後輩の過去⑤

「……大丈夫か?」


 顔を上げると、そこには傘を貸してくれた先輩がいた。


 私は目元を手の甲で拭って、慌てて平静を繕う。


「だ、大丈夫です。全然、はい」

「そうは見えなかったけど……」

「ホント、平気なので! それよりどうしました? また怪我でもしましたか?」

「いや、傘を返してもらおうと思ってさ」

「あ、傘ですね。……はい、どうぞ。ありがとうございました。おかげで助かりました」

「それならよかった」


 先輩に傘を返却する。

 けれど傘を受け取っても、先輩はその場から立ち去ろうとしなかった。


 それどころか、私の対面の席に腰を落ち着かせ始める。


「え、えっと……」

「保健室の先生はいないのか?」

「いないです。今日は別のお仕事があるみたいで」

「じゃ、もう少しここにいる。五限、体育だからサボりたいんだ」


 何食わぬ顔でポケットからゲーム機を取り出し、カチカチとボタンを操作し始める先輩。


 私は呆気に取られながら。


「授業サボってゲームですか。先輩、不良だったんですね」

「それは違う。俺は将来活かせるスキルを育ててるんだ」

「は? なに言ってるんですか……」

「真面目に働いたところで出世するとは限らないだろ? それどころか、余計に仕事を振られてタスクが増えて疲弊する。今のうちから適度にサボり、面倒ごとから逃げるスキルを培っておかないと社会人になって苦労するんだ。サボるのも簡単じゃないからな」


 捻くれた理論だ……。

 私は苦く笑いつつ、テーブルに肘をつき頬に手を当てる。


「ちなみに五限の体育ではなにをやる予定なんですか?」

「持久走」

「なるほど。それは確かにサボりたくなりますね」

「だろ?」


 結局のところ、走るのが嫌だからサボるみたい。

 私も走るの嫌いだから先輩の気持ちはわかるけど、私だったら同調圧力に負けて普通に出席するんだろうな。


 人と違うことをできる事にすごいと感じてしまう。サボるのは褒められたことじゃないけど。


 チラリと先輩のやっているゲーム画面を覗く。


「あ、それってギャルゲーですか?」

「……そうだけど」


 可愛らしい女の子のイラストとテキストで構成されている。


「先輩、そういうゲームやるんですね。恋愛とか興味ない感じかと思いました」

「偏見だな」

「……っ。す、すみません。その、悪気があったわけじゃなくて!」

「いや謝らなくていい。客観的に見たら俺もそう思いそうだし」


 私自身、噂で偏見に晒されている。

 身をもって実感している私が、先輩を偏見してしまったことを強く反省する。


 これじゃ、私も他の人と同じだ……。


「ホントはリアルを見た方がいいんだろうけどな。生憎、好きな子もいなければ、好意を向けてくれる子もいない。だから思春期の欲求をゲームにぶつけてる」

「先輩は垢抜けてないだけだと思いますよ。髪型変えたり、姿勢正したり、鍛えたりしたら好意向けてくる子出てくると思います」

「そうかな。全然、そんな気しないけど」

「少なくとも私は好きな感じですよ。先輩の顔」


 先輩はわずかに目を見開き、視線をあさってに逸らす。

 女の子から褒められた経験が少ないのか、頬を赤くしていた。


「あんまそういうの言わない方がいい。俺みたいな陰のオーラ漂わせてるやつは簡単に誤解するからな」

「あはは……それはちょっと面倒ですね。でも先輩がもっと自分磨きに精を出してくれたら考えてもいいですよ」


 異性と話す時は身体がこわばって警戒してしまう私だけど、先輩にはなぜか自然体で話せる。


 不思議とこの先輩は、私の危機センサーが発動しない。


「からかうなよ。……ほんと」


 先輩は更に頬を赤くして、逃げるようにゲーム画面を注視する。ちょっと可愛いかも。


 そのままゲームに集中し始め、先輩は私に構ってくれなくなる。

 衣擦れの音すら聞こえてくるような静かな時間が流れ、心も落ち着いてきた。


 お茶を一口含み、私はポツリと口火を切る。


「どうして私が保健室にいるのか聞かないんですか?」

「話したいのか?」


 質問を質問で返される。


 話したいか、か。

 どうなんだろう。私自身、よくわからない。


「先輩は二年生の噂とか聞いたことあります?」

「ないな。そもそも噂に興味がないから、シャットアウトするようにしてる」

「噂に興味ない? そんな人いるんですか?」

「いる。少なくとも俺はそうだ」


 そっか。

 そういう人もいるんだ……。


 その視点はなかったかも。


「先輩。噂に勝つ方法ってなんか思いつきます?」

「難しいお題だな……。噂が出る以上、0から1にした人間がいたのは間違いない。そいつを探して噂が嘘であることを出来るだけ人目の多いところで公言してもらうとかかな。噂が真実ならどうしようもないけど」

「シンプルに忘れてもらうってのはダメですか? 人の噂も七十五日っていうじゃないですか」

「内容にもよる。悪い印象を持たれるものは、噂の存在が薄れたところでレッテルは剥がれないからな。噂が流行る前に戻るって意味合いなら難しいと思う」


 …………。

 確かに、先輩の言う通りかも……。

 このまま保健室登校を続けても、意味ないのかな。


 それどころか逆効果だったりする? 

 今まで教室に来なかった私が急に来たら、すごい違和感だし。


 それこそ忘れられてた噂も、再燃するかも……。


「あと、強行策だが一つあるか」

「なんですか?」

「噂に噂を重ねる。更に注目を集める内容の噂を流せば、今ある噂への関心は薄れると思う。まあ、火に油注いでるだけな気もするけど」

「なるほど。そういう手もあるんですね」


 凄いな……。

 先輩はこの短時間でポンポンとアイディア出せるんだ。


 先輩に助けてって言ったらなんとかしてくれるのかな、なんて。


 あはは、なに考えてんだろ、私……。


 私が話すのをやめると、先輩も口を噤んでゲームに集中してしまう。

 やがてキーンコーンカーンコーンとチャイムの鐘の音が、校舎を木霊した。


「五限終わったし、もう戻る」

「あ、あの」

「……?」

「い、いえ、なんでもないです」


 先輩は少し釈然としない感じだったけど、そのまま保健室を出て行った。


 また授業をサボって保健室に来てだなんて言えない……。

 あの先輩が近くにいると、なんだか縋ってしまいたくなる。


 でもこれは私の問題なのだ。

 先輩を巻き込むことはできない。


 私自身の手でけりをつけないと……!

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