一章 ゴッド

 ハーフラインでボールを奪った三ヶ日は一人二人と、いとも簡単に抜き去りペナルティエリアへと攻め入った。

 ディフェンダー陣が詰め寄りプレスをかけるも無意味だった。巧みなフェイントを織り交ぜた俊敏なドリブルで包囲網を突破。実に五人抜きを魅せた。


「おーー」

 敵味方から感嘆の声が湧いた。ピンチを察し、僕は前線から駆け戻りディフェンスに加わった。


「させるかぁーー!」

 シュート体勢に入った三ヶ日の背後から、反則覚悟のスライディングを挑む。


 三ヶ日はエッジの効いた鋭い切り返しでスライディングをかわすと、難なくシュートを決めた。

 この日「六人抜き」という離れ業を成し遂げた。


「やっぱスゲーな。三ヶ日は!」

「惜しかったな。あと一人でゴッドに並ぶ七人抜きだったのに」


 ・七人抜き

 日本人選手「ゴッド」がアジア予選で魅せた伝説。

 のちに海外のトップ選手数名が六人抜きを達成するも、世界の長い歴史の中で七人抜きを成し遂げたのは、後にも先にも「ゴッド」だけである。


 学校中が三ヶ日の話題で持ち切りだった。

 そしてその活躍が例のをぶり返した。



 いつものようにランニングに向かおうとすると尾栗が追いかけてきた。


「俺も一緒に行く! 興奮して寝られねーわ」

 遠目からでも高揚している様子が見てとれた。


「やっぱりあの、ゴッドの遺伝子は三ヶ日だろーな!? まあ、それは譲るとして俺は誰の遺伝子を受け継いでるんだろ?」


「お前まだ信じてるの?」


「あったりまえだろーが! 三ヶ日、アレ常人じゃねーぞ!!」


 サッカー小僧が憧れる、かつての英雄。

 ひょっとしたら、自分の父親かもしれない。

 超人的遺伝子が引き継がれているかもしれない。

 ──自分は

 あり得ないはずのに、

 尾栗は追いすがっていた。


「俺、人と違うなって、ずっと思ってんだよな!」


「……例えば?」

 川上が舞い上がる尾栗をみかねて、耳を貸した。


「こう見えて、宇宙の事とか結構考えるし、輪廻転生の事とかもしょっちゅう考えちゃうんだよな! 世界を変える使命感みたいなのが、俺には子供の頃から不思議とあるんだよ!」


 息巻く尾栗だったが、その話は誰もが一度は考えた事がある、ごく平凡なありきたりな話だった。

 僕にしたってこの学校に入学するまでは、漠然とした特別感を自分に抱いていた。

 今だにまだ、諦め切れてはいない。

 チート勇者が居座っている。


 幼い頃に古ぼけたサッカーボールを拾った。所有者は見つからず、結局僕が所持することになった。実はそのボールこそが、サッカーの神様で……。

 もしくは、そのボールの前の所有者こそが、赤髪のスーパースターで……。

 もしくは、そのボールは世界に七つしかない、願いを叶えてくれるサッカーボールで……。

 都合の良い妄想だけは、無限に広がる。

 垢抜けない人生に劇的な変化が訪れることを待ち望んでいる。


「あのさ、お前、父さんに対して尊敬とかはないわけ?」浮かれはしゃぐ尾栗に引っかかり、質問をぶつけた。


「うーん。尊敬はしてるけどな。地元ではちょっとした有名人だし……。親父の握る寿司は評判でさ「ゴッドハンド」なんて言われてテレビにも出たんだぜ!」


「マラドーナじゃん!」

 吹き出すように川上がツッコんだ。


 アルゼンチンの英雄。ティエコ・マラドーナ。

「手」を使ったゴールがワールドカップで認められたことから、その手は「ゴッドハンド」と呼ばれている。

 僕らは現役時代のマラドーナを知らないが、後世まで語り継がれる世界のスーパースターだ。


「そのサッカー向いてないよね?」

「キーパーに転向したら?」

「だからハンドが多いのか?」

 二人は日頃の鬱憤うっぷんをはらすかの如く、執拗に責めた。


「いや、だから! 寿司職人の親父は育ての親で……、きっと産みの親が別にいるはず……」


「てか、顔そっくりだから!」

 僕の指摘に尾栗は言葉を失った。

 本人に伝えたことはないが、浅黒い肌にとぼけた目。寿司ネタにちなんで言えば、尾栗も親父さんもアナゴみたいな顔をしている。


 血の繋がりがない家族。

 言い換えれば、赤の他人だ。

 それはそれで複雑なはずだろう。

 もし計画的に造られたサラブレッドだとしたら、

 人身売買と同じ。人権など存在しない。

 それを手放しで喜ぶ尾栗の心境が理解できなかった。


「深井の父さんはどんな人?」

 川上が無邪気な表情で八重歯を覗かせた。


「うちはなんだ……」

「あ、ごめん。なんか変なこと聞いちゃって……」

 気まずそうに謝る川上に笑顔で答えた。

「全然。最初からいないから慣れっこでさ」


 

 物心がつく前に他界したと聞かされている。

 本当にいたのか? いなかったのか?

 それさえも分からない。

 だから父親に対しての特別な感情がなかった。


「お前、サラブレッドなのかもな!」

 尾栗が何かを閃いたかのように語気を荒げる。


「サラブレッドだったらもっとサッカー上手いはずなんだけど……」思わず本音が漏れた。


「たしかにな!」

 デリカシーのない尾栗が、身も蓋もないピリオドを打った。辛辣な断定に心が折れそうになる。


「失礼だな!」

 川上のツッコミだった。サッカーが上手くないと言われても、恐れ多くて言い返せない自分がいた。

 僕を気にしての間髪入れないツッコミ「失礼だな!」が逆に失礼で、川上の優しさが切なかった。


 

 もし、が本当だとしたら、

 それはきっと、三ヶ日のような選手だろう。

 僕たちには縁のない話だ。

 僕は、そう願った。



「あのさ……。はばたけキャプテン最終回、観た?」尾栗が無言の圧力に責任を感じたのか、アニメネタに歩み寄る。


「……まだ観てないけど」


「まさか負けるとはな……」

 はあ。ため息が出る。

 尾栗よ。黙れ!

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