二章 結末

 僕はこの距離からのフリーキックを最も得意としている。


 右サイドからの直接フリーキック。距離は約25メートル。なぜならば、僕のフリーキックのお手本は元イングランド代表のベッカムだからだ。


 デービス・ベッカム。

 フリーキックの名手。プレミアリーグのフリーキック最多得点王。


 彼の映像は子供の頃から何度も観てきた。

 左方向から斜めに助走をつけ右脚のインフロントで巻き込むように打つ。軸足を大股で踏み込み、蹴り脚のバックスイングを大きくとる。腕を広げて遠心力を使い重心を後方に傾けて、ボールを高く蹴り込む。そのシュートは距離が長いほど美しく鋭い弧を描き、ゴールを射抜く。


 僕がこの学校で唯一誇れるものが、この聖なる右脚エクスカリバーだ。


「くらえ! これが聖剣エクスカリバーだ!」


 右サイドから放ったボールは、壁の右端の頭上を超え、鋭角な軌道で逆サイドのゴール左隅に突き刺さった。ゴール幅7.32メートルを横断する伝家の宝刀。底深く眠るチート勇者が、この時だけは目を覚まし、僕の身体を支配した。1対0。



 僕が聖剣を携えながらも、それを誇示できないでいるのは三ヶ日の存在だった。入学初日に気付いた。角度をつけた助走から、腰を捻ってシュートする僕に対して、三ヶ日は真っ直ぐな助走から、脚の振りも真っ直ぐ。腰を捻らずインステップで蹴るようにインサイドでシュートを放つ。

 足首の関節が柔らかいからできる芸当で、到底真似のできる代物しろものではない。インサイドでカーブを打ちつつ、インステップでブレ球も放つ。僕の努力や工夫をあざ笑うまさに、天性のチート勇者だ。


 三ヶ日のフリーキック。

 ゴールを背にして、三ヶ日と直線上の壁の中に、僕はいた。音もなく、ボールが蹴られた。


 シュ!


 僅かな初動から、伸びるような軌道。ボールは僕の頭上を越えキーパーの正面。そこから強烈な縦回転で、曲がり落ちる。とれるはずもない。振り返るとゴールキーパーの美輪が青白い顔をしていた。1対1。


 僕のチート勇者は、プールに飛び込んだ男性器のように再び、そのなりを潜めた。


 後半戦。

「なにしょげてんだよ! まだ同点じゃないか?」

真弥野に肩を叩かれた。


「あれ? お前もうスパイクの件忘れたの?」

 ゴブリンがおちょくった。


「ちきしょー、このままじゃ眠れねー! 深井、センタリング頼んだぞ!」

 血相を変えた真弥野がスパイクの紐を何重にもガチガチに結び直していた。



 その言葉通り、僕はクロスボールを真弥野の頭上めがけて蹴り込んだ。


「よしもらった!!」

 真弥野がディフェンスラインを確認し、前へと踏み込む。

 勢いよく真弥野がジャンプした。

 グイッ。高く舞った体が不自然に沈み込んだ。

「ズシシシ」

 メジロンが跳躍のどさくさに紛れてユニフォームを引っ張ったのだ。


「てめぇ!?」

 バランスを崩した真弥野は、ひっくり返りそうになりながらも、意地でもボールに食い下がった。落下するボールの横っ面を叩き落とし、ペナルティエリアへのパスになる。ポストプレイ。真弥野はそのまま地面に叩きつけられた。

 瞬時に成田が反応する。左脚のトラップでボールを浮かせ、滑り混んできたディフェンダーのスライディングを交わした。


 ゴールキーパーが堪らず飛び出した。成田は即座に、右脚のアウトサイドでキーパーの脇下にシュートを通した。バレリーナのようなステップこそ成田の真骨頂。踊るようにゴールを演出した。2対1。


 倒れた真弥野の前に成田が立つ。

 見下すような冷徹な視線が向けられる。

 成田はゆっくりと手を差し出して、真弥野を引き起こした。


 パンッ!

 成田と真弥野が静かに小さなハイタッチを決めた。

「スパイクの件はチャラにしてやるよ」

「偉そうに言いやがって」

 跳躍力に秀でたペガサスナイト、真弥野。

 脚元の技術と敏捷性に長けた成田。

 人間性はともかく、この二人のプレイスタイルは相性がよい。犬猿のなかとも言わしめた二人の連携にチームが湧いた。


 ハイタッチの乾いた音がホイッスルとなり二組に勝利がもたらされた。



 絶望的だった戦績は4勝5敗へと盛り返す。メンタルが重要な勝負において、気の緩みは致命傷になる。2勝5敗のセーフティリードは一組に油断を与えたに違いない。

 二連勝を勝ち取り、残り一戦。卒業を賭けた勝負の行方はこれで分からなくなった。




 年明けに行われた、全国高校サッカー選手権大会の決勝。サッカー少年の夢ともいえる、その舞台に尾栗は立っていた。


 1対0とリードした後半戦。味方のクリアミスから失点を許し1対1と追いつかれた。尾栗は自チームのゴールネットに転がるボールを拾い上げ、全力疾走で、センターサークルへと向かった。


 どんな時でも常に全力。尾栗らしい。

 そして、拳で胸をバンバンと叩きチームを鼓舞した。険しい表情ではあるが、まだ諦めてはいない。尾栗の闘志が画面からひしひしと伝わってくる。

 決定的なピンチを迎えると味方ディフェンダーがファウル覚悟のプレイで凌いだ。しかし、その代償は大きく一発退場のレッドカード。尾栗たちは10人対11人という不利な状況を強いられることになった。サッカーにおいて退場処分は致命的な痛手を負う。


「あー、ダメだなこりゃ」

 誰かが弱音を吐いた。たしかに勢いは、相手チームにあった。尾栗が声を張り上げ奮闘するも、虚しく空回りするばかりで、防戦一方の試合展開が続いた。


 頑張れ! 尾栗。

 諦めるな! 絶対。


 僕らの視線が、尾栗の一挙一動に奪われる。


 その時だった。味方のシュートが相手ディフェンダーに弾かれ、ボールが転々とゴールラインを割ろうとしていた。

 尾栗は、なり振り構わずボールに突進すると、スライディングでボールをキープ。ライン、ギリギリのところで辛うじて食い止めた。

 そして、そのまま、捻り込むようにシュートを放つ。角度0からの決死のシュート。一心不乱のシュートがゴールに吸い込まれていった。絶望ともいえる逆境を根性だけで跳ね返した。


 国立競技場が揺れた。

 尾栗が勢いよく横一文字に拳を切り裂く。

 とぼけた目は鋭く輝き、百獣の王の如く吠えた。2対1。誇らしく突き上げた尾栗の人差し指が、僕らの胸に突き刺さった。


 閉会式。澄んだ青空の下で尾栗は優勝旗を手中に収めた。オークが高校サッカーの頂点に立った。

 得点王、MVP選手にも選出され「高校サッカー部の星」として大健闘した。


 捨てる神あれば拾う神あり。

 神はいる、そう思った。もちろん連絡はない。

 そこで、ふとある仮説が浮かんだ。

 なぜ、尾栗は自分のことだけ秘密主義なのか?

 それは、自身の物語に結末オチを設けていないからではないか。

 

 ではないから話せない。


 きっとプロのサッカー選手になったとしても連絡はないだろう。ピッチの上で「お前には負けないからな。絶対に!」と、厚苦しく肩に腕を回されるだけだ。


 頭の中で尾栗の鼻息が耳元にかかり、僕は首をすくめた。

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