三章 とある春

 花散らしの雨上がり。

 母の車には、鱗のような桜の花びらが張り付いていた。

 助手席に座ると御守りが増えている。また、神頼みかよ! 僕は眉をひそめた。母は信心深いのか、御守りをよく購入した。それは良いのだが、処分をしないため、どんどん増えていく一方だった。フロントガラスには複数の御守りが連なっていた。


「こーいうのって、古いのは処分するもんなんじゃないの?」


「処分の仕方、よく分からないんだよね。思い出もあるし……」

 ずぼらな性格なのか、気持ちの切り替えが苦手なのかよく分からない。


 たしかに、処分に困るものはある。

 気軽にゴミ箱に捨てられないもの。

 趣味で集めているフィギュア。人形供養の神社は、いずれフィギュアばかりになってしまうだろう。心霊番組で涙を流すアニメキャラのフィギュアが特集される。そんな未来もそう遠くはない。

 あと量産される自慰行為のティッシュ。異常なスピードで増えていくため処分するのが恥ずかしい。


 そんなことを考えていると、母、お勧めのカレー屋さんに着いた。ネパール人のインドカレー。


「私、調べたの。外国人経営のお店がなんで増えるのか。各国の大使館が動いてるんだって。個人事業じゃなくて国家戦略なのよ。日本を乗っ取ろうとしてるの、きっと」

 国家戦略。冗談混じりに話す、母の話はまんざらでもないなと思った。


「イラッシャイマセ」

 褐色の肌に、ギョロリとした白い目が浮かんだ店員さんがテーブルにやってきた。

 国の策謀によって知らない地で働くこの人達は、簡単に故郷を捨てられたのだろうか? 家族は? 恋人は? 友人は? 真相を知りたくなった。

 ただ、彼らが作ってくれたカレーは思いのほか美味しかった。


「ね、美味しかったでしょ?」

 自慢げに母が言う。

 会計を済ませる母の財布をみて気づいた。

「何コレ?」

 母の財布にはたくさんの馬券? が入っていた。

「ハルウララの馬券。当たらないから交通安全の御守りなんだって」また御守りか。

「いい加減、少しは捨てたら」僕は呆れた。


「思い出なんだよね……」

 そう言って母は帰りの車中で、父のことを話してくれた。

 寂しげでありながらも嬉しそうな声だった。

 今まで僕に話をしてくれなかったのは、気持ちの整理ができていなかったからだそうだ。母は少し目を潤ませた。僕が卒業をしたら話そうと決めていたらしい。「プロジェクトG」。その言葉が脳裏をよぎったが、母に伝えるのはやめておいた。


 母の運転する車の助手席で、父との思い出話を聞いていると、「あぶな!」思わず声が出た。

 暗がりの道路に、自転車に乗った老人が飛び出してきたからだ。急ブレーキを踏んだ母が憤る。

「プッーー!!」

 クラクションを鳴らして怒りをぶつけた。


 きっとクラクションは危険回避のために鳴らすものであって、威嚇いかくのために使用するものではないのではないか? 事後のクラクションは悪意の塊。と、僕の月読命も発動。


 いい歳して強気な母に笑ってしまう。

「くそジジイ!!」

 車中をいいことに暴言も吐いた。


「父さんはどんな仕事をしてたの?」

 母の気持ちが落ち着いたところで話を振った。

 母が嬉しそうに答えた。

「サンデーアニメーション」

 弾けるような笑顔だった。やっぱり三ヶ日サンデーか。自然と片眉が上がった。

 僕のアニメ好きは、父の遺伝子かと、少し嬉しくもなった。


「一流企業じゃん!」

「エリート社員だもん」

 母の機嫌が治った。


「これであんたも、一応、自立したわけだし、私も新しい人生を踏み出さなきゃね」

 父との思い出話は尽きることがなかったが、母はそう締め括った。


「僕のデビュー戦。決まったら観にきてくれるよね?」


「あたりまえじゃん。頑張りなさいよ」

 家に着くと母は早速、御守りを片付け始めた。

 古ぼけたタンスの引き出しの中には、合格祈願の御守りが乱雑に並べられていた。

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