あなた、可愛いわね

 砂と岩ばかりの荒野をひたすら南に進んできた。

 黄金の宮殿グラズヘイムを見たとき、アストリッドはただただ圧倒されたし疲れ切っていた。


 そもそもアストリッドは北の島国の出身である。産まれてこの方、遠出をするのも本土のイサヴェルくらいで、こんなにも長旅ははじめてだった。


 おまけにここはとても暑い。

 氷と雪と冬の国エルムトはこの三年間、ずっと冬のままだった。対してケルムトは真逆である。砂と岩と太陽の国。ケルムトは一年のほとんどが夏なのだ。


 へとへとになっていたアストリッドとヘルガを見かねて、レムはまず宿場へと連れて行ってくれる。

 冷たい水風呂で旅の汚れを落として綺麗になる。しっかり食事を取ったあとは、動けなくなって朝までぐっすり眠ってしまった。


 翌朝、迎えに来たレムとともに、しばしケルムトを見学する。

 ここでもアストリッドは驚いた。大通りのそこらに市場が出ている。群がる人々が現地の住民なのか旅行者なのか、ともかくすごい盛況だ。


 なんでもバザールと言うらしい。

 社会勉強。そう称してレムがいろんなものを買ってくれる。甘くて美味しい椰子の実のジュース、砂糖をたっぷりまぶした揚げパン、じっくり時間を掛けて焼いたチキンの串焼き、揚げたてのポテト。お腹いっぱいでも、冷たいアイスクリームまでアストリッドは残さず食べた。


 こんなに甘いものばかり食べたら、父さんに叱られちゃうかも。

 イヴァンには内緒とレムがウインクする。レムはけっこうアストリッドに甘いところがあるのだ。普段は食の細いヘルガも、アストリッドとおなじくらいたくさん食べた。ケルムトまでの旅で彼女も疲れていたのだろう。


 夕刻になってから、ようやくアストリッドたちは黄金の宮殿グラズヘイムへと向かった。

 こんな時間から訪ねて失礼にあたらないのかと、不安に思うアストリッドにレムは笑う。太陽の巫女ベナ・ソアレは日中のあいだ、祈りの塔に篭もっている。つまりはここでも逆なのだ。夜間のうちは、太陽の巫女ベナ・ソアレはその役目から解放される。


「でも、どうしてわたしたちを?」

「それはね、ベナ・ソアレがワルキューレのトップを御所望だからだよ」


 旅のあいだにアストリッドはレムにきいた。けれども、返ってきた声はよくわからない。ベナ・ソアレには十三年前に世話になった。それ以降も手紙でのやり取りはつづいているらしく、黄金の宮殿グラズヘイムにて誰にも誰何すいかされずに済んだのも、レムのおかげだ。

 

「ベナ・ソアレは、どんな方なのですか?」


 ヘルガも道中にレムに尋ねた。アストリッドもずっと気になっていた。返ってきた言葉はこうだ。


「一言で言えば、変人かなあ?」


 アストリッドとヘルガは顔を見合わせた。変人。太陽の巫女ベナ・ソアレだって、レムにだけは言われたくないだろう。


「ともかく、会えばすぐわかるよ」


 レムの言葉は本当だった。太陽の巫女ベナ・ソアレは快活な性格のようで、役割を終えるとけっこう自由にしている。寝所は祈りの塔と別のところにあり、アストリッドたちが招かれたのもそこだった。


 大人が五人は眠れるくらいのベッドに、その人は寝転がっていた。

 それなりに緊張していたアストリッドもヘルガも、自分たちから挨拶するのをすっかり忘れてしまっていた。


「やあだ、レムじゃない。てっきり、来るのはイヴァンだとばかり思ってたのに」

「がっかりした? でも、残念。イヴァンはね、ヘーニルの仕事で忙しいんだ」

 

 心臓に毛が生えたような男がレムという人間だ。

 しかしこれにはさすがのアストリッドも驚いた。旧知の仲というのは事実のようだが、ずいぶんと気安い関係に見える。


「ちょ、ちょっとレム先生……」


 アストリッドは肘でレムを小突く。そこで視線を感じた。太陽の巫女ベナ・ソアレがアストリッドを見つめている。


「ふうん、その子がそうなのね?」

「そうだよ、イヴァンの娘」


 アストリッドはムッとした。戦乙女ワルキューレとして、アストリッドはわざわざケルムトまで出向いたというのに、どういうつもりなのか。侮辱されたと、真っ先に怒りそうなヘルガはまだ唖然としている。


 太陽の巫女ベナ・ソアレが手招きしている。アストリッドは思わずレムを見た。先生はうなずいて、アストリッドに従うように促す。

 おずおずとアストリッドは太陽の巫女ベナ・ソアレへと近付いていった。


 黒髪と褐色の肌をした美しい少女だった。いや、少女という表現はおかしい。太陽の巫女ベナ・ソアレが巫女になったのは、月の巫女シグ・ルーナよりも前だから実際の年齢は三十を超えているはずだ。


 それでも、彼女は美しかった。

 巫女に選ばれた少女はそこで人間としての時が止まる。見た目が少女のまま衰えないのは当然だ。巫女は神と同等の存在なのだから。


 長く波打った黒髪、眼窩がんかからのぞくその色は黄金の色、うっとりするくらいに艶のある赤い唇、そして惜しみもなく肌をさらけ出す太陽の巫女ベナ・ソアレから目が離せなくなって、アストリッドの頬は紅潮した。


 ムスクの良い香りに頭がくらくらする。男だったらとっくに彼女に堕ちていると、アストリッドはそう思った。


「あなた、可愛いわね」


 ベッドの脇でアストリッドは跪いていた。もっと近寄るように、太陽の巫女ベナ・ソアレが誘っている。ああ、だめ。抗えない。太陽の巫女ベナ・ソアレに腕を引っ張られて、アストリッドはベッドに倒れ込む。そのまま顎をすくい取られて、やっと正気に戻ったところで遅かった。


「ん……っ。んんっ!」


 熱いなにかがアストリッドの唇を割って侵入してきた。

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