人生をたのしむためのアドバイス

 使者の少年と護衛役の老爺ろうやが寝たのを見計らって、ロキは部屋を出た。

 本当はもっと早くにあの子のところに行きたかった。たぶん、あのじいさんは狸寝入りだろう。


 廊下に出てから数歩も進まないうちに、ロキの足は止まる。レムが戻って来た。


「先生。アストリッドは?」

「眠ったよ。さっきまで、わんわん泣いていたけどね」


 アストリッドはよく笑う。よく怒るし、いつもころころ表情が変わる。だけど、ロキはまだ彼女が泣いているところは見たことがなかった。


「怪我は?」

「ないよ、大丈夫」


 だいたい僕は医者だよと、レムは苦笑する。ロキは肩を竦めた。失念していたわけじゃない。


「そっちは?」

「すみません。逃がしました」


 実際、ロキはそれほど役立っていない。護衛のじいさんは強すぎた。


「そっか。まあ、君も怪我がなくてよかった」

「先生のおかげです」

「ロキ君の筋が良かったからだよ。教え甲斐があった」


 落胆されているのだろうか。わからない。でも、この様子ではきっとレムも野盗たちを逃がしている。 

 目顔で外を促されたので、ロキは素直に彼に付いていく。夜半前だが吹雪は止んでいて、しかし芯から身体が冷えるほど寒い。


「どうしてアストリッドの方に行かなかったの?」


 そんなことを問われるとは思わなかったので、ロキはレムを見あげた。レムは壮年の男にしては小柄で、まだまだ成長過程のロキよりちょっと背が高いくらいだ。


「先生が行くのが見えたから」


 正直にロキは応えた。レムが息を吐いた。ため息なのか苦笑いなのか、暗くて顔が見えないのでよくわからない。


「そうだねえ。きみの判断は正しいよ、ロキ君。使者には護衛が付いている。きみが加われば使者はより安全だ」


 褒められているようで、そのじつ責められているようにもきこえる。


「でもねえ、ロキ君。こういうときに女の子は、王子サマに来てほしいものなんだよ?」

「王子って、なんのことだ?」


 話の意図がうまく掴めずにロキは困惑した。レムがくすくす笑っている。


「君だよ、ロキ。アスラちゃんはね、君のことを」

「俺もアストリッドは好きだ」


 先に応えてしまえば、今度ははっきりとため息がきこえた。先生が何を言いたいのかがわからない。コートも羽織らずに薄着のままだ。わざわざ外で話すようなことなのだろうか。


「記憶は、どこまで戻ってる?」

「歳と名前しか。あと、生まれはこの国じゃない」

「そっか。僕の薬は飲まずに捨てた?」

「いいや、ちゃんと飲んだ」


 そう、ぜんぶ飲んでいる。レムは医者だ。薬学に精通している彼は自白成分を含む薬だって簡単に作れる。なぜ、そんなことをロキが知っているのかといえば、ロキはレムの助手だからだ。


「たった一年だけど、君はすごく優秀な生徒だったよ、ロキ君」

「じゃあ、卒業?」

「いいや、まだまだ早い。僕の卒業試験は手強いよ?」

「それ、卒業できたやつ、いるのか?」


 狭き門に入って見せろと、そう言いたいのかもしれない。先生はすいぶんとのんびり屋だ。


「先生も、あの人みたいに俺を疑ってる?」

「あのひと?」

「アストリッドの父さん」

「ああ……。イヴァンのあれはねえ、男親ってのはそういうものなんだよ」

「よくわからない」


 ロキはこの国の人間じゃない。一年前、十一歳のロキは十三歳のアストリッドに雪のなかから引っ張り出してもらった。凍死寸前、危うく凍傷になるところをイヴァンが助けてくれた。レムも医者としてロキをずっと看病してくれた。この人たちがいなかったら、ロキは生きていない。感謝はしている。


 寒さで頬がじんじんする。手も足もだんだん感覚がなくなってくる。あの吹雪の日よりはましかもしれないが、とにかく寒い。


 ここで凍死させるつもりなのかな。この国の人たちは本土の人間を警戒している。夏至の祭りユハンヌスならばともかく、わざわざ冬の時期にやって来るなんてどう考えてもおかしいからだ。


「子どもひとりが遭難しかけたくらいで、その子を疑ったりしないよ?」


 はっとして、ロキは息を止めた。


「ロキ君は、僕の弟子だからね」

「でも、なんで俺をあなたの弟子に?」

「それはねえ、ちょうど助手がほしかったからだよ」


 レムはね、うそつきなんだよ。

 信じかけたロキの耳にアストリッドの声がする。アストリッドはレムが苦手だからそう言っているのだと、思っていた。


「ほんとだよ? この国では男の子は貴重だからね。大事に大事に育てないと」

 

 レムをこわいと思ったのは、はじめてかもしれない。ぶるぶると身体が震えているのをロキは寒さのせいだと思い込む。


「だから、俺に医学を教えて剣も?」

「そう。男の子は強くなくっちゃね」


 この国ではせっかく生まれてきた男が十歳までに死ぬ。母親が男児を強く育てるのも当然だろう。レムはロキの母親ではないけれど。


「それにねえ、ロキ君。あの子に守ってもらうなんて、かっこ悪いだろう?」

「先生のおかげです」

「ふふん。もっと褒めていいよ」


 ロキはちょっと疲れてきた。輝ける月の宮殿グリトニルからずっと歩きとおしだった。夕食を終えてやっと休めたくらいに野盗に襲われた。もうとっくに日付を超えている。

 

 年寄りの説教にしては長すぎる。ロキはレムを置いて部屋に戻ろうかと思った。


「こらこら、年長者のありがたい言葉は最後までききなさい」

「先生はいつも話が長い」

「それ、イヴァンにも言われるんだよねえ」


 ロキはアストリッドの養父イヴァンが苦手だ。

 イヴァンはむかし戦士だったという。ロキを見るあの目は、たしかに戦士のする目だ。おまけにイヴァンはいま番人ヘーニルである。月の巫女シグ・ルーナに近しい存在として、異端児であるロキを警戒するのは当然かもしれない。


「人生をたのしむためのアドバイスだよ、ロキ。いいかい? 自分が本当に大切に想っている相手はね、けっして泣かせてはいけないよ」


 さっきアストリッドは泣いていたと、レムは言った。俺のせいじゃない。ロキはそう思う。


「あのひと、泣いたりなんかするのか?」

「ああ……、イヴァンはねえ、泣くというより怒るんだけど」


 アストリッドそっくりだ。本当の父娘おやこじゃなくとも、ずっと一緒にいればやっぱり似るのだろうか。


「さ、戻ろう。明日もまた歩き通しだからね。おまけにじいさんと子どもの護衛までしなくちゃならない」

「先生、なんだかたのしんでないか?」


 ロキの返しに、レムは笑って答えを誤魔化した。

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