コーヒーは好きかい?
「いつまで不貞腐れてる?」
声にロキは無視した。
ケルムトを出る前から、ロキはずっと不機嫌だった。
組織での仕事のほとんどは本土――イサヴェルが中心だ。エルムトやケルムトに行くとなれば、それだけ重要な任務を意味する。ロキもそのつもりだった。
俺たちの仕事は回収だ。最初に、ヴェルネリはそう言った。
「お前は嘘つきだ」
「あん?」
「なにが回収だ。最初から、あいつらを始末する気もなかったくせに」
ヴェルネリはにやにやしている。ロキは苛立つのを抑えられない。
「まあ、落ち着け。別に俺は嘘なんか言ってないぜ。たしかに回収には失敗した。ベナ・ソアレにも接触できなかった。俺たちゃ、いつ回収される側になってもおかしくないわけよ」
「笑えない冗談だな」
「そう悲観しなさんな。本土には強欲な奴らがゴロゴロしてるんだ。どうせまた俺たちを使いたがる」
「エルムトとケルムトを手に入れるため?」
声の代わりにまず笑みが返された。
「巫女ってのは、ある意味宗教みたいなもんだからな。しかしそいつが厄介よ。まあ、つまるところそれを奪っちまえばいい。信仰とやらを失った人間は、簡単に余所の人間を信じちまうからな」
「くだらないな」
だが、どんなくだらない理由でも、ロキは組織に属する人間である。命令には従わなければならない。
「とんだ無駄足を踏まされたのが、腹が立つ」
「ガキじゃあるまいし、いつまで言ってる?」
ヴェルネリは胸ポケットから煙草を取り出した。ロキは煙草があまり好きじゃない。道中も煙たくて仕方がなかったし、こいつのお喋りに付き合うのはうんざりした。
おまけにケルムトでは散々な目に遭った。
会いたくなかった人に追い回された上に肩を刺された。接触するつもりはなかったのに不本意ながらも邂逅し、泣かれた上に頬をたたかれた。
ぜんぶ、こいつのせいじゃないか。
ロキは舌打ちする。
そう、ヴェルネリは最初から組織の連中を回収するつもりはなかったのだ。回収という名の口封じ。ロキ自身も納得していたはずだが、まさか裏切られるとは思っていなかった。
「お前さんを助けてやったんだぜ? すこしは感謝してもらわないとな」
なにが感謝だ。ロキは歯噛みする。
レムに刺されたあと、医者に頼ったまでは覚えている。そこから三日くらいの記憶が曖昧なのは、怪我のせいで高熱が出たからだろう。まったく、先生は容赦がない。
動けるようになるまで、ロキはとにかくじっとしていた。
ときどきヴェルネリが様子を見に来ては、腐りかけのリンゴやら黴びたチーズやらを投げ込んでいく。回復するまでロキは何度も夢を見た。けれど、あの子の声をきいたのは幻聴ではなかった。
「だいたい、相手があの白鬼のレムだ。俺たちにゃ、勝ち目なんてないぜ」
「白兎じゃなくて、白鬼?」
「あれのどこが兎だって? お前さん、視力もだいぶ落ちてんな」
異名はさておき、アストリッドが下水道に現れたのならレムも来ているのは明白だった。ヴェルネリはロキをあの二人から助けたと主張するが、ロキは鼻で笑う。閉じ込めたのはあんただろうが。
「お前さんも厄介な奴に目を付けられたもんだ。ご愁傷様だな」
エルムトでのロキの悪行を言っているなら、それは筋違いだ。レムは最初からロキを警戒していた。だから弟子にしたのだ。
「でも、先生が組織にいたなんて。俺は知らなかった」
「あん? 悪名高き白鬼のレム。組織の裏切り者を知らないなんて、お前さんはガキだな」
裏切り者。組織のなかでレムはそういう扱いらしい。世話になった恩人だが、その過去にまで興味はない。ロキは話題を変えた。
「で? どこまで連れて行くつもりだ?」
イサヴェルの貧困窟から中流階級の居住区を抜けて、商業区へと入る。マーケットを素通りして、大通りをひたすらに真っ直ぐ進んで行く。途中で教会やら学校やら美術館やら病院を見たが、ロキには無縁の建物だ。
「お前さん、コーヒーは好きかい?」
「は?」
間抜け声で答えてしまったロキに、ヴェルネリはにやっとした。
「やっぱガキだな、お前。コーヒーも知らないし、いつまでも根に持つし」
「コーヒーは知ってる」
黒インクそっくりの液体をレムが飲んでいるところを目撃して、ロキはびっくりした。ロキ君も飲む? ああ、お子さまにはまだ早いか。ミルクと砂糖を入れても美味しいんだよ。また嫌なことを思い出して、ロキは苛々した。
常連らしく、ヴェルネリはウェイトレスにコーヒーとミルクをひとつずつ注文した。
ミルクを受け取る際に、ウェイトレスに値踏みするような目で見られたが、これも無視した。親子には見えない組み合わせでも、イサヴェルでは日常の光景なのだろう。
「こっちだ」
ヴェルネリはロキを二階へと誘導した。一階と違って二階は個室があるらしく、そのうちの一部屋をヴェルネリは開けた。
いったい、なんだってんだ。
熱々のミルクが入ったカップを抱えながらも、ロキは警戒を怠らない。なにしろ、ロキもヴェルネリも失敗した側の人間だ。始末されるならそろそろだろう。ただし抵抗はさせてもらう。
個室には先客がいた。車椅子の老人と、もう一人は
「言っておくが、報酬は前払いだぜ」
いきなりヴェルネリが仕事の話をはじめたので、ロキもそこで理解した。
なるほど、車椅子がボスでもうひとりがリーダーか。
「もちろん」
リーダーが応じた。ロキは隅っこにある椅子に勝手に座った。ミルクには蜂蜜が落としてあるのだろう。ちょっと甘い。
「だが、次こそ仕留め損なってもらっては困る」
「皆まで言いなさんな。報酬分の仕事はさせてもらう」
コーヒーを啜りながらヴェルネリが笑う。車椅子の老人がなにやらぼそぼそ話しはじめた。声が小さすぎてロキまで届かない。
「期待はしている。そのための前金だ」
リーダーはボスの通訳らしい。でも、たぶん車椅子の老人が発した声とはちがう言葉を言っている。
死にかけのジジイじゃないか。
ロキがボスに対して持った感想だ。だが、油断ならないのはもう一人の男である。
どこかで見たような気がする。ロキはそう思った。リーダーの男の顔に覚えはないはずなのに、金髪碧眼の色には既視感がある。
目が合った。ミルクを啜っていたロキを見て、リーダーは微笑んだ。
「君のような優秀な少年は特に」
ロキは舌打ちしたくなった。どいつもこいつもロキを子ども扱いする。癪には障るが金はきっちり頂く。
「この任務が成功したら、次はコーヒーで乾杯をしよう。私もコーヒーにはうるさくてね」
とっくにコーヒーを飲み干したヴェルネリがにやにやしている。子どもにコーヒーはまだ早いとでも思っているのだろう。
どうだっていい。ロキはミルクを飲み干した。
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