一章 ギャンブル

「さあさあ、はった! はった!」

 威勢よく声を張り上げて教室を賑わしているのは美輪だった。


「さあ、三年生に進級できないのは誰か!?」

「四十名のうち十名が退学!」

「誰が落ちるのか? みんな予想して賭けてくれ! 一口千円からだぜ!」


 机の上に立ち、人だかりの中心で赤ペンを耳に挟んだ姿は競馬場の予想屋そのものだ。


「おい!深井! お前らも一口かけろよ!」

 美輪に呼び止められ、一冊のノートを得意げに手渡された。


 予想ノートと書かれた表紙をめくると、競馬新聞さながらに、生徒の情報が解説付きで書き綴られていた。



 ・三ヶ日

 学校屈指の実力者。ゴッドの遺伝子を引き継ぐとの噂。落ちることは考えられない。大穴。


 ・尾栗

 パワフルなフォワードではあるが一本調子。かかりぐせがあり気性難きしょうなん。対抗。


 ・川上

 スタミナは評価できるが…。長くいい足を使う持続力型タイプ。本命。


 ・深井

 技術はあるが闘争心がない。揉まれ弱い。ソラを使う。本命。


「落選予想の本命とは酷いな!」

 隣にいた川上が声を荒げて突っかかった。

「……ソラを使うってなに?」

「競馬用語で走るのをやめる癖のことさ」

 あっけらかんとした様子で美輪が答えた。

 独断と偏見で書かれたノートだったが、的を得ていて僕は妙に納得してしまった。


「つーか、人の人生でギャンブルかよ!」

 川上の剣幕で「たしかに不謹慎だ」と気づき、大きく頷いて無言の抵抗を試みた。


「まあ、そういうな。たった一度の人生、楽しまなきゃ損だろ?」美輪がいたずらに目を細めてたしなめる。


「お前は誰に投票したんだよ?」

 川上がノートを突き返した。

「まあ、そんなにムキになるな! 俺は三ヶ日に投票したよ!」


 三ヶ日?

 思わぬ返答に開いた口が塞がらなかった。

 学校一の実力者が落ちるはずがない。

 競馬で言えば、とんでもない大穴馬券だ。


「ギャンブルは夢を買うものだからな! さあ、お前達もはった、はった!」


「……じゃあ、自分に投票してみようかな?」

 美輪の予想の通り、間違いなく僕は本命だろう。お金がかかったギャンブルならば必然的に、本命に投票するしかない。


「弱気だな!」川上が深呼吸にも似たため息を吐いた。

 

「不合格保険か……。それはそれでアリだな。進級出来なくても、金は入る。不幸中の幸いってヤツだ!」

 美輪はそう言うと、赤ペンを指先で器用に回した。クルクルと回転する軌道が催眠術のように僕らに暗示をかける。のせられている事が分かっていてもお金を差し出してしまう自分がいた。


「……仕方ないな。じゃあ、俺も自分に保険をかけておくか」

 川上も同じだった。美輪の策略にまんまとハメられてしまった。

「お二人さん、毎度ありー!」

 賭け引きにおいて、この学校で美輪の右に出る者はいない。柔らかな物腰と軽妙なトークは、心の隙に上手く入り込んでくる。弱味につけ込む手法は策士ペテンシそのものだ。




♢♢♢


 ゴールキーパー美輪のプレイは特殊だった。

 待望の縦パスが前線へと送られ、フォワードの尾栗が飛び出す。


「もらったーー!」

 ゴールキーパーとの一対一。決定的なチャンスだ。

 身構えるのは美輪。念仏のようにブツブツと呟いている。


「……さっきは前で、次は後ろか? いやもう一度、前か? どっちにしても確率は二分の一。高確率!」


「よし決めた! 前!」

 果敢にボールに向かって突進する。


 尾栗がボールに追いついた。

「いける!」右足を振り上げた。


 ズザザザザァーー!

 尾栗の脚がボールに触れる前に気迫溢れるスライディングでキャッチしたのは美輪だった。


「ふぅー。危ねぇ危ねぇ。賭けに勝ったな」

 一か八かのギャンブルプレイ。それが美輪の持ち味だ。


「くっそ!」

 尾栗が地面を殴りつけた。

「あれは決めねぇーと!」

 コーチ陣から厳しい声が飛ぶ。一対一ではフォワードの方が圧倒的に有利だからだ。逆にピンチを迎えたキーパーにとっては素早い判断力が必要になってくる。美輪はそれを天性の勘に頼っていた。生粋の勝負師ギャンブラー


 次に美輪を襲ったのは三ヶ日だった。

 軽快にトラップすると、鞭のようにしなった足からシュートを繰り出す。


「右か、左か、運に任せるのみ!」

 美輪は先読みで右に飛んだ。ボールが吸い込まれるように右に弧を描く。「ビンゴ!」そう思った瞬間、ボールは、ゆらりと軌道を変えてゴールに突き刺さった。無回転シュート。空気抵抗を受けて予測不能な大きな変化をもたらす。


「こんなの止められるかよ……。俺の万馬券予想も外れたな……」

 美輪は三ヶ日の圧倒的な能力に、二つの意味で絶望した。


「やっぱり俺も自分に投票しておくべきだな……」

 大穴狙いのギャンブラー、首謀者の美輪さえもが「不合格保険」をみずから追加する。


「お前らもっと自分を信じろよ!」

 自信過剰な尾栗を他所よそに「不合格保険」は飛ぶように売れた。みなみな、御守りがわりに購入した。


「現実が見えないバカはカモだな……」

 美輪が意味深な言葉を吐いた。



 ──そして、ニヤリと、

 あざけるような笑みを浮かべる。


 不合格を煽り、売り上げを倍増させてマージンをとる。美輪の魂胆を見抜く人間はいない。


 結局ギャンブルは元締めが一番儲かる。

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