三章 とある宴

 コンビニの前でウコンドリンクを飲干し、ふと思った。

 今のレシートは一体誰の物なのだろうか? と。

 コンビニでウコンドリンクを購入して会計を済ませた。お釣りとレシートがトレーに置かれる。僕はまず、お釣りをとって財布にしまった。トレーにレシートだけが残り、一瞬の「間」ができる。コンマ何秒レシートを見つめる。僕はレシートを手に取り、備え付けのレシート入れに捨てた。


 レシート要らないんだけど……。

 きっと店側は、レシートを渡す義務がある。


 ──でも、僕は要らない。

 かと言って、出された物をそこに置いて帰るのも気が引ける。気の利いた店員さんならば、「レシートはご利用ですか?」などと声を掛けてくれることもあるだろう。変な「間」ができず、円滑に物事が進む。「捨てといて下さい」でもいいのだが、どこか横柄で、やっぱり気が引ける。だからトレーの上にレシートだけが取り残されて、店員と僕。真ん中にレシート。三者が睨み合い、無言の重圧が向けられる。お互いの思惑が交錯する。


 僕が捨てるのか?

 お前が捨てるのか?

 必要ならば言うし。


 必要ないならば言えよ。

 こちとら渡す義務がある。


 互いの正義が一瞬ぶつかり合って火花を散らす。

 そんなどうでもいい事を考えていると、

「深ちんもウコン買ったのか?」と、内ちんがやってきた。成人式の後、近所の居酒屋で同窓会が行われるのだ。


「これ飲んでおかないと翌朝きついからな」

 社会人さながらに言う内ちんは二浪していて、今年三度目の大学受験を控えている。やはり医大の敷居は高そうだ。医大に入学できて、ようやくスタートライン。本当の戦いはそれからだ! と、思ったが「頑張れよ」、僕はそうとだけ内ちんに伝えた。



 内ちんと二人で居酒屋の扉を開けると、「来た来た、来たよ! 俺のライバルが!」、真っ赤な顔をした尾栗にいきなりヘッドロックで迎えられた。

「Jリーガーのご両人が揃ったな!」その声に店内を見渡すと、中学のサッカー部と野球部が中心になって集まっていた。


「お前ら日本代表くらいになってくんないと、俺達、自慢できねーからな!」と、野球部の小賢こざかしいセカンドが言う。

「Jリーガーって何人いるんだよ? チーム数も多いし、ころころ移籍するし、俺、日本代表くらいしか知らねーわ!」

 たしかに、JリーグはJ3まで入れると58チームもあり、プロ野球の12チームに比べれば格段と多い。

 僕も尾栗も一応プロのサッカー選手に成れはしたが、今年三年目を迎える無名のかけ出し選手に過ぎなかった。

「今日はJリーガーお二人のおごりだろうな!」

 尾栗と顔を見合わせた。J2に所属する若手選手の給料なんてサラリーマンと同じか、それ以下だ。

「ばかやろう! 何で俺達がおごらなきゃいけないんだよ! なっ深井!」

「お前達におごるくらいならボランティア団体に寄付するわ!」珍しく尾栗と息が合った。

「深ちん、金がないなら貸してやるぜ!」

 内ちんが秒速で空にしたビールジョッキを掲げる。

「お前は浪人生だろーが!」

 そう言って僕もビールを喉の奥へと流し込んだ。

「やっぱり頼りになるのは医者の息子だな」

 野球部の連中が手のひらを返すと「ごちそーさまでぇーす!」と、無責任な声がそこら中に飛び交った。内ちんが自慢げにゴールドカードを見せびらかす。感嘆の声が湧くなかで、「親ガチャに当たってんじゃねーよ!」と、尾栗が内ちんの頭をはたき、ドッと笑いが起きた。



 一息ついてから僕達は改めて乾杯をした。懐かしさとお酒の力もあって、近況報告や昔話に華が咲いた。

「ところで深井、お前、弟が産まれたんだってな?」野球部の腰の高いショートが言った。ちなみに腰が高いのは、野球の守備での話。

「マジかよ! 随分と歳の離れた弟だな!」と、内ちんが僕に乾杯を求めた。

「なんで言わねーんだよ!」と、尾栗。

 お前が言うな。自分の事だけ秘密主義者が!

 別に隠していたわけではないが、率先して話す話でもない。

「深井のかーちゃん若いし、めちゃくちゃ美人だもんな! 俺、全然ヤレるわー!」

 尾栗が席を立ち、激しく腰を振った。

「人の母親をそーいう目で見るな!」

 僕が突っ込むと、「こんばんわー」、黄色い声をあげて女子達がぞろぞろとやってきた。尾栗がバツの悪い顔でそそくさと席に戻る。

 僕のほろ酔いは急速に冷めた。


 女子メンバーのなかに元カノがいたからだ。


 元カノと言っても、中一の夏から中二の夏までの間、付き合ってただけであって、特にこれと言った思い出もない。覚えている事と言ったら、一緒に行くはずだった夏祭りが台風で中止になってしまい、行けなくて悔しい思いをした事くらいだ。

 ただ僕にとっては、初めての彼女で、初めての失恋相手。失恋に免疫がなかった。おろしたてのシャツに、初めてついたシミとでも言えば分かりやすいだろうか? 針の穴ほどの小さな汚れなのに、そのインパクトは絶大だった。

 片思いの失恋と、付き合ってからの失恋とでは全然違う。10対0の大敗と、同点からのPK戦負けでは、悔しさの度合いが違う。「ドーハの悲劇」ならぬ、「初彼女の悲劇」だ。


 振られてから一度も口をきく事はなかった。それどころか視界に入れる事もなかった。完全に拒絶して、その存在を消した。あれから六年が経つ。先程の成人式でも、振り袖姿の元カノを視界の端に捉えたが、すぐさまシャットアウトしたばかりだった。


「それでは女子メンバーも揃ったという事で、改めて乾杯をしたいと思いまーす!」

 尾栗が上機嫌で乾杯の音頭をとった。

 僕と元カノ。二人の関係の事などお構いなしにドンチャン騒ぎが始まった。僕はこのに及んでもなお、元カノを避けていた。きっと元カノも、さぞ居心地が悪いだろう。僕は苦手な日本酒をあおるように飲んだ。



「……ショウ君、久しぶり。一緒に写真撮ろうよ」

 ほろ酔いが泥酔に変わる頃、元カノが緊張した様子で、声をかけてきてくれた。めちゃくちゃ勇気がいったはずだ。嬉しかった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。僕は精一杯の笑顔を作って、写真を撮った。

「あれ、あんた達、昔ちょっと付き合ってなかった?」うるさ型の女子バレー部キャプテンが水を差す。遠くでは、なぜか半裸の尾栗がドジョウすくいを披露していた。


 元カノの事を恨んでいるわけじゃない。むしろ今の僕があるのは、元カノのおかげだったと感謝している。僕はまだ、何者なにものにも成れてはいない。でもいつかきっと、元カノが僕の事を自慢できるような、そんな人間になりたいと思っている。

 感傷に浸りながら、隣に座る元カノに目をやると、美味しそうに杏仁豆腐を食べていた。



 宴もたけなわになり、人がポツポツと帰り始めた頃、尾栗と女子バレー部のキャプテンが何やら揉め出した。


「ほんとっ! 尾栗って昔からデリカシーないよね!」

 どうやら尾栗が、最後に一つだけ残ったから揚げを食べたらしい。

「なんでだよ! 俺はさっさと食べてお皿を片付けたかったんだよ!」

 尾栗には、尾栗なりの正義がある。

「そーいう時は、一言かけるものなの!」

 女子バレー部キャプテンも然りだ。

 正直どーでもいい。

「だから彼女できないんだよ!」

「うるせーよ! バーカ! 次、会う時は彼女連れて来てやるからな! 絶対に!」


 考え方も価値観も、性格もまったく違う僕ら。

 「同級生」のくくりだけで、長年付き合っている。毒づいて、泣いて、笑って、ケンカして。

 最高の「理解者」だ。そう、思える夜だった。


 帰り道、一人になった僕は、込み上げてくるものを抑える事ができなかった。噴火直前のマグマのような衝動。


 オエェーー!

 食べた物も、こじらせた感情も、

 すべてを路上にぶちけた。

 夜空に浮かぶ満月が、杏仁豆腐に見えた。

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