過去と未来と、そしていま②

 本来の記憶と自分を取り戻した十二歳のロキは、冬至の祭りユールが来るのを待った。


 ふだんは祈りの塔に篭もりきりの月の巫女シグ・ルーナが、姿を現すのがこの期間だ。

 巫女が自らユグドラシルの枝木を切り取るため。そのあと、巫女は皆のところに姿を見せる。


 そう、アストリッドは教えてくれたのだが、ロキはその前から知っていた。エルムトには組織の内通者が複数いる。巫女の獣であるユハも、本土の使者ユスティーナもそうだった。


 アストリッドが不憫でならない。あの子が一生懸命守ろうとしているのに周りは敵だらけだ。


 もっとも、ユスティーナは早々に白旗をあげて、エリサと茶飲み友達になったのだとか。だからきっと組織の情報も月の巫女シグ・ルーナに流していたはずで、それが仇となったのかもしれない。ユハはロキが使えると判断したのだ。


 裏切り者だらけだ。この上、ロキが裏切ったなら、アストリッドは怒るだろうし泣くだろう。


 わかっていても十二歳のロキは、与えられた命令を放棄することもエルムトに残ることも選ばなかった。組織に教育された子どもはそう刷り込まれているからだ。


 ロキはふとネズミの少女を思った。

 メルヴィはロキだ。アストリッドを殺せなかったロキの代わりに死んだのだ。


 アストリッドに接触する機会はたくさんあっても、どれも上手くいかなかった。


 ユハの言うとおりだ。過去を変えられるとは限らない。

 ロキのなかにはふたりのロキがいて、十五歳のロキが行動しようとも声さえ出なかった。きっと、十二歳のロキの自我が邪魔をしていたせいだ。


 アストリッドが戦乙女ワルキューレになる。そこまではよくとも、その先は駄目だ。


 いよいよ冬至の祭りユールが終わりに近付いてきた。

 気が付けば、ロキはまた嵐のなかにいた。


「あら? 迷子かしら?」


 女の声がした。祈りの塔へとたどり着いたロキは、息を止めた。


 エリサとユハだ。


 十二歳のロキは十五歳のロキの声がきこえなかった。

 よせ、やめろ。何度も叫んだのにききやしない。頑固な自分に腹が立って仕方がない。


「どうしたの、坊や?」

「いけません、エリサ」

「でも、迷子かもしれないわ」


 頭の弱そうな女だ。このとき、ロキはエリサを舐めていた。

 もっとも、あっちもおなじようなものだろう。エリサは何の警戒心もなく、ロキに近付いてくる。


「近付いてはなりません、エリサ。この子はレムの」

「そういえば、弟子を取ったって言ってたわね。良いことじゃない」

「よくなんかありませんよ。白鬼に育てられた悪鬼です。この少年は」

「まあ、悪鬼だなんて。ずいぶん物騒じゃない?」


 隙だらけだ。ロキは躊躇わずにエリサを刺した。しかし、ロキのダガーは獣に阻まれていた。ユハだ。

 

 女の悲鳴がきこえたかと思えば、ものすごい吹雪がロキを襲った。


 ロキは月の巫女シグ・ルーナを殺し損ねたが、短刀はたしかに獣の体に届いていた。エリサの嘆きが、怒りが、ロキを襲う。これは呪いだ。子どものように泣きじゃくるエリサの声は、まるで歌のようだった。


 幸か不幸か、ロキには呪いが効かなかった。

 ただ、こんなにひどいことになるなんて思ってもみなかったので、ひどく動揺していた。


 そこに遅れてアストリッドが駆けつけた。

 

「なに、これ? そこにいるの、ロキ君、でしょ? どうして……?」


 アストリッドもまた混乱していた。嵐のなかで雪と風の精が暴れている。エリサの呪いがアストリッドにまで及ぶ前に、彼女をここから引き離さなければならない。


「だめだ、近付くな。アストリッド」

「ロキ君……じゃない? あなた、だれ?」

 

 アストリッドは十二歳のロキのなかに、もうひとりのロキがいることに気付いたらしかった。


 でも、いまはそんなことどうだっていい。


「一緒に行こう、アストリッド。エルムトを出て、俺と一緒に」


 ロキは懸命に手を伸ばした。

 これからエルムトは三年ものあいだ、雪に閉ざされる。番人ヘーニルたちに見限られたエリサは、巫女を剥奪される。そうなったら、だめだ。アストリッドが選ばれてしまう。


「エルムトにいちゃだめだ、アストリッド」


 ロキの声は嵐にかき消される。差し伸べた手をアストリッドは受け取らなかった。


 当然だろう。月の巫女シグ・ルーナ暗殺未遂の首謀者がロキである。こんな大罪人をどうして許すことができようか。

 

 レムやイヴァンが駆けつける前に、ロキは逃げた。

 帰り道なんて知らなかったのに、記憶を取り戻した十二歳のロキは組織へと戻っていた。




          *




 ロキの意識は三年後に飛ぶ。


 エリサの呪いは届かなかったものの、呪いよりももっとたちの悪いモノがロキを苦しめた。三年間ずっとだ。


 自業自得じゃないか。

 

 自分でもそう思う。でも、他にどうしようもなかったのが事実だ。ロキは組織の人間で、組織のやつらに生かされている。他に行くところなんて、ない。


 砂と岩と太陽の国ケルムトにて、ロキはアストリッドとレムと再会する。正しくは、追いかけ回された、だ。


 レムに肩をやられたロキは三日間高熱にうなされた。

 ヴェルネリに地下へと放り込まれたあと、ぼんやりする頭でこれから何が起きるのか思い出そうとした。


 アストリッドが、来る。


 幻覚も幻想も薬が切れてくると現れた。それはだいたいあの子の姿や声で、現実ではない幻の世界でもアストリッドはいつも最後に死んでしまった。


 ロキはのろのろと起きあがった。


 身体はまだ本調子ではなくとも、そうも言っていられない。回収対象のいる部屋にアストリッドたちはたどり着いていた。ロキは舌打ちする。ヴェルネリにまんまと騙されていたからだ。


 ロキに誘き出されるように、アストリッドはのこのこ追っかけてきた。

 

「ざまあみろ」


 アストリッドはもう泣かなかったけれど、ロキに呪いの言葉を吐いた。平気なフリをしていても、実はけっこう堪えていた。


 ヴェルネリに邪魔されて、レムが乗り込んできて、ここでもロキは失敗した。


 怪我のせいで頭がぼうっとしていたし、焦りもあった。もともと口下手なロキだ。ロクな言葉も残せずに、ロキはそのままケルムトを去った。

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