彼を見つけた


「ちょっと、そんなに泣くことないじゃない」


 太陽の巫女ベナ・ソアレはベッドに寝転んで頬杖を付いている。自分のしでかしたことを、まるで気にしていないといった風に。

 

 ヘルガに背中を擦ってもらいながら、アストリッドはしくしく泣きつづけた。レムが太陽の巫女ベナ・ソアレを変人だとのたまった理由が、よくわかった。


「うっ、うっ。ひどい。あんまりよ。はじめて、だったのに……」

「ほんっと、可愛いわね。あなた」


 ころころ笑う太陽の巫女ベナ・ソアレをアストリッドは睨みつけたものの、あとからあとから涙が出てきて止まらない。


 アストリッドは戦乙女ワルキューレだ。戦乙女ワルキューレ月の巫女シグ・ルーナよりも大事な人ができたとき、それは隊を辞めるときだ。


 そんなことにはならない。アストリッドはそう思っている。でも、はじめてのキスは好きな人がよかった。そのくらいの乙女心は持ったままでもいいではないか。


「うっ。うっ。舌が、舌が……」


 はじめての相手が女性だった上にディープキスである。腰砕けになったアストリッドはそんな自分にもショックを受けた。

 

 レムが太陽の巫女ベナ・ソアレに拳骨をひとつ落として、ヘルガがアストリッドを救出してくれた。レムと太陽の巫女ベナ・ソアレがわあわあ喧嘩をはじめた途端に、アストリッドは声をあげて泣いた。


「そんなに泣かれると、さすがのあたしもショック受けちゃうわよ」


 それはこっちの台詞です。

 そう言ってやりたいのに、アストリッドには勇気が出ない。今度はもっとひどいことをされそうだ。


「お言葉ですが、ベナ・ソアレ。アストリッドはワルキューレとして、ケルムトに訪れました。巫女の行為はあまりに無礼ではありませんか?」


 背中を丸めて泣きつづけるアストリッドを見かねたのだろう。ヘルガは悠然として太陽の巫女ベナ・ソアレに立ち向かう。太陽の巫女ベナ・ソアレの黄金の瞳がきらっと光った。


「やあだ。いるじゃない。とびっきり美人な子が」


 舌舐めずりする太陽の巫女ベナ・ソアレにアストリッドはぞくぞくした。こわい、この人。こわすぎる。啖呵を切ったもののヘルガは身の危険を感じたらしく、レムの背中に隠れてしまった。そこでレムのため息が落ちる。


「はいはい、そこまでだよ。さすがに悪ふざけがすぎる」

「だって、イヴァンが来ると思ってたんだもの」

「代わりに僕が来たでしょ。お望みとあらば、一晩くらいは付き合うけど?」

「いやあよ。あなた、あたしのタイプじゃないもの」


 レムと太陽の巫女ベナ・ソアレのあいだで火花が散る。こんな応酬を交わせるのも、エルムトとケルムト中を探してもこのふたりだけだろう。


 もしかして、父さんが来なかったのは、番人ヘーニルだからじゃなくて、この人に会いたくなかったからじゃ……?

 アストリッドは頭をぶんぶん振って、悪い想像を追い払う。養父のイヴァンと太陽の巫女ベナ・ソアレが睦み合っているところなんて、想像するだけでも嫌だ。

 

「冗談はさておき。ちょっと、あなたたち。あたしに付き合いなさいな」


 太陽の巫女ベナ・ソアレはやおら起きあがると、それまでの笑みを消して真顔になった。


「明日はパレードがあるの。連れて行ってあげる」

「パレード?」

「そうよ。ケルムトではね、月に一度だけ巫女が民衆の前に姿を現せるの」


 アストリッドは瞬いた。


「それって、危なくないですか……?」

「そうよ。だから、あなたたちは護衛」


 連れて行ってあげるのではなく、強制だ。アストリッドの唇がひくひくしはじめる。


「こらこら、勝手に決めるんじゃないの」

「うるさいわねえ、小姑じゃあるまいし。レム、あんたにはちゃあんと他に仕事をあげるわよ」

「あの、仕事って……?」


 太陽の巫女ベナ・ソアレはアストリッドに向けて優艶な笑みをする。あ、だめだ。この人に逆らっては、だめ。


「うふ。そんなにこわがらなくてもいいのよ? ちょっとね、鼠がそこらでチョロチョロしているから、目障りでしょう?」

「はいはい。僕はケルムトまで来てネズミ退治ね」


 とは言いつつも、レムはなんだかたのしそうだ。


「でも、先生が別行動なんて。やっぱり、危なくないです?」


 自信がないのかと問われたら、答えはノーだ。ただ、アストリッドは自分たちの力を過信してはいない。


「だいじょうぶよ。セサルが近くにいるもの」

「セサルって?」

「嵐の獣だよ。アスラちゃん」


 アストリッドは太陽の巫女ベナ・ソアレとレムを交互に見る。そういえば、とアストリッドはそこで気が付いた。巫女の傍にいるはずの嵐の獣ベルセルクルがこの部屋にはいない。

 

「いまはね、お父さまに貸してあげてるの。セサルはお父さまのお気に入りだから」

「はあ……」


 彼女の父親はケルムトの太守だ。

 太陽の巫女ベナ・ソアレは太守に溺愛された娘だときいたことがあるので、巫女の眷属も気に入っているのだろうか。アストリッドはレムを見たが、彼はなんだかむずかしそうな顔でいる。


「部屋を用意してあげるから、今日はそこで休みなさいな。明日の夕方、またいらっしゃい。面白いものが、見れるわよ」

 

 ご厚意に甘えて、アストリッドとヘルガは黄金の宮殿グラズヘイムに泊まらせてもらった。

 ひさしぶりの一人部屋を堪能したあと、ベッドに転がったアストリッドはじわじわとあの感触を思い出しては、恥ずかしいやら悲しいやらでまた泣いた。


 翌日、指定された時間に出向くと太陽の巫女ベナ・ソアレに外へと連れて行かれた。

 アストリッドは思わず悲鳴をあげる。なんて大きい生きものなのだろうか。こわいよりも驚きの方が勝ってしまう。象と言う名の巨大な生きものなんて、はじめてだ。


 慣れた様子で象に乗る太陽の巫女ベナ・ソアレだったが、アストリッドは足が竦んでなかなか動けなかった。大人しいから大丈夫だと、象使いたちに宥められておっかなびっくりアストリッドはその背に乗る。そこには大きな椅子が備え付けられていて、真ん中に太陽の巫女ベナ・ソアレが、両脇をアストリッドとヘルガで固めた。


 ほどなくして、パレードがはじまる。

 馬にも乗ったことのないアストリッドである。そのなんともいえない乗り心地に慣れないものの、ここで太陽の巫女ベナ・ソアレを守れるのは自分たちだけだ。緊張で恐怖と気持ち悪さを打ち消しているうちに、周囲を見渡す余裕が出てきた。


 大通りは民衆で埋め尽くされている。そのほとんどが褐色の肌だった。だからこそ、の白膚は目立つ。アストリッドはそのたくさんの人のなかで、彼を見つけた。あちらもアストリッドを見ていた。


 ロキだ。アストリッドの唇が、そう動く。

 そのとき、空から一匹の美しい孔雀が舞い降りた。

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