二章 とある春


「ハルちゃんのパパ凄いね」

 幼稚園の先生や友達から突然、いわれるようになった。


 会う人、全員が口を揃えて私にいった。

 知らないお兄さんも。知らないお姉さんも。

 知らないおじさんも。知らないおばさんも。

 うんざりだった。

 その日から道ゆく人達の、心の声が聞こえるようになった。


 その先に続けたい言葉。

 私、知っているんだ。

「ハルちゃんが男の子だったらいいのに……」


 だから私はいつの日か、苗字を隠すようになった。


「ハル」これが私のフルネーム。



 ──スポーツ興行といえば野球一択だった日本に、一石を投じたのがサッカーだった。Jリーグが発足すると一大ムーブメントを巻き起こし、流行語大賞には「Jリーグ」が年間大賞を受賞。

 その立役者となったのがキング・ウラノこと、浦乃和良だった。中学校を卒業すると単身でブラジルに渡り武者修行を行なう。その後、東京ヴィクトリーの前身である売読サッカークラブに所属し、日本サッカー界を牽引した。シーザスと呼ばれるボールを跨ぐ独特なドリブルや、リオのカーニバルをモチーフにしたゴール後のパフォーマンスは子供達の憧れの的となった。

 野球と言えば王、長嶋。サッカーといえば浦乃。爆発的なサッカー人気に乗じて浦乃は人気、実力ともに時の大スターへと駆け上がった。その存在を讃え、世間は「キング」と呼んだ。


 Jリーグが導入され、サッカーブームが巻き起こったその年、日本中を失意のどん底に叩き落とした悲劇がおきる。

 ドーハで行われた、ワールドカップアジア予選決勝。後に日本サッカー史上最大の悲劇と語られる「ドーハの悲劇」。前年のアジアカップを優勝した日本はグループリーグで首位に立ち、ワールドカップ初出場まで残り一試合と迫った。

 2対1とリードして、残すところロスタイムのみとなった最終戦。念願のワールドカップ初出場を掴みかけた矢先、無情にも同点を許すシュートが日本ゴールに突き刺さった。この失点で3位に転落、僅か数分のところでワールドカップ初出場を逃した。

 試合終了のホイッスルを待たずして、選手達は茫然と立ち尽くし、一人、また一人と崩れ落ちていった。選手だけではない。一瞬にして打ち砕かれてしまった夢に日本中が涙した。

 翌朝の新聞には倒れ込んだまま、起き上がることすらままならない日本のエース、「キング」の姿が一面を飾ることとなった。


 それから5年後。ドーハの悲劇で逃したワールドカップ初出場はフランス大会で叶えられる。しかし、予選を中心メンバーとして戦ってきた「キング」は、直前で登録メンバーから外れ、ワールドカップのピッチに、生涯立つことはできなかった。

 人は人に期待を寄せる。夢を託す。ファンは選手に、親は子に。自分の事を棚に上げ、人に委ねる──



 高校生になって私は家を出た。

 全寮制の女子校。

 父もサッカーも大嫌い。

 卒業後はエスカレート式の女子大にそのまま進学。

 家族とは絶縁状態。

 飲み会でユウ君と知り合う。本当は「合コン」なんだけど聞こえが悪いので、飲み会っていってる。


 在学中に同棲を始めた。

 社会人のユウ君のマンションに転がり込んだ。

 親に面倒をみてもらいたくなかったから。

 ようやくひとり立ち。

 すぐに大学も辞めた。

 自由になれた気分。

 開放された。清々しい気分だった。


 母はモデルをやっていたそうだ。

 若くして父と結婚。自分の夢を捨て、サッカー選手としての父に人生を捧げた。

 私が産まれてからも、それは変わらなかった。母の精神的な拠り所は私ではなく、父。キングの妻を懸命に演じた。父、中心の家庭に私の居場所はなかった。



 ユウ君に尋ねる。

 競走馬はレースに勝って賞金を稼がないと抹消されちゃうんでしょ? 勝てないハルウララは、どうしてレースに出走できるの?


 経営不振の高知競馬が連敗中のハルウララを「負け組みの星」として売り出したんだ。

 負け続けながらもひたむきに走り続ける姿に多くの人が魅了される。グッズ販売だけでも経済効果は大きいでしょ?

 ハルウララの馬券は当たらない馬券として、交通安全の御守りにもなってるらしいよ。


 ふーん。大人の事情ってヤツか。

 一勝くらいできるといいね。


「ハルウララが勝ったら結婚しよう」

 そうプロポーズされて、結局ハルウララは113連敗。

 一勝を挙げることもなく引退したのだけれど、私達は結婚した。大人の事情ってヤツ。

 新しい命を授かった。


 これからは三人で頑張っていこう。

 そんな矢先、ユウ君は死んじゃったんだ。

 白血病だって。

 私達二人を残して死んじゃった。




 春へ


 先立つ不幸をお許しください。

 ハルウララが走る理由を考えてみました。

 応援してくれる人がいるから。

 応援したい人がたくさんいるから。

 応援してくれる人がいなければ、

 走りたくても、走れないのが競馬です。


 応援は力を与えるだけじゃない。

 結果が全てじゃないんだよ。

 応援する人の希望にもなるんだよ。


 僕はいつだって、春を応援しています。

 二人の間にできた子供を応援します。

 これからもずっと応援するよ。

 近くで応援してあげられなくてごめんね。

 二人は僕の希望であることを忘れないで下さい。


 フレー、フレー、春!!


 深井有馬

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る