一章 獣人族

 尾栗だけには負けられない。

 感化された僕は練習の後に10キロのランニングを自主トレとして課すようになっていた。

 木漏れ日落ちるのどかな山道は、闇に覆われ、月明かりよりも弱い貧相な街灯に、異世界の羽虫が群がる。闇に潰された茂みの奥からは時折り、鳥獣なのか、得体の知れない鳴き声、いや、魔獣の叫び声ともいえる異質な叫喚が聞こえた。


「しまった、コース選択間違えた」

 尾栗への対抗心も薄れ、自責の念にかられていると、背後から何かの気配が近づいてくる。

 振り返るとクラスメイトの川上だった。


「チーーーース」

 抑揚のない平坦な声には「とりあえずの挨拶」、それ意外の感情は乗っかっていない。

 川上は僕の顔を見たのか、見ていないのか、それすらも分からず、ただ、真っ直ぐに、何事もなかったように追い抜いて行った。


 ちょっと待てよ!

 特別仲が良いわけではないが、一人で走るよりはマシだ。僕はペースをあげて川上を追いかけた。二人の距離はどんどんと遠くなり、川上の背中は闇の先へと消えてしまった。山道の勾配がキツくなり、膝への負荷が強くなる。これ以上、差が縮まらないことを悟った僕は、


「川上! 川上ーー!!」

 飛び道具を使う。

 ──が、反応はない。


 ……なんだよアイツ。

 取り残された不安と、素っ気ない態度に不信感を抱いた。──どうした? 平然とした様子で川上が舞い戻ってきた。その息はまったく乱れてはいない。余裕すら感じさせる笑みを浮かべて、さげすむように眉根を寄せている。「どうした?」じゃないよ! 僕は若干の怒りをみせたが内心ホッとしていた。


「せっかく会ったのに、こんな暗がりで一人にするなよ!」


「あれ? ひょっとして暗い所苦手?」


「いや、別に苦手じゃないけど……」

 そう言いかけて、確かにダークファンタジーは苦手だな。ゲームのダンジョンも隅々まで探索しないで、目的だけを達成して、すぐに脱出するタイプだと気づき言葉を濁した。


「お前、体力すごいな! ユニークスキル、無尽蔵持ちかよ!」


 僕のアニメネタに川上は突然「ニカッ」とした表情をみせた。暗闇の中でも一瞬、明かりが灯ったように特徴的な八重歯が白く輝いた。


「深井はアニメが好きなの?」

 さっきまでの川上とは打って変わって、溢れ出た感情を抑え切れないといった様子で、僕の返答を待っている。ご主人の帰りを待ち侘びた小型犬にもみえる。あどけない顔とカールのかかった癖毛がそれを連想させた。


「ま、まあな……」

 川上の豹変ぶりにしぶしぶを装って答えた。


「で、何系が好きなの?」


「……やっぱりTUEEEE系かな」


「TUEEEE系か!? 俺はざまぁ系が好きなんだよな!」

 TUEEEE系とは、いわゆる主人公無双の物語で、ざまぁ系とは、惰弱な主人公が成長して最後にどんでん返しをする復讐劇だ。


「深井がアニメ好きだとは知らなかったよ! スポーツやってる奴って、アニメあんまり観ないイメージだから嬉しいわ!」

 小動物のように喜び勇んで跳ね回る姿は、まさに獣人族。猫耳が似合うファンタジー世界お馴染みのキャラクター。

 この日から僕らは一緒に自主トレをするようになった。獣人族がパーティーに加わる。異世界転生序盤のお決まりパターンだ。


 川上は入学した日からずっと一人で自主トレのランニングをしていたそうだ。お世辞にもサッカーの技術が高いとはいえない。しかし、体力だけは特筆するものがあった。秀でたスタミナは努力の賜物だったと気づかされた。


 アニメでいえば、取得スキル。スタート地点の女神様から付与された物ではなく、苦労して勝ち取った物だった。



 ──主人公無双。

 理屈では分かっていたとしても、

 心の片隅に居座る僕のチート勇者が、聖剣を喉元に突きつけていた。

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