二章 策略

 サッカーは「走るチェスのようなもの」といわれる。戦力ではなく戦術だ。


 公式戦二戦目。

 監督の安田は大型フォワード、メジロンのマークにディフェンダー陣のなかで最も小柄なゴブリンを指名した。


「なんだよ……、成田の次は俺がリタイアかよ。どうせ俺はチームには要らない人間なんだよな……」

 不服な様子を隠すことなくゴブリンがぼやいた。


 しかし、一見ミスマッチとも言えるこの奇策がはまった。フィジカル頼りの強引なドリブルをメジロンが仕掛ける。


「オラオラ、ズシシシ」

 重装兵の侵攻。大物俳優さながらの威圧感オーラを放ち蹴散らしにかかる。案の定ゴブリンが吹っ飛ばされた。


「痛っあぁぁーー!」

 足首を両手で握りしめてゴロゴロと、のたうち回る。悲痛な叫びが敵味方関係なく鼓膜をつんざいた。額を地に擦り付けて立ち上がる気配がない。


 またか……。

 コーチ陣達が曇った顔で詰め寄った。

 メジロンにファウルが与えられる。


「大丈夫か? やれるか?」

「……はい。……なんとか大丈夫そうです……」

 ゴブリンは審判に背を向けて体を起こし、ペロりと小さく舌を出した。体の大きいメジロンに対して小柄なゴブリン。

 反則ではなくてもファウルに見えてしまう。そしてまたゴブリンは、その見せ方が上手かった。決して大袈裟ではなく、慈悲を求めるように。


 ファウルゲッター。ファウルを演出してチャンスを作る。小柄な選手が生き残るために習得したすべであった。ゴブリンを漢字表記にすると小鬼と書く。


「クククッ」

 悪意に満ちたニヒルな笑い方は、まさしく鬼そのものだ。


「やりにくいな、……ズシシ」

 メジロンが焦燥に駆られているのが分かった。足元の技術だけならば、ゴブリンの方が上だ。細かく、的確にボールに足を差し出す。地味にみえるが、着実にスタミナと平常心を削っていた。


「このチビ、ちょこまかと……、ズシシ」

 ゴブリンは小蝿こばえのような鬱陶うっとうしさで、執拗に絡んだ。出来ることならば叩き潰したい。メジロンの心情はプレイに表れていた。荒々しさに拍車がかりファウルを連発する。攻守に渡って精彩を欠いた。


「くそ、またかよ。ズシ」

 笛が鳴り審判が駆け寄るとゴブリンは、

「僕なら大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 時には素早く立ち上がり、審判の機嫌もとった。緩急をつけた演技テクニックは表彰ものである。



 メジロンの焦りが一組の調子を狂わせ、前半戦は0対0で折り返した。


「やれるぞ。やれる!」

 ハーフタイムのベンチは、先月の大敗などすっかり忘れて気力がみなぎっていた。小兵こひょうであるゴブリンの奮闘がチームの士気を高めた。

「いける、いける!」

 各々が声を出しチームを鼓舞する。



 後半開始早々、二組にチャンスが訪れた。

 コーナーキック。僕は日本人離れしたジャンプ力を持つ真弥野にターゲットを絞った。空中戦ならば真弥野に勝てる奴はいない。脳裏には強烈なヘディングシュートが焼きついている。180センチの真弥野に190センチのメジロンがマークについた。


「ズシシ……、お前なら本気で当たっても問題ないな!」

「遠慮なくかかってこい!」


 あいつなら届くはず。

 不安よりも、ワクワクと胸が弾んだ。

 鳥人的な跳躍は間違いなくワールドクラス。

 会場が騒然となるだろう。

 まだ見ぬゴールを想像して頬が緩む。

 ボールをセットし、気を引き締め直してから顔を上げると、ペナルティエリアでは、激しいポジション取りの攻防が繰り広げられていた。


「ズシシシ」

「重っ! お前体重かけてくんなよ!」

 お互いに体を入れ合い、譲らない。真弥野が苦戦を強いられているのが見てとれる。


 それでも僕は真弥野めがけてボールを蹴った。

 いつもよりもかなり高く。その高さに失笑が漏れる。空に吸いこまれそうな勢いで蹴り上げたボールは、まだ落ちてこない。


 先に飛んだのはメジロンだった。巨体が羽ばたいた。


「くっ!」

 真弥野が競り負けた? と、感じたのもつかの間。


 真弥野はワンテンポ遅れてからメジロンに向かって突き上げるように、小さく斜めに飛んだ。メジロン程の巨体がいとも簡単に吹っ飛ぶ。地に足がつかない状態ならば、巨体でも脆い。


 トンッ。

 着地したすぐに真弥野が素早く、もう一度ジャンプする。


 その姿はまさしく、ダンクシュートを決めようとするNBA選手だった。最高到達点は誰よりも遥かに高い。チームメイトでありながら身の毛がよだつほどの跳躍力。規格外の高さにフィールドがざわめき立った。


 ボールが落下に入ると空中で待ち構える真弥野は、頭を力強く振り抜きゴールに押し込んだ。ヘディングシュートとは思えない破裂するような弾丸がゴールネットを強襲した。1対0。


「うおおおおおーー!」

 歓声と感嘆の声が一つになり、大きな轟きになった。鳥人の晴れやかなデビュー戦であった。


 天から舞い降りた真弥野は胸で十字を斬り、僕らに向かって投げキスをかました。ド派手なシュートに負けずとも劣らない、痛々しいパフォーマンス。


 ダサっ。どこで覚えたんだ?

 真弥野は恍惚とした表情で、

 首からかけたロザリオを天に掲げている。


 リーゼントで喧嘩屋のくせに、クリスチャンか?

 人を見た目で判断するのはよくないが、つくづく分からない奴だ。僕の頭に疑問符が浮かぶ。


「教科書通りだぜ! 地を離れた人間は、下から横に力をかけて押しのけるといいんだぜ!」

 真弥野はロザリオをしまうと、乱れたリーゼントを密かに忍ばせていた小さなクシで整えた。


 つーか、試合中に余計な物を携帯するな!

 公私共に規格外の真弥野には呆れる。


「ん……? 何が起きた? ズシ……」

 尻もちを着いたメジロンがきょとんとしている。フィジカル自慢の自分がまさか吹き飛ばされるとは思いもしなかったのだろう。




 二組の攻撃はこれだけでは終わらなかった。左サイドから切り込んだゴブリンがファウルを貰う。巨体相手に立ち向かう姿が、審判の同情をかったのかもしれない。いや、そう演出しているのがゴブリンの名演技テクニックだ。しかもゴブリンは大袈裟に転んでいるようで、相手の力に逆らわず受け身をとっている。ケガ防止の対策をしっかりと心得ている。まさにいぶし銀、技巧派俳優だ。



 ペナルティキック。

 キッカーの僕の前に壁が並ぶ。


「右、右、もう少し左」

 キーパーが細かい指示を出して壁を動かした。いつもならばキッカーは僕か成田。成田が欠場のため僕と左利きのゴブリンが立った。


 僕のモーションと同時に壁が飛ぶ。走り込んだままボールを蹴らずに通り越す。おとりになった。逆方向から交差してきたゴブリンが、手薄になったコース目掛けてボールを放り込んだ。


「しまった」

 逆をつかれたキーパーの反応が遅れる。放物線はそのままゴールへと吸い込まれていった。待望の追加点。


 ゴブリンに人の波が押し寄せた。祝福のタッチが留めどなく続き、背中をバンバンと叩かれたゴブリンは潰れてしまった。寝そべるゴブリンに殊勲を祝う人の山がかさがさね覆い被さる。


 ワンチーム。運命共同体だ。さすがに新山ゴブリンもこの日ばかりは、憎まれ口を叩かなかった。



 2対0。

 二戦目は二組が勝利を収めた。監督の安田が、してやったりとばかりにドヤ顔をみせる。

 圧倒的な威圧感を放つメジロンが主役というならば、ゴブリンは名脇役バイプレイヤー。助演男優賞だ。

 祝福のタッチに紛れて、僕が今までの借りを新山ゴブリンに返したことはいうまでもない。




♢♢♢


 メジロマックイーン

 史上初めて祖父父仔による三代連続天皇賞制覇を達成した。GI級競走を4勝するなど重賞を9勝。日本競馬で史上初めて獲得総賞金10億円に到達した。

 先行して押し切るという圧倒的な勝ち方から、絶対の強さは、時に人を退屈させるとまで言わしめた。強すぎたため逆に人気があまり出なかった皮肉な馬。

 馬名はアメリカの俳優から由来したもので、キャッチコピーは「主演作、12本」。



 シンザン

 戦後初のクラシック三冠馬。戦後日本の競馬界に長く影響を与え続けた功績の大きさから神馬とも呼ばれている。その走りは「ナタの切れ味」と形容された。功績を称えられシンザン記念というレースも存在する。

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