過去と未来と、そしていま①
最初にロキがたどり着いたのは、灰色の雪原だった。
瞼を開けようとして失敗した。ものすごい風と雪のせいで、まともに目を開けていられなかった。
おまけに身体は半分雪に埋まっていた。
くそっ。ロキは毒突きながら身体を起こそうとしたものの、これもまた失敗する。力が入らないのは、寒さと雪で体力を奪われただけではないらしい。
ロキは自分の身体がいつもよりちいさくて、おまけに力も弱いことを自覚した。
ここは、どこだ……?
数呼吸のあいだ、ロキは考えた。いまがいつで、ここがどこで、そして自分が誰かもわからなくなった。
十一歳のロキは、こうして記憶をなくしたのだろう。
他人事のように思えたのは、小柄な少年の中身が十五歳のロキだからだ。
どうやら、本当に過去へと行けたらしい。
ロキはこのときはじめて、自分が魔力を持っていることに気が付いた。
ふつう魔力を持って生まれてくるのは、女だときいたことがある。男にその力が宿るのはごく稀で、それも大人になる頃にはほとんどなくなってしまうのだとか。
でも、いまはそんなことどうだっていい。
だいたい、ロキがここに来られたのも、自分だけの力ではないのだ。不本意ではあるが、ユハの力がなければロキは過去へと飛べなかった。
もっとも、あちらも不承不承といったところだろうか。
エリサは怒っていると言っていたし、別にロキを助けたわけじゃない。過去を変えることを失敗しても、ロキが過去から戻れなかったとしても、それはそれで仕方のないこと。そうやって片付けるだろう。
生き埋め状態のロキの意識がどんどん遠のいていく。
必死に手足をばたつかせてみても、重みを増していく雪はびくともしないし苦しくなる一方だ。
こんなところでくたばるのはごめんだ。
ロキの抵抗もむなしく、吹雪は強くなっていくばかり。
そういえば、アストリッドは精霊が見えると言っていた。だとしたら風の精と雪の精は怒っていて、ロキを許さないのだろう。
ここままじゃ、凍死する。
ロキは半ば諦めてしまっていた。いまのロキの意識は、十一歳のロキと十五歳のロキが混在している。アストリッドを助けるために、過去を旅するロキが負けてしまっているのだ。
エルムトの人間は凍死を恐れているらしいが、ロキは本土のイサヴェル出身だ。
精霊に魅了されたら魂は身体から引っ剥がされて、
抵抗が無意味だと悟ったロキは、少女の声をきき逃していた。
何度も何度もロキを呼びかけて、雪のなかから引っ張り出す。ロキよりもちょっとだけ身体が大きいだけの赤毛の少女だ。
アストリッド。
赤毛の少女に背負われながら、ロキはつぶやく。見つけるはずが見つけてもらっただなんて、先生が知ったら笑われるだろう。
*
「よかった。ちゃんと、食べられるようになったね」
何日も高熱に苦しんだロキは、熱がさがってもベッドでほとんど寝たきりの毎日だった。
どうにかミルク粥が食べられるようになると、次は冷たい牛乳と黒パンを無理やり食べさせられた。
十三歳のアストリッドはとにかく元気でお喋りだ。黒パンを2口ほどかじって沈黙するロキにもかまわず、喋りまくる。
もともとお喋りなたちではなかったし、体力の戻っていないロキは上手く喋れずに、延々と彼女のお喋りに付き合わされた。
でも、ロキはこの時間が嫌いじゃなかった。
物心ついたときにはもう組織にいたロキだ。
周りは大人ばかりだったから、自分くらいの歳の子どもがめずらしかったのも本当で、アストリッドのやさしさになんだかむず痒くなったのも本当だった。
人はそれを、恋だとか愛だとか言うらしい。
アストリッドの本当の父さんは、ちいさい頃に死んでしまったけれど、彼女は養父のイヴァンにとても愛されていたし、大切に育てられていた。
ロキが家族という単語を覚えたのは、たぶんこのとき。
赤毛の少女には養父のイヴァンの他にも大切な人がいて、次から次へと出てくる登場人物を覚えるのは大変だった。その上、馴染みのない単語もたくさん出てくる。エルムト、
あと、この国では男の数が少ないので、少女たちが巫女を守っているのだとか。
アストリッドが
「外が晴れたら、ピクニックに行こうね。サンドイッチを持っていくの」
「サンドイッチって?」
「あれっ? 知らない? とっても美味しいの。作るとき、ロキ君も手伝ってくれる?」
そういえば、あれも約束のひとつだったと、ロキはいまになって思い出した。
*
「さあ、着いたよ。今日からここが、君の家だ」
十一歳のロキはレムの弟子となり、
最初に入ったのがレムの医務室だ。
薬のにおいが充満していて、ロキはすぐ気分が悪くなった。名前と歳以外の記憶が抜け落ちていても、薬には良い思い出がない。それどころか、そろそろ禁断症状がはじまる頃だった。
レムはロキの色の抜けた金髪を見て、自分とおなじであるとすぐ見抜いたらしかった。
「やれやれ。熱がさがったのだから、いつまでも病人気分じゃ困るよ」
「でも、気持ち悪いし、眩暈もするし、頭も痛い」
あちこち不調を訴えるロキに、レムは嘆息した。
「それはね、君が凍死寸前だったからだよ。おまけにロキ、君は記憶喪失ってやつだから、それで頭がぐるぐるするんだろうね」
もっともらしい声をして、レムは液体の薬をロキに飲ませた。甘ったるいくせに、やたら苦くてとにかくまずい。
「先生。こんなの、飲めない」
「文句言わずに飲みなよ。アスラちゃんより年下だからって、いつまでもチビのままなのは嫌だろ?」
それもそうだ。
このときのロキは素直だったので、レム特性のくそ不味い薬を我慢して飲んだ。でも、十五歳のロキはちゃんとレムに感謝している。エルムトにいたあいだは、薬の依存があまり進まずに済んでいたからだ。
もしかしたら、先生は過去の自分を見ている気持ちだったのかもしれない。
だから、レムはロキにいろいろなものを与えてくれたのだ。武術に医術、生活に必要な知識などなど。
本当は、ロキに記憶が戻らない方が都合が良かったのだろう。でもロキが組織に戻ったとき、一人でも生きていけるようにと、お節介なレムはあれこれ世話を焼いてくれたのだ。
一年はびっくりするほど、あっというまに過ぎていった。
念願叶って、
過去を変えるなら、ここから。
そのうち、十二歳のロキは記憶を取り戻した。
きっかけは本土の使者ユスティーナと護衛のじいさんだ。じいさんは強すぎて、ロキの出る幕なんてまるでなかったものの、野盗たちを見てロキは気付いたのだ。
あれは、同業者なのだと。
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