最低最悪な巡り合わせ

 近所の夏祭りが来週にある。


 母さんのアドバイスをそのまま受け入れるみたいで癪ではあるけれど、しずくを夏祭りデートに誘おうと思う。

 残タスクとしては、しずくの許可は取りと当日のデートプランの作成。後者はかなりの難題だ。いくら時間があっても足りる気がしない。


「……先輩。西蓮寺先輩。聞いてますか」

「ん、悪い、ボーッとしてた」


 話は変わるが、今は図書室にいる。

 河瀬からの進捗報告を聞きにきたのだ。


 夏祭りデートに思考のリソースを割いているせいか、他のことがおざなりになりつつあるな。


「もう一回言いますけど……わたし、自分がやったことを伝えることにしました。わたしが双葉さんの嘘の噂を流したこととか、諸々。なので、信じてくれる人もでてきた実感があります。……まぁ、その分、わたしの立つ瀬はなくなっているんですけど」

「河瀬がどうなるかはどうでもいい」

「そ、そうですよね! ごめんなさい!」

「でも、正直そこまでしてくれるとは思ってなかった。少し見直したよ」


 焼け石に水程度の影響力だと甘く見ていた。

 実際にしずくの噂に影響を与えられるとは嬉しい誤算だ。


 それに、身を切っているのは素直に評価できる。

 現に、しずくの噂に対して見方を変える子も出てきたしな。


「ほ、ほんとですかっ。えへへ」

「その調子で今後も頼む。過半数がしずくの噂を信じなくなればクリアでいい」


 全員の視点を変えることは現実的ではない。

 だが、結局はマジョリティに軍配が上がるものだ。過半数がしずくの噂を信じていなければ、噂の効力も弱まっていく。


「クリアってのはどういう……」

「そのままの意味だ。河瀬の想い人に、しずくをイジメてた件を伝えることはしない。前に録った音声ファイルも削除する」

「それは別にもうどっちでも構わないです。削除してもしなくても」

「構わない? 知られたくないんだろ?」


 俺は河瀬の弱みを握り、脅すような立場を取っている。

 だが、この弱みが武器にならないなら前提が大きく覆る事になる。


「なんと言いますか……その、気になる人が変わったんです……」

「それが関係あるのか?」

「はい。その人はもう……わたしのしたことを全部知ってるので」


 俺の額にうっすらと汗がにじんだ。


 マズいぞ。

 この展開はマズい……。


 せっかく河瀬が有用になり始めている。

 この調子でいけば、最難関だと思っていたしずくの噂を打ち消すこともできるだろう。


 しかし、俺が握っていた河瀬の弱みがなくなりかねない事態。

 つまり、河瀬が俺の言うことを聞く必要がなくなってしまう……。


「あ、でも、だからって西蓮寺先輩の言うこと聞かなくなるわけじゃないですよ?」

「どうして? わざわざ聞く必要ないだろ」

「だって、今の繋がりがなくなったら西蓮寺先輩と会えなくなるじゃないですか」

「……? ……っ。……まさかと思うが、河瀬の気になる人って……」


 俺はぞっと背筋に寒いものが走らせる。


 河瀬は頬を紅葉させ、もじもじと身体を小刻みに揺らし始めた。


「はい。わたしが好きなのは西蓮寺先輩です」

「ふざけてるのか? 何をどうしたら俺を好きになるんだ。河瀬が俺を好く理由がない。それどころか憎まれても仕方ない」

「わたし、西蓮寺先輩に命令された時、ゾクゾクしたんです……。あれからずっと頭の中から西蓮寺先輩が離れなくて……気がついたらもう……」

「なんだ、そりゃ……」


 あまりに想定外の展開に俺は放心状態に陥る。


 言葉を失っていると、河瀬は両手を擦り合わせながらチラチラ視線を送ってくる。


「な、なので……これからも先輩の言うこと聞きます。双葉さんの噂が嘘だってみんなに理解してもらえるよう頑張ります」

「まぁそれなら俺に不都合はないけど」


 河瀬の気持ちには驚いたが、忌避すべき展開にはならずに済みそうだ。

 むしろ俺に協力的になったと思えばプラス。しずくの噂が鳴りを潜めるのも遠い話ではないだろう。


「た、ただその代わり……一個だけ、わたしの要求を呑んでくれませんか?」

「要求?」


 これまでなら何も聞かずに突っぱねていたが、今はコチラに武器がない。


 要求を呑むかどうかは置いといて、話は聞くことにした。


「はい。……西蓮寺先輩から頑張ったご褒美がほしいんです。あ、頭を撫でるとか」

「なにをバカなこと言ってんだ」

「わたしは真剣です! どのみち叶わない恋でも、少しは報われたい。ちょっとでいいので、西蓮寺先輩に触れてほしいんです」

「悪いがそんなことはしない。ジュースくらいなら奢ってやる。それで我慢しろ」


 あまりに馬鹿げた要求に呆れてしまう。

 俺が肩をすくめる中、河瀬は唇を前に尖らせて。


「ご褒美くれないなら西蓮寺先輩の言うこと聞くのやめます」

「さっきと話が変わってるだろ」

「じゃあ、わたしが頑張ったご褒美に頭撫でてください」

「…………。頭を撫でる。それだけでこれからも言うこと聞くんだな?」

「は、はい! 約束します!」

「わかった」


 この要求を呑みたくはない。

 けれど、それは俺の個人的な感情だ。


 数秒間我慢すれば、今後もしずくの噂を打ち消すことに尽力してくれる。


 お菓子をチラつかされた子犬のように、期待に満ちた瞳を向けてくる河瀬。

 俺は席を立ち、河瀬の前まで向かう。


 青みがかった黒髪に触れる。

 そのまま左右に手を動かして、頭を撫でてやった。


「これでいいか?」

「はい。ありがとうございます……」


 至福そうに頬を緩めて、うっとりとしている河瀬。


 あとでアルコール除菌しておこう。

 そう心の中で固く決意する。


 ──と、その時だった。


「先、輩? なに、してるんですか……」


 そこには当惑に瞳の色を変え、わなわなと身体を震わせているしずくがいた。


「いや、ちがっ! これは!」


 あまりに咄嗟のことで俺の思考は真っ白だった。

 口を開いたものの、うまく言葉が出てこない。


 しずくは左右に目を泳がせ俺と河瀬を一瞥すると、逃げるように図書室を後にした。


「待って。ちゃんと説明させて!」


 呼び止めるが俺の声は届かない。

 よりにもよって、最悪なタイミングで目撃されたみたいだ……。

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