あなたがロキだから
外はひどい吹雪だった。
風の精と雪の精が怒っている。風が強くて目も開けていられないくらい。でも、アストリッドは彼を見つけた。
「来ると思った」
ヘルガを筆頭に、優秀な女戦士たちが守りを固めているはずだった。養父のイヴァンもおなじく、
いつもひどい天気だと、アストリッドは思った。
最初にロキを雪原で見つけたとき、三年前に祈りの塔の前で対峙したとき、そしていまも。
「ねえ。あのとき、どうして……?」
息をするのも苦しいくらいの吹雪のなかで、アストリッドは彼に問う。
「あのときって、いつ?」
途中で唇を閉じたアストリッドにロキが言う。
「三年前。十四歳のわたしに、あなたは言った。一緒にこいって」
それだけではない。ロキは
ユハがエリサを庇っていなければと思うと、ぞっとする。ともかく、それだけひどいことをしたロキが言う台詞だと思えなかったのだ。
すこしずつロキがこっちに近付いてくる。長話は時間稼ぎだとでも思われているのかもしれない。
「でも、アストリッドは俺の言うことをきかなかった」
「できるわけないこと、知ってるでしょ?」
ロキの手には小ぶりのダガーが見える。さっさとアストリッドなんか片付けて、エリサの元に行くつもりだろうか。そうはさせない。
「ごめんね。わたし、あなたに嘘吐いた。儀式はとっくに終わったの」
ロキは表情を変えない。こんな吹雪でも平気そうな顔だ。
「だから、いまはわたしがシグ・ルーナ。その意味、わかるでしょ?」
「それで?」
「それでも、殺す? わたしをあなたが殺すの?」
はっきりと顔が見えるほど、ロキはアストリッドに近付いていた。彼はレムの弟子だから、医学の他にも武術を学んだはずだ。こんな間合いなんて、身構える前にアストリッドは刺されている。
「それが俺の仕事だから」
うそ。アストリッドは唇だけで言った。
このあいだは失敗した。
説得するつもりが反対にロキの言葉で動揺して声がつづけなかった。でも、十八歳のアストリッドは諦めない。何度だって、彼に手を伸ばす。
「うそつき。あなたは、わたしを殺せない」
「どうして、わかる?」
「あなたがロキだから」
そのとき、彼がはじめて笑った。呆れているのかと思いきや、そうではないとアストリッドは知った。
ダガーの攻撃をアストリッドはロングソードではじき返した。打ち合いになって、ふたりは一度間合いを空ける。
「アストリッド!」
養父のイヴァンの声がした。
父さん、大丈夫。
アストリッドは地面を蹴る。そうだ、問題はない。風の精と雪の精はアストリッドの味方だ。ロキの手からダガーが離れた。
「……なんでやらない?」
「わたしは、先生じゃないから」
レムならば
いや、レムはあれで甘いところがあると、イヴァンからきいたような気がする。なら、ロキに追い打ちを掛けなかったアストリッドは間違っていたのだろう。
ロキが服の下に隠し持っていたものを見て、アストリッドは目を見開いた。すぐ近くまで来ていたイヴァンもおなじだった。
「レム先生が言ってたよ。ロキは、悪い大人に悪いことを教わって、悪い武器を貰ったって」
「これなら、避けられない」
余裕の表情だ。焦りとか恐怖よりも呆れが勝った。
ロキが取り出したのはリボルバーという射撃用の武器だ。アストリッドは本でしか見たことがなかったが、闇の世界で出回っていることはレムからきいていた。
ロキはそれをアストリッドではなく、イヴァンに向けた。
ほとんど衝動的に、アストリッドはイヴァンの元に走っていた。間に合っていたのかはわからない。
でも、ロキはちゃんとわかっていた。イヴァンに向けて発砲すればアストリッドは必ず養父を庇う。
「アストリッド! お前……っ」
「父さん、とうさんっ!」
抱き合いながら、互いの名を呼ぶ。たしかに発砲音はしたがどちらも無傷だったのは、ロキが照準を見誤ったためだろう。なにしろ、この吹雪だ。雪も風もアストリッドの味方をしている。
アストリッドはロキを睨みつけたが、彼は外したことを悔しがっているようには見えなかった。
「もうやめて、ロキ!」
声が届くくらいなら、最初からロキはアストリッドの敵になっていない。次はきっと逆だ。イヴァンがアストリッドを庇う。イヴァンを奪われたアストリッドは、今度こそロキを許さない。
二発目が来る前に、アストリッドはロキに飛びついた。
いい加減、頭にきていた。雪のなかで二人揉み合っているうちに、二発目が鳴った。アストリッドは息を止めた。
「弾切れだ。……そもそも、最初から弾はひとつしか入っちゃいない」
「なら、どうして?」
答えをきくより先に、アストリッドはロキに口付けた。
あげられるものなんて、他にはなかった。馬乗りになって、少年に無理やり口付けるという、ぜんぜんロマンチックでもなんでもない状況でも別によかった。
唇を離したあと、大人しくしているロキを見て、アストリッドは彼の頬を引っ張ってやりたくなった。
「もう、やめて。こんなことは、もうおしまい」
アストリッドは微笑んだ。
風の精と雪の精が暴れている。もうちょっと空気を読んで、静かにしていてくれたらいいのに。
世界にアストリッドとロキのふたりだけ。そうなったらいいのにと、アストリッドは思った。けれども風が、雪が、ふたりの邪魔をする。
ロキが何かを懸命に訴えていたが、そのときにはアストリッドは彼の声がきこえなかった。腹部が燃えるように熱い。おそるおそる手を伸ばして触ってみたら、手は真っ赤に染まっていた。
ロキとイヴァンがアストリッドの名を呼んだ。
だめだ、意識が遠のく。ロキはダガーを手放していた。なら、誰が? アストリッドはロキの視線を追った。そこには銀髪の少女が見えた。
メルヴィだ。
どうして? アストリッドの唇はそう動いたものの、声にはならなかった。
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