後輩の過去②

 保健室登校は始めて一ヶ月が経った。


 始めは授業をサボっている罪悪感があったけれど、その分は自習をして埋めていった。

 保健室の先生も良い人で、私は学校に行くことへの抵抗感が消えた。


 放課後になれば、木戸先生が私の元に足を運んでくれた。


 くだらない雑談に乗ってくれたり、勉強でわからないところを教えてくれた。


「えへへ……最近、私、頭良くなってる気がします。先生のおかげです」


 学校の授業は、先生一人対生徒四十人。

 けど、私の場合は、先生一人対私一人だ。


 私基準のペースで進めてくれるおかげで、前より学力がついてきた自負がある。


「そうか。それはよかった。でも、すまん双葉」

「え、どうしたんですか先生。急に謝ったりして」


 両手を合わせて頭を下げてくる木戸先生。

 謝罪される道理がないため、私は困惑してしまう。


「しばらく、勉強を教えられそうにないんだ。部活の試合が近くてな」

「そうですか……仕方ないですよね。先生は忙しいですし。余裕がある時にまたお願いします」

「ああ。そこで一つ相談なんだが、休日ってのはどうだ?」

「どういうことですか?」


 私は眉を寄せて、首をかしげる。


「平日はしばらく時間が取れない。だが、休みの日なら別だ」

「そんな迷惑掛けられないですよ。せっかくの休みに私に勉強教えるなんて!」

「教えるのが好きだから教職についたんだ。細かいことは気にしなくて良い」

「じゃ、じゃあ……お願いします。明日も保健室に行けばいいですか?」


 明日は土曜日。

 休日の学校でも保健室に入れるのかわからないので、集合場所を確認する。


「いや、これは一応私用になるからな。学校を使うのはよくないかもしれない。……そうだ、先生の家にきてくれないか? この近くのマンションに住んでるから、学校に来るのとそう変わらないはずだ」

「え? 先生の家、ですか……」

「なにか問題があるか?」

「えっと、生徒が先生の家に行くのはあんま良くないのかなーって。ほ、ほら! コンプラとか色々厳しい世の中ですし」

「まさかとは思うが、先生のことを疑っているのか? 先生は双葉のことを信じてる、、、、のに、双葉は先生のことを信じてくれないのか?」

「い、いえ……そういうことでは、ないんですけど……」


 私は視線を斜め下に落として、たらりと汗を頬に伝わせる。


 根拠のない直感だけど、この誘いに乗るのはいけない気がする。

 でも、普段と同じように勉強教えてもらうだけ、だよね……? 


 場所が違うくらいで、気にしすぎかな……でも……。


 ──ガラガラ


 私がぐるぐると思考を回していると、突然、保健室の扉が開いた。


「すみません。膝を擦りむいちゃったんですけど」


 少し低めの男の人の声。

 一瞬、木戸先生は顔をしかめ右目を眇めると、いつもの愛想のいい笑顔を浮かべ男の子の方に振り返った。


「保健室の先生なら今は席を外しているよ」

「そうですか。……困ったな」

「先生は仕事があるから戻る。これ連絡先な。さっきの話だが、考えておいてくれ」

「え、あ、はい……」


 私の頭にポンと手をつき、木戸先生は小さな紙を渡してくる。

 紙には、木戸先生のものと思われる電話番号とメッセージアプリのIDが記載されてあった。


 ゾワッと、全身の毛が逆立ちして背筋に寒いものが走る感覚。


 あ、あはは……。なに変な想像してんだろ。木戸先生は生徒思いのいい人。

 私の考えすぎに決まってる……。大丈夫だよね……? 


 胸の内の中で自問自答していると、怪我をした男の子と目が合った。

 居心地悪そうに首の下あたりを指で掻いている。


「あ……私でよければ手当しましょうか?」

「いいのか?」

「はい。まぁ、保健委員みたいなものなので」

「……? じゃあ、お願いします」


 パッとみた感じ、三年生かな。

 前髪長くて、眼鏡で、寝癖も立ってる。


 元の素材はいいのに、なんか勿体無いな……。


「一応、履歴残しておきたいので、そこの紙に名前とクラス書いておいてください」

「わかった」


 保健室登校のおかげって言うと少し変かもだけど、保健室の位置関係は理解できた。

 包帯や消毒液がどこにあるかも把握済みだ。


「ちゃちゃっと消毒しちゃいますね」

「……いっ!」

「我慢してください。…………はい、これで完了です」

「ありがとう。手際がいいな」


 手先が器用なのは、私の数少ない取り柄だ。

 名前も知らない人に褒められて、ちょっと気を良くしてしまう。


「そ、そうですかね。えへへ」

「助かった。じゃ、俺はもう帰るよ」

「いえいえ、お役に立てたならよかったです」

「あ、そうだ。この後、天気崩れそうだから早めに帰った方がいいと思う」


 外を見てみると、確かに怪しい雲がうようよと漂い始めていた。


「え、どうしよ……傘持ってきてない……」

「なら、これあげるよ」

「え、でも……」

「いいから」


 私に折りたたみ傘を渡してくる。

 私が傘を受け取らず戸惑っていると、彼は半ば強引に傘を握らせてくる。


「普通の傘も持ってきてるんだ。だから気にしないで」

「……ありがとうございます」

「いらなくなったら捨てといてくれていいから」

「捨てるなんてダメです。絶対返します!」

「そ、そうか? じゃあ今度会った時にでも返してくれ」

「わかりました。多分、保健室に来てくれれば私に会えると思います」


 一瞬、疑問符を浮かべるも、彼は小さく頷きバッグを持って保健室を出ていった。


 地味な人だったけど、悪い人ではないみたい……。

 私は彼の名前が書かれた紙(一応、問診票?)に視線を落とす。


「西蓮寺先輩、か」


 私が保健室登校してなかったら知ることのなかった人だ。

 そう思うと、なんだか少し不思議な感覚が私を襲ってきた。

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