俺たちの仕事は回収だ

「で? どうすんだ、そのネズミは」


 イサヴェルを出て、ケルムトを目指すこと三日目。とうとうヴェルネリが切り出した。ロキもちらっとうしろを見る。尾行が下手すぎて目も当てられない。


 ヴェルネリが来たその日、台所を漁っていたネズミをロキは追い払わなかった。一週間も放置していたパンとチーズだ。黴だらけのそれを食べたらもれなく腹を下すが、食べられないことはない。


「知らない。俺にきくな」


 たぶん、ロキが留守のあいだも棲み着いていたのだろう。ネズミの一匹や二匹くらい、どうってことはない。


「お前な。ガキがガキを飼ってどうする」


 飼っていたわけじゃない。イサヴェルの貧困窟には孤児なんてそこら中にいるし、掏摸も強盗も殺人も勝手に覚える。

 

「どうせ売られたんだろ。……俺たちみたいに」

「手癖の悪いガキには教育が必要だぜ」


 知らない。興味がない。ロキはそこで話を終わらせる。家を荒らすくらいなら勝手にすれば良い。どうせあの家は廃屋だ。ロキだって、盗んできた家具や食料で暮らしている。


 だが、襲ってきたなら話は別だ。

 自分よりも子どもであろうとロキは殺す。殺されるくらいなら躊躇いなくそうする。

 

 たぶん、腹が減っていただけだ。ロキ自身が組織のリーダーに拾われたときみたいに。いや、ちがうな。俺はもともと組織にいた。顔も知らない親が組織に売ったんだ。どうにも記憶が混濁する。ヴェルネリに薬を減らされたせいだ。


 ロキはヴェルネリを見た。ずいぶんと洒落たコートを羽織っている。ロキの着る襤褸ぼろとは大違い。運び屋の仕事で儲けている証拠だ。組織に金をぜんぶ渡さずに着服している。あるいは、幹部か。他のメンバーとはほとんど顔を合わせないのでわからない。


 年は壮年に見えるが、もうすこし若いのかもしれない。

 長く薬をやっていると実際の年齢よりもずっと老けて見えるし、やつれる。痩躯そうくのヴェルネリも頬がけている。黒髪よりも白髪が目立つのも間違いなく薬の影響だ。


 ロキも色が抜けた。ホワイトブロンドの髪は白髪に近くなり、まるで白兎のレムのようだ。組織の奴らは薬から逃れられない。ロキは髪を黒く染めた。


「おい、何見てる?」

「いや。あんたのお喋りに付き合うのは、うんざりなだけだ」


 それはお互い様だとばかりに、ヴェルネリは煙草を吸いはじめた。ロキは煙草が嫌いだ。あんなものじゃ薬の代わりにはならない。


 イサヴェルを南下しつづければ、そのうち荒野が見えてくる。

 ひと月かけて砂と岩だらけの土地を旅する。駱駝には乗らない。そんな金なんて組織の人間は与えてくれないからだ。


 ロキもヴェルネリもそれぞれリュックを背負っている。

 野宿に必要な道具を詰め込んでいるからそこそこに重量がある。ロキはもう一度、背後を見た。二日目までは街の宿場に泊まったが、ここから先は野宿だ。ネズミは放っておいても勝手に餓死するだろう。


「で? ケルムトに着いたら、何をすればいい? 今度は太陽の巫女ベナ・ソアレでも殺すのか」


 ヴェルネリが声を立てて笑った。


「馬鹿か、お前は。俺たちにゃ、到底無理だ」


 月の巫女シグ・ルーナの暗殺を失敗したロキだ。揶揄やゆされていると思い、食ってかかろうとしたがやめた。無駄な体力は使いたくはない。


「ベナ・ソアレは通称蛇姫。その意味を知ってるか?」

「知らない」

「巫女はケルムトの太守の娘だ。さぞ可愛がられたんだろうよ。巫女の身体には血と一緒に毒が流れている」

「太守の毒味役?」

「そういうこった」


 おっかない女だ。しかし、自分たちの手に負えないというのは解せない。


「巫女の身体に流れる毒の種類は百を超えるって言うぜ。解毒剤は俺なんかじゃ無理だ」

「やたらと詳しいな」


 ヴェルネリはちょっと肩を竦めて見せただけで、それ以上を答えなかった。なるほど、月の巫女シグ・ルーナよりも厄介だ。エルムトでは吹雪と嵐の獣ベルセルクルに気をつけていればよかったが、ケルムトでは巫女自身が敵となる。


「俺たちの仕事は回収だ」

「回収?」


 鸚鵡返ししながらも、ロキはその意味をすぐに理解した。ケルムトにはすでに他の組織の奴らが潜んでいる。任務に失敗したらしい。役立たずは他の奴に始末される。あのとき、ロキに接触してきた奴らもそうだった。本土の使者――ユスティーナを攫おうとして、し損じた。


 ロキが生かされているのは、月の巫女シグ・ルーナの暗殺に至らずともユハを動けなくしたからだ。嵐の獣ベルセルクルはロキから月の巫女シグ・ルーナを守って負傷した。愛するユハを傷つけられた月の巫女シグ・ルーナは精神を病んだ。おかげで氷と雪と冬の国に春が訪れなくなった。


 完全なる失敗だった。

 この三年間、エルムトには外部の人間が接触するのは、ほとんど不可能となった。とっくに消されていてもおかしくないロキがまだ生きているのは、組織に何らかの利点があったからだろう。


「ケルムトを手に入れるのは並大抵のことじゃない。だがな、エルムトを先に手中に収めれば、その後は容易いと思ってる」

「単純だな」

「ああ。上の奴らも大概だが、依頼主の考えてることなんて俺にはわからんよ」


 よく喋る。べらべらと情報を垂れ流したところで、ロキなど脅威に思っていない証拠だ。


 日が落ちる前にロキとヴェルネリは野営の準備をはじめた。

 砂と岩と夏の国ケルムト。昼間はその暑さに苦労するが、夜はぐっと気温が下がる。パンをかじっているとネズミが寄ってきた。ヴェルネリが舌打ちする。ロキは構わずにドライフルーツを投げた。


「チッ。飼うんなら、お前が責任もって世話しろよ」


 ネズミはドライフルーツにがっついていたが、食べ終えるとロキの傍までやってきた。

 蓬髪ほうはつの下からのぞく青い瞳は澄んだ色をしていた。まだ、ほんの子どもだ。このままロキたちに付いてきて組織の人間になる。そうして薬漬けになるよりも、ここで放置して餓死させていた方がましだったのではないかと、ロキはそう思った。


 ネズミは喋れなかったが、ロキの手の平に文字を書いた。メルヴィ。それがネズミの名前だった。

 

 ひと月以上かけて、ようやくロキはケルムトにたどり着いた。

 エルムトやイサヴェルではまもなく冬だというのに、ここはとにかく暑かった。一年のほとんどが夏、氷と雪と冬の国とは真逆である。


 長旅の疲れを癒やすために宿場へと入った。

 ところが宿の主人はロキたちを無視して外へと出て行った。太陽の巫女ベナ・ソアレが近くまで来ているという。


「せっかくだから、顔を拝んでおこうぜ」


 めずらしくヴェルネリが乗り気だった。いずれ暗殺対象となるならそれも悪くない。軽い気持ちで賛同したのがそもそも間違いだったのだ。


 大通りでは現地の住民やら旅人やら、とにかくたくさんの人が群がっている。

 長身のヴェルネリならばともかく、彼よりも頭一個分背の低いロキは野次馬たちを押しのけながら前に進む。どうにか掻い潜って先頭へと出ると、そこでロキは目をみはった。 


 なんだ、あの生きものは。

 

 見たことのない巨大な生きものが二匹、その巨体を揺らしながら近付いてくる。

 長い鼻と大きな耳、あとで知ったのだがあれは象という生きものらしい。ロキはもっと視線を上にあげた。ごちゃごちゃ飾り付けられた象の背中には、日除け用の傘と大きな椅子がくっ付いている。もちろん、そこに座っているのは人間だ。


 褐色の肌をした黒髪の女をロキは最初に見た。身体中に装飾具を巻き付けた派手な衣装だ。あれが、太陽の巫女ベナ・ソアレ。ロキは懐に隠してあるダガーに手を伸ばす。俺でも、やれる。そう思ったが、さすがにここからでは距離が遠すぎる。


 太陽の巫女ベナ・ソアレの隣にはもう一人が見えた。

 嵐の獣ベルセルクルだ。ロキはまじまじと見る。しかし、ロキの呼吸はそこで止まった。あり得ない。そう、唇は動いていた。


 太陽の巫女ベナ・ソアレを乗せた象がロキのすぐ傍まで来た。ロキはそこではっきりと彼女を見た。あの子だ。三年前、ロキが伸ばしたその手は受け取ってはもらえなかった。その左手が、いまになって震えた。

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