?」


 こうして会うのは三年ぶりだった。


 なにしろエルムトは三年間雪に閉ざされていた。本土の使者は冬至の祭りユールのたびにエルムトを訪れて、月の巫女シグ・ルーナ拝謁はいえつする。月の女神マーニの祝福を分けてもらうためだ。


「えっと、ユスティーナさまですよね? おひさしぶりです。あの、どうして一人で?」

「ティナ」

「えっ?」

「ティナでいいよ」


 ひさしぶりだというのに、ユスティーナは相変わらずだった。マイペースというかなんというか、独特の自分の世界を持っているようにアストリッドには見える。


「あ、では、ティナさま。護衛の者はどうされたのです?」

「山麓の村にヘルガが迎えに来てくれた。じいは歳だし膝が悪いから本土に置いてきた。代わりの護衛はいるけど、いまはデート」

「デート?」


 アストリッドは目をぱちぱちさせた。


 ユスティーナを迎えるため、ヘルガに応対を任せた。過去にアストリッドとレムが使者を迎えたときに野盗に襲われたからだ。本土の使者を攫えば莫大な身の代金が手に入る、その手筈だったのだろう。


 今回、ヘルガは戦乙女ワルキューレのなかでも特に優秀な戦士たちを連れていった。


 さいわいにも道中は野盗に出会すことも、組織の奴らが襲ってくることもなかったと、そう報告にも受け取っている。――と、ここまではいいとして。


「エルムトの娘はお婿さん捜し、イサヴェルの男はお嫁さん捜し」


 なんてことないようにユスティーナは言う。

 

 たしかにまあ、間違ってはいない。

 エルムトでは男子が十歳まで生きられるのが稀なため、圧倒的に女の数が多いのだ。妙齢の娘たちは結婚相手を本土の男たちから見つけるしかなく、夏至の祭りユハンヌス冬至の祭りユールといった外部の人間が多く入って来る祭りの時期こそ、チャンスだと思っている。


「ぼくのことより、自分の心配したら?」

「え?」

「次の巫女はあなた。レムからきいた」


 もう、おしゃべりなんだから。


 心のなかでレムを罵りながら、アストリッドはぎこちない笑みをする。ユスティーナの澄んだ青紫色の眼が、アストリッドを見つめている。


「だいじょうぶです。組織のやつらが来たって、わたしは負けませんから」

「ずいぶんと自信たっぷりだね」

「ユールまでにわたしが巫女を継ぎます。シグ・ルーナには――、エリサ様には指一本触れさせません」


 あれから月の巫女シグ・ルーナにもユハにも会えていない。

 それどころかイヴァンやレムともほとんど話せていない状態だ。ただひとつ言えるのは、番人ヘーニルの声はけっして覆らないということ。


「あなたはそれでいいんだ?」

「もう決まったこと、ですから」

「ふうん。大人だね」


 揶揄やゆを受け流して、アストリッドはにっこりする。


「そんなことより、早く戻りましょう。もうすぐ夕暮れですし、一人でいたらだめです」


 アストリッドはまだ何か言いたそうなユスティーナを無理やり輝ける月の宮殿グリトニルへと連れ戻した。けっきょく、その日はヘルガと会えなかった。

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