一章 進級テスト


 吐息が白く目に見える季節。

 進級テストに伴ってコーチ達はチェックリストを持ち歩くようになった。審査されている。僕らはどころではなくなっていた。学校中に張り詰めた空気が漂っていた。


 練習が終わりランニングに向かう。

「少し歩こう」川上が視線を落として言った。

「らしくないじゃん」笑いかけたが、真剣な横顔がそれを拒んだ。何を話すわけでもなく、しばらく歩いた。


「……こないだ観たアニメのヒロインがさぁ、巨乳すぎて全然そそらないんだけど」

 僕は沈黙に耐え切れず、どうでもいい話題を振った。


「フッ」埃を払う程度の吐息が吐かれたと同時に、


「外国の太ったおばさんのケツみたいな乳なんて、需要あるのかな?」と、川上の呼吸に滑り込ませた。


 川上は何やら難しそうな顔をして、

「どうだろうね? 好みは人それぞれだからな。ただ作者の意地なんじゃない?」


「意地?」


「巨乳をウリにしたアニメはたくさんあるだろ? そのなかで生き残るためには個性が必要。大きさにこだわった作者の意地だよ。需要とか関係なくオリジナリティを追求した結果、お化けオッパイが出来上がった」


「うーん、そんなもんかねぇ、やっぱオッパイはDかEカップくらいがいいけどな!」


「深井もお化けオッパイ目指せよ!」


 どーいう事?

 頭の中にデカパイのようなケツをモチーフにした探偵アニメが浮かぶ。


「個性や長所をアピールすることが大事だよ! 深井はプレイスキックが得意なんだからさ!」

 

 たしかに少年サッカー時代、何も言わなくてもボールが回ってきた。フリーキックもコーナーキックも必然的に蹴っていた。それが当たり前だった。しかし、ここでは主張しなければ何も与えてもらえない。僕は殺気じみた熱意に気圧されて、プレイスキックのチャンスを見す見す譲ってしまっていた。


「お化けオッパイか……、よし、明日は思い切ってフリーキックに挑戦してみるかな?」

 コクリと川上がうなずいた。


 僕は決意表明のつもりで、全力で走り出した。

「あっ、ずるい」、後方で川上の声がする。

 捕らえられるまで僅か数秒。抗ってはみたものの川上の背中は遠のいていくばかりで、影すら踏むことを許してもらえなかった。


「俺のお化けオッパイは走ること! 深井も自分が得意なことで勝負だぞ!」

 可愛い顔をした獣人族は、見た目に反して負けん気が強かった。



 キッカーポジションに居座っているのはゴブリンみたいな奴だった。試合形式の練習では当然のようにボールをかっさらっていく。ゴブリンの襲撃。


 ギルド依頼

 ・ゴブリン退治

 フリーキックの度にボールを奪いにくるゴブリンがいて困っている。退治して欲しい。



 自チームのフリーキック。

 ここぞとばかりにゴブリンが現れた。

 勇者ぼくの出番だ。


「ゴブリ……、いや、フリーキック蹴らせてくれないかな?」


「えっ?」

 ゴブリンはしばらく考えていたが予想に反して、こころよく譲ってくれた。

「いいよ。今日はお前が蹴れよ!」

「ありがとな」

 礼を言うとゴブリンは一言付け加えた。

「大事にしろよ。進級テストにかかわる重要なキックだからな。外したら進級できないぞ! ククククッ」

 小柄な割に肩幅が広く、手足は短い。

 小さく肩を揺らす笑い方はゴブリンにそっくりだ。


「ドライブシュート打てよ。落ちるのはボールの軌道じゃなくて、お前がテストで落ちるって意味だけど」

 ゴブリンは狡猾だ。プレッシャーをかけてミスを誘発する。


 サッカーは紳士のスポーツ。

 試合で選手達が子供と一緒に入場するのには、子供達の前でアンフェアなプレイはできないという意味合いがある。しかし、実際のサッカーは、いかに上手く反則をするかという競技。

 審判の目を盗んでユニフォームを引っ張る。あたかもファウルをされたかのように大きく転ぶ。暴言で挑発しファウルを誘う。アンフェアなプレイが勝負の行方を決める。それがサッカーの現実だ。


 ゴブリンのしたたかさはサッカーに向いている。ただユーモアのセンスは、出来の悪い落語のようで古くてダサい。


 僕は動じることなく落ち着いていた。

 目を瞑り呼吸を整えると、もうすぐ冬がやってくる、そんな匂いさえも嗅ぎ分けられていた。子供の頃から何度も練習してきた。イメージは湧いている。


 足がボールに触れ乾いた音と共に芝の破片が舞った。鋭角に弧を描いたボールがゴールに突き刺さる。


 感情を抑えることなく叫んだ。


「うおおおおーーーー!!」

 川上のガッツポーズが視界に飛び込む。

 澄んだ空からローブをまとった「金髪巨乳の女神」が現れて、ユニークスキル付与。聖なる右脚エクスカリバーと、言ってくれた気がした。


 実際は、ジャージをまとった「角刈り胸筋マッチョの安田」が現れて「やるじゃねぇか」と、微笑んだ。


 ミッションクリア。冒険者ランクが上がった。

 それからというもの率先してフリーキックを蹴るようになっていた。戦利品はキッカー紋章エンブレムだった。




 ──進級テスト結果発表当日。

 合格者の名前が掲示板に貼り出された。

 川上と掲示板に向かった。


「やれることはやった。不合格でも悔いはない」

 強がってはみたが、近づくにつれて胸の奥から、トクトクとした鼓動が湧いてくる。

 それは川上も同じで、強張った表情を浮かべていた。

 

 正面から向かってくる尾栗が見える。


「お前達も合格していたぞ」


「えっ!?」二人同時に声が出た。


 なぜ先に言う?

 意表をつかれた。

 振り返って尾栗の背中を見つめた。威風堂々。悪びれる様子もなく、切り裂くように去っていった。


 入学初日の事件で尾栗は有名人になった。良い意味でも悪い意味でも、だ。プライドがせめぎ合うこの学校では、大概の人間が可もなく不可もなく、無味無臭のポジションへと追いやられてしまう。それぞれが、それぞれのお化けオッパイが必要だった。

 あれから約一年。尾栗は数々の逸話を作った。

 ラリアットを食らったり、バックドロップを食らったり、四の字固めを食らったり。不屈の闘魂伝説。「ただものじゃないね」川上が呆れるように言った。「バカなんだよ」僕はそれしか言えなかった。


 二人は一応、掲示板を確認した。

 確かに名前がある。

「おめでとう」

 そこでやっと素直に喜べた。

「お互いに!」拍子抜けした会話になった。


 それからいつものようにランニングに向かった。

 終わったことはどうでもいい。

 すべては通過点だ。

 駆け出す二人のピッチがいつもより速かったのは、を話してしまう尾栗のせいだった。

 デリカシー。尾栗はスタート地点の女神様から剥奪されたに違いない。

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