リスタート

 三日経った。

 あれからしずくとは顔を合わせていない。


 教室に出向くとか、ネットを介してコンタクトを取るとか、いくらでも選択肢はある。だが俺は行動できずにいた。

 いや違うか。行動する権利が俺にはない。少なくとも俺からはしずくに合わせる顔がなかった。


「大丈夫か?」


 放課後。

 掃除当番の俺が教室をホウキで掃く中、四谷が椅子にもたれながら心配してくる。


「だいぶ噂になってるぞ。お前と双葉しずくが別れたーとか。これも何か考えがあんの?」


 この一ヶ月強。

 俺としずくはかなり目立つ存在だった。

 バカップル同然の認識を持たれ、良い意味かはともかく知名度は上げた。


 ゆえに、プツリと糸が途切れたみたいに突然鳴りをひそめ、一緒にいる姿を見せなくなったことで噂に立っていたみたいだ。


「考えなんかない」

「ふーん……あ、そういや双葉しずくの黒い噂はガセって話もチラホラ聞くようになったけど、これは西蓮寺が関係してんの?」


 四谷の耳にも届き始めたのか。

 噂に関してはもう時間の問題かもな。


「関係してるにはしてる。けど、そのやり方を間違えたからこうなってる」

「よくわかんねぇけどあんま落ち込みすぎんなよ? 西蓮寺マジでここ数日元気ないからさ……」


 四谷が不安と心配を混じらせた瞳で見つめてくる。


 外見上は平静を装っていたつもりだが、身近な人間には気が付かれるみたいだ。


「ああ、ありがと」

「お、おお……素直に感謝されんの気持ち悪いな……」


 四谷は頬をななめに引き攣らせる。

 椅子から腰を上げると、「ちょっと待ってろ」と一言断り教室を出て行った。


 俺は訝りながらも、引き続き教室の掃除を続けていく。

 三十秒ほどして四谷は教室に戻ってくる。隣には真由葉の姿もあった。


「真由葉?」

「さっきからチラチラ教室の中見てたからさ。七海さんも西蓮寺のこと心配してるみたいだぜ。んじゃ俺はもう帰るわ」

「ち、チラチラ見てたわけじゃないけどね? た、たまたま通りかかっただけというか……」


 真由葉は頬を赤らめながら、黒目を右往左往させる。


 俺は少し挙動を崩しながら。


「ちょ、ちょっと待て四谷。真由葉を置いて帰るなよ」

「ん? わだかまりは解けたんだろ? 俺はいるだけ邪魔じゃん」


 何食わぬ顔でそう切り返し、四谷は足早に教室を後にしてしまう。


 わだかまりは一応、溶けたとは思う。

 でも、俺が真由葉に告白する以前の頃と同じ関係値かといえば違う。


 俺は、まだ真由葉との距離感を掴み損ねている。


 どう対処すればいいか戸惑う俺。

 真由葉は光沢を帯びた黒髪ポニーテールを揺らしながら近づいてくる。


「ねぇ、ゆうくん」

「なんだ?」

「もし今、あたしが付き合って言ったら受け入れてくれる?」

「は? なにバカなこと言って──」

「あたし、本気で聞いてるよ?」

「もしその提案をされても、受け入れることはできない」


 真剣な表情を目前にして、俺は質問に本気で考える。その上でハッキリと断った。


 真由葉は肩をすくませ、困ったように笑う。


「そっか……うん、だよね。奪い取れるわけないか」


 近くの机に体重を預けて、手櫛で髪の毛を梳きながら。


「ゆうくんさ、しずくちゃんと夏祭りにデートするんでしょ?」

「母さんから聞いたのか……」


 真由葉は困ったように笑いながら、こめかみの辺りを指で掻く。

 情報源であろう母親に怒りを通り越して自然とため息が漏れてきた。


「おばさんはゆうくんのことが好きで好きでしょうがないんだよ」

「だとしたら愛情表現を間違えてるな。あと、その情報は正しくない。デートはしない。というか、約束自体してないからな」


 本当ならとっくに約束を取り付けて、夏祭りに馳せ参じる予定だった。


 でもそれはもう叶いそうにない。


「デートしたくなくなったの?」

「いやそういう訳じゃない」

「だったら、約束しないとダメでしょ?」

「それは、できない。その資格が俺にはないから」


 悪気はなかった。

 でも、結果的に、俺はしずくにとって一番の地雷を踏んだのだ。


 未然に防ぐ方法はいくらでもあった。

 事前に相談するだけで、少なくともこじれることはなかった。


「ほんと何様なんだろうな俺……。真由葉には散々正論っぽいこと言って説き伏せておいて、結局俺も似たようなことしてんだ……最悪だよ」

「ゆうくん。それは違うよ」

「違くない……」

「ううん、絶対違う。なにがあったかわからないけど、きっとしずくちゃんのためにやってたことなんでしょ? あの時のあたしは自分のことしか考えてなかった。あたしとゆうくんじゃ全然違うよ」


 俺は後頭部のあたりを乱雑に掻き、視線を右に逸らす。


 真由葉は一度天井を仰ぎ見ると。


「ゆうくんはさ、しずくちゃんが好きなんでしょ?」

「それは……」


 前にも同じことを聞かれた。

 あの時は恋愛感情はないと断言したが、今は同じことを言えそうにない。


 俺はこの一ヶ月の間に、少しずつ着実に彼女に惹かれていた。

 それを今はハッキリと自覚している。


「ゆうくんは、しずくちゃんを諦めないでよ。じゃないと、あたしがゆうくんのこと諦めきれない。また、闇堕ちしちゃうかもよ?」

「それは、困るな……」

「でしょ? 諦めるにしても振られてからでいいんじゃないかな。……あ、そうだ。言い出しにくかったらあたしからしずくちゃんを夏祭りに誘ってみる? 上手くいくかわかんないけど」

「いや余計な口喧嘩に発展しそうだし、人伝いなのは誠意に欠けると思う」

「うーん。だったら……」

「でもありがと真由葉」


 俺は真由葉の声を遮り、微笑を湛え感謝を伝える。


 真由葉は目をぱちくりさせて軽く放心した。


「ちょっと、目が覚めたよ。……俺、後悔はしたくない。玉砕覚悟でしずくを夏祭りに誘ってみるよ。このまま終わるのは嫌だから」

「うん。それが良いと思う。大丈夫。絶対大丈夫だよ。もし上手くいかなかったらあたしがゆうくんを慰めてあげるし」

「そういうの弱った時に効くからやめろ」

「わかってないなー。弱ってる時にやるから意味あるんでしょ」


 真由葉は小悪魔的な笑みを携えながら、口元に人差し指を置く。


 呆れたように笑う俺。

 と、真由葉は俺からホウキを奪ってくる。


「ほら、思い立ったら吉日。さっさと誘って来なよ。掃除はあたしがしとくから」

「え? でも、まだ学校いるかわかんないし……」

「もう帰ってるって確定したわけでもないでしょ?」

「……確かに、そうだな。さんきゅ」


 俺は首を縦に下ろし、大きく一歩を踏み出した。

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