もちろんです

 しずくがまだ校内に残っているなら考えられるのはココしかない。


 文芸部の部室前。

 俺は胸に手を置いて、いつもより早いリズムで鼓動する心臓を宥めていた。


 たかが三日。されど三日だ。


「よし」


 覚悟が整い、俺はドアを手の甲を近づける。


 ──トントン


 ガサゴソと物音は聞こえてくる。部室の中に誰かいるのは間違い無い。


 しかし三十秒ほど経っても扉が開く気配がなかった。

 それでも辛抱強く待ち続けていると、やがてドアがひとりでに開いた。


「せ、先輩……」


 線の細いブロンドのショートヘア。


 その瞳には申し訳なさと戸惑いが混じっている。

 すごく久しぶりに感じる彼女を前にして、俺は強めに拳を握り鼓舞する。


 沈黙と共に、うっすらと張り詰めた空気が周囲を漂う中、自身の告白へと踏み切った。


「俺、壁にぶつかったり、拒絶されたり、間違えたり……自分に不都合なことが起きるといつも逃げてきた」


 唐突な切り口に当惑するしずく。

 でも、目は離さず、聞く耳は持ってくれている。


 俺はそのまま話を続けた。


「だから出来るだけミスをしないように立ち回ることを意識してきた。その分、ミスをした時はとにかく凹んで立ち直れないくらい自己嫌悪に陥って、自分で自分を嫌いになるんだ。その繰り返しだった。だから、いつもの俺なら今回のミスも性懲りも無くしつこく引きずって、しずくとの関係にずっと蓋をしていたと思う」


 実際、そうなりかけていた。

 けど、背中を押してくれる子がいたし、何より俺自身このまま終わりたくない。そう、強く思った。


 このまま終わっていいはずがないから。


「でも俺はしずくとこれからも一緒にいたい──」


 不得意なことをしているから上手く取り繕えない。

 頭の中もまとまっていないし、ぶっちゃけ自分で自分が何を言いたいのかよく分かっていない。


「だから、しずくと関わらせてほしい。俺を受け入れてくれないか?」


 でも、とにかく俺の本心を伝えたかった。

 しずくは目尻に涙を溜め込むと、勢いよく俺の胸元に飛び込んでくる。


「先輩っ!」


 ふわりと柑橘系の甘い香りと共に、柔らかい衝撃が身体に走った。

 背中に手を回し、シワが寄るくらい力強くワイシャツを握りしめてくる。


「し、しずく?」

「もう、全部終わっちゃったのかと思いました。私、先輩に酷い態度取っちゃったしあれから一回も会いにきてくれないし……私、この三日間ずっと怖かったです! 私も先輩とずっと一緒にいたいです!」


 掠れた声で、今にも消えそうなほど弱々しく、しずくは訴えてくる。


「とても俺から会いにいける状況ではなかったような……」

「私こそ行けないです! もうどんな顔したらいいかわかんなくて」

「一応聞くけど、俺のこと拒絶しないのか? 門前払い喰らう覚悟もしてたんだが」

「するわけないです。だって私は先輩のことが──っ!」


 しずくは俺に抱きついたまま、顔だけ上げる。

 だが、俺と目が合うなり声を堰き止め、加速度的に頬を紅潮させていった。


「俺のことが?」

「と、とにかく、あの時は気が動転してて、冷静さを欠いてました。ごめんなさい!」


 しずくはサッと俺から後退り、深めに頭を下げてきた。


「しずくが謝ることないよ。全面的に俺が間違ってたし悪かった。ごめん」

「違います。私の面倒臭い感情と先輩に対する独占欲が悪いんです!」

「それこそ違う。俺が一番大事にしないといけないのは、しずくの感情だ。そこを見誤ってた俺が悪い」

「どうして先輩が悪者になろうとするんですか。先輩は悪くないです!」

「いいや俺が悪いし間違えてたよ。しずくの気持ちを最優先に考えられないなんてダメダメだ」

「せ、先輩……」


 しずくは既に赤くなっている顔をリンゴのように成熟させ、左右に目を泳がせる。


「でも、もう同じ轍は踏まない。必ず約束する。だから」


 一拍おき、肩の力を抜く。

 しっかりとしずくの目を見つめながら、勇気を振り絞って。


「よかったら俺と夏祭りに行ってくれませんか?」


 成功するか失敗するかはやってみないとわからない。

 ただ、当たり前だけど土俵に立たなければ成功するわけがない。


 さっきまでの俺は土俵に立とうともせず、自己を嫌悪して後ろばかり向いていた。

 でも今は前を向けている。大袈裟かもしれないが、それだけで成長したと褒めてあげていいと思う。


 というか今のうちに自己肯定感を上げておかないと、断られた時にメンタルが持ちそうにない。


 耳にまで心臓の鼓動が聞こえる不思議な感覚に陥りながら、俺はしずくの返事を息を呑んで待つ。



「……はい。もちろんです」



 しずくは照れ臭そうに微笑むと、小さく頷き、輪郭のある声で了承してくれた。


 俺は自然とガッツポーズをとり、口角を緩ませる。

 不可抗力でどんどん緩んでいくのを抑えるのに躍起になっていると、しずくはスマホを取り出し。


「場所とか時間、聞いていいですか? 準備したいので」

「あぁ、えと、ウチの近所の祭りで今週の日曜なんだけど……」

「は? 日曜……日曜って言いました⁉︎」

「言いましたけど……」


 しずくはカッと仰々しく目を見開き、声量を何段階も跳ね上げる。

 俺の両肩を掴み、前後に揺らしてきた。


「それ明後日じゃないですか! 私、浴衣持ってないですよ!」

「持ってないなら私服でいいんじゃないか?」

「よくありません! うう、せっかくのデート、しかも夏祭りなんですよ。特別仕様で行きたいに決まってるじゃないですか!」

「まぁ俺もしずくの浴衣姿は見たいけど……」


 とはいえ、浴衣は安い買い物ではない。

 持ち合わせがないなら今回をキッカケに買うのは勿体無い。


 レンタルできる店とかあったか? ……あっ。


「浴衣、準備できるかもしれない。心当たりがある」

「ホントですかっ」

「ああ、その代わりウチに来てもらうことになるんだけど……」

「行きます!」


 即答するしずく。

 それどころか目を輝かせ、前のめりになっている。一切の抵抗感が感じられない。


「前にも話したけどウチの母さんはマジで面倒だぞ。無理しなくても……」

「無理してません。仲良くなって見せますから安心してください!」


 しずくはグッと拳を握り自信を漲らせている。


 しずくを母さんとは会わせたくないんだけど、今回ばかりは諦めるしかなさそうだ。

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