父さんのおかげだよ
「おかえり、アストリッド」
コートを脱がずに手袋も帽子もしたまま、玄関ドアを開けるとすぐリビングへと飛び込んだアストリッドを、やさしく迎えてくれたのは養父だ。
「父さん! わたしね、」
「ああ、おめでとう。ワルキューレになれたんだろう?」
皆まで話す前に先に言われてしまった。アストリッドはぷうっと頬を膨らませる。
「それより怪我は?」
「してないよ。わたしが怪我させちゃったくらいだもの」
アストリッドは肩を竦めた。四人目までの相手をアストリッドはボコボコにした。さすがに最終相手に対しては気が削がれてしまったので、ちょっと手加減したのだけれど。
でも、あの金髪のお嬢さま、泣きそうな顔してたな。
アストリッドがこわかったからではなく、たぶんあれは悔し涙だ。アストリッドはそう思う。悪いことをした自覚はあっても、アストリッドはどうしても負けられなかったのだ。これを逃せばあともう半年後までまつしかなくなってしまう。
「いいにおい。ホットチョコレート?」
「そうだよ。さあ、コートを脱いで手を洗っておいで」
はあい、と。アストリッドは素直に返事をする。
玄関を開けたときから甘いにおいがした。もうすぐアストリッドが帰って来るからと、養父は待っていてくれたのだろう。
きっと十三歳のアストリッドなら、言うことをきかずに養父に抱きついて頭を撫でてもらうまで離さなかった。養父のイヴァンはとにかくアストリッドに弱いから、気が済むまで甘やかせてくれる。
アストリッドも養父が大好きだった。
なにしろイヴァンは俗に言うイケメンである。この国の人たちは男も女も背が高く、イヴァンもすらっとした長身の男性だ。髪色はこの国の人間にはめずらしい黒、色素の薄い人間ばかりのこの国では目立っても、その色は神秘的にも見えるのだ。目の色はアイスブルー、すっと伸びた鼻筋から薄い唇も、じっと見つめているのが恥ずかしくなるくらいに美しい顔立ちをしている。
そしてイヴァンは若い。壮年に差し掛かったところだか、見た目だけなら青年のような
真面目で正直な性格に惹かれる者も多かった。
子どもからお年寄りまでみんなに好かれるほど、イヴァンは人気者だ。
それはそうよね。だって父さんは
アストリッドの自慢の養父は、
いつも物腰の柔らかい養父だが、戦闘となると人が変わったように強い。
近所のおばあちゃんたちにきいた話だが、それこそ十年前のイヴァンはもっとツンケンしていたそうで、それが家族持ちになった途端に棘が抜けたのだとか。
「あのね。わたしがワルキューレになれたのは、父さんのおかげだよ」
あったかいホットチョコレートを啜りながら、アストリッドは言う。ちゃんとお礼を言わなければと思っていたのだ。
「急にどうしたんだ? アストリッドの努力の賜物だろう?」
「ううん。父さんがわたしに剣を教えてくれたからだよ」
イヴァンはちょっと苦笑いした。アストリッドの養父はどうも褒められ慣れていないらしい。
「お前が逃げ出さずに、根気強くつづけてくれたからだよ」
アストリッドも微笑む。逃げだそうと思ったことならば何度だってある。養父のイヴァンは子どもでも女でも容赦がなかった。いつもボロボロになるアストリッドを近所のおばあちゃんたちは心配したし、イヴァンを叱ったりもした。
父さんは悪くないよ。わたしがうまくできないからだ。
女の子だからって、剣を持っちゃいけない理由はない。だって、
「みんながみんな、ワルキューレを目指しているわけじゃないけど……、でもわたしは」
あまりにちいさかったからか、アストリッドのつぶやきはイヴァンにはきこえてないようだ。
でも、ほんとうのところは、父さんは反対だったのかもしれないな。
イヴァンは養父であり、アストリッドの本当の父さんじゃない。仲の良い父娘だと思う。近所のおばあちゃんたちだってそう言う。だけど本当の父娘じゃないから、どこか負い目を感じているのもほんとうだ。
氷と雪と冬の国。それが、アストリッドたちの住まう国だ。
春も夏も短くて、あっというまに秋になって冬が来る。おまけに太陽が昇らない
彼女は夜のあいだ、ずっと月に向かって祈りを捧げている。
北の島国であるこの国は、いつだって他の国に狙われているから戦う者が必要となる。
戦う戦士たちがみんな女だなんて、他の国の人間が見ればびっくりするだろうか。しかしこれにはちゃんとした理由がある。この国では男よりも圧倒的に女の数が多いのだ。
この国で生まれる赤子の七割が女の子、残りは男の子でも、その一割はどういうわけか十歳まで育たない。
では、どうやってこの国の女たちが夫を迎えて、子どもを産むのか。方法はいくらだってある。このちいさな島国を飛び出して本土から男を捕まえてくるか、反対に本土から来た男たちを逃さないか。そういうわけで、兎にも角にもこの国の女たちは芯が強いのだ。
アストリッドの養父イヴァンは、れっきとしたこの国の男児である。
男親が娘をことさら可愛がるのはどこの国でも一緒のようで、どの男親だって娘が
口には出さないけれど、イヴァンもきっとそうだとアストリッドは思っている。だから、イヴァン自ら剣の師匠を買って出てくれたとき、養父の期待に絶対に応えなければならないと、アストリッドは誓ったのだ。
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