三章 蹂躙


 ──俺にボールをよこせ!


 三ヶ日の目つきが変わった。

 あまりの声の大きさに、僕は思わずけ反った。敵味方関係なく顔を見合わせる。三ヶ日が発した声だと気付くのにしばらく時間を要した。

 あきらかに今までの三ヶ日とは様子が違う。


 一瞬のうちに三ヶ日は軽々とボールを奪い、同時に凄まじいスピードで駆け上がった。

 身体が硬直して遅れをとった。かろうじて、間に合ったバハムートが真横から肩を入れる。


 ギュルン!

 かち合うかと思ったやいなや、水滴の垂れた草花のようにショルダーチャージをいなして、すり抜けていく。


 魔王城の門番二人が動いた。先鋒として、イフリートが間合いを詰める。一撃で仕留めようと烈火の如くスライディングを繰り出した。

 三ヶ日は右脚一つで左右にボールを動かし、アウトサイド、インサイドと、細かな連続タッチのフェイントでイフリートを交わした。ポルトガル語で輪ゴムを意味する「エラシコ」と呼ばれる難易度の高いドリブル技術だ。プロのサッカー選手ですら体得するのは難しい。三ヶ日はそれをすでに自分の物として扱う。

 動線を読んだゴーレムがカバーに入る。三ヶ日は抜け出したスピードを保ったままゴーレムの正面に入り、人体の構造からは不可能な機動で脇をくぐり抜けた。


 猫科の動物のような体術に目を疑った。

 しなやかつ鋭角な動きは、物理的にあり得ない。ボールは?

 

 肝心なボールはゴーレムの背後にあった。二人の門番は首を動かすのがやっとだった。ゴーレムの股下を通したボールが再び三ヶ日の足元へと帰る。


 

 ……す、すげぇ。

 今まで見たことない三ヶ日の姿が、そこにあった。


 シュパーーーーンッ!

奴隷に打ちつける鞭のようなシュートが叩き込まれた。4対3。

 

 その姿は、絶対王者。

 王の前での非礼を詫びろと言わんばかりに、容赦なく痛めつけられた。もて遊んでいるようにも見える。


 試されている?

 違和感を覚えたのは三ヶ日と対峙した時だった。

 三ヶ日は意図的に「間」を作る。

 何を選択するか? 

 見定めているかのような視線。

 最初は優れたバランス感覚からくる、囮としての「間」だとばかり思っていたが、どうやら違う。

 本気で攻めに転じた時の「間」とは異質な、

 何かがある。


 三ヶ日のスピードに乗ったドリブルは、誘い込むように一瞬の「間」が作られる。チェンジオブペース。上半身を左右に揺さぶり、下半身は曲芸師の如くボールを自在に転がす。一連の動きがディフェンスの重心を崩し、その逆方向に抜け出す。これが三ヶ日の常套じょうとう手段だ。



「…さてと、もう1点は必要だな」

 すれ違いざまに三ヶ日が囁いた。


 やはり、こいつは遊んでやがる。

 僕は引っ張られた重心を即座に立て直し、食い下がった。軸を中心に置くことを意識して、視覚に惑わされない。フィールドを見渡すと分かる。右方向に抜け出したいはず。左への動きはフェイク。釣られる素振りをみせ、瞬時に逆方向へと右脚を差し出す。


「やるね」

 不意に声が聞こえた。

 僕の右脚を飛び越えていく三ヶ日の横顔は、心なしか笑っているように見える。不気味な残像を残して、シュートが放たれた。追随を許さない能力は、あまりに絶大で、暴虐な君主としても映る。4対4。


 

 三ヶ日の蹂躙じゅうりんは続いた。

 鳴り響く踏み切りの遮断機を掻い潜る無法者のように、僅か数センチの至近距離をかすめていく。

 身体を入れたつもりが、可動域の大きい柔軟な関節がそれを受け流し、衝撃を吸収する。


 フォワードの成田と真弥野がタッグを組んで三ヶ日と対峙した。ダブルチーム。背に腹は変えられない。二人の不仲を代償にしてでも防ごうと立ち向かった。

 息つく暇なく三ヶ日の進撃を遮った成田だったが、僅かに傾いた重心の逆に、瞬時に加速した三ヶ日が猛スピードで抜け出す。慌ててカバーに入った真弥野を片腕一つでぎ払うと、二人の包囲網を易々やすやすと突破した。体勢を崩された真弥野が地面に這いつくばりながら唖然としている。真弥野は身体能力が高く、フィジカルも強い。


 その真弥野を片腕一つで?

 華奢にみえるその腕のどこにそんな力が宿るのか? 妖術? まるで天狗の葉団扇はうちわの如く吹き飛ばした。

 


 さらに、ここから僕らは三ヶ日の真の恐ろしさをの当たりにする。


 バハムートの防御本能が、三ヶ日の進路を立ち塞いだ。刹那の間をおいて、三ヶ日は左右に大きく上半身を揺さぶる。それが常套手段のフェイントだと頭で理解していたとしても、体は正直に動いてしまう。流されたバハムートの隙を三ヶ日は見逃さない。またたく間にトップスピードに乗り、バハムートの脇腹を通過する。


「なめんなよ!」

「させるかー!」


 勢い止まらずペナルティエリアに侵入したと同時に、二人の声が交錯した。

 両サイドから三ヶ日を挟み込むように、川上とイフリートがスライディングを試みる。正面にはゴーレムが睨みを利かせていた。

 三ヶ日は、高速ドリブルを急激に停止させ、右脚の踵と左脚の甲でボールを挟み、宙へとこすり上げた。ふわりと浮いたボールに滑り込んできた二人の視線が釘付けになる。ヒールリフト。


 二人だけではない。

 魔術師のような一連の動作にピッチ上の人間すべてが、固唾をのんだ。

 空中に舞うボールの行方を見守った。

 火玉が尽きる線香花火の最後のように、ボールがストンと、ゴーレムの背後に落ちる。


 ギュン!


 静から動。伸縮自在の筋肉は軟体動物のように溜めから突如、弾ける。悠久の時を一瞬にして消し去り、ゴーレムの脇をすり抜けると落下したボールに合わせて、シュートを放った。4対5。


 前半戦。三ヶ日は、たった一人で4得点を挙げ、しかも「七人抜き」を成し遂げた。

 いまだかつてゴッドしか成し遂げたことのない離れ業に、場内は静まり返った。


 何だこいつ。

 完全無欠のぶっ壊れ性能。

 ゴッドそのものじゃねぇか?

 味方をも必要としない鬼畜の所業。


 人智を超えたその存在は、異形とも言えた。

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