後輩の過去③
木戸先生から渡された連絡先を自分の携帯に登録した。
すると程なくして、住所と端的なメッセージが送られてきた。
『明日なら、いつきてくれていいから』
勉強教えてもらうだけだし、変に気にしなくていいのかな。
でも、先生と生徒は学校内で関わる関係。
家に行くなんてやっぱりおかしい……。私の感覚は合ってる、よね?
『少し体調が良くないのでやめておきます。さっき、雨に当たってしまって』
考えた末、私は嘘を吐いて断りの連絡を入れることにした。
先輩が貸してくれた折りたたみ傘があったからほとんど濡れずに帰って来れたけど、言い訳として使わせてもらおう。
ホッと胸を撫で下ろしていると、突然、携帯がひとりでに震え始める。
木戸先生からの着信だった。
「……も、もしもし?」
「ああ、メッセージ見た。体調悪いって本当か?」
「え、ええ、はい。ちょ、ちょっとですけど」
「そうか。それでも心配だな。明日は親御さんはいらっしゃるのか?」
「明日ですか? 明日は二人とも仕事ですけど」
「そうか。じゃあ見舞いに行っていいか? 一人じゃ心細いだろ」
え……見舞い?
「だ、大丈夫ですよ! 大したことないので、ほんと、はい」
「気にしなくていい。欲しいものあったら言ってくれ」
「いや、ほんと大丈夫なので!」
「……そうか、わかった」
引き下がってくれたことに、安心する私。
あはは、おかしいな私……。なんだか木戸先生を恐れてるみたい。
でも私は危機管理能力には長けていると思う。危ないと思った直感は、大体当たっている。
「しばらく保健室には顔を出せないと思う。でも連絡さえくれれば、いつでも先生の家にきてくれていいからな」
「りょ、了解です」
「またな。連絡待ってる」
「は、はーい」
私は通話を切り、深呼吸をした。
木戸先生はただ善意で言ってくれてるだけ、だよね?
きっと私が思春期で、人一倍危機感が強いからおかしな想像をしてしまっているだけ。うん。絶対そうだ。
自己暗示にも近い形で言い聞かせながら、私はベッドに体重を預けた。
★
「……この傘、取りに来ないのかな」
六月中旬。
私はまだ保健室登校を続けていた。
かれこれ二ヶ月だ。もはや保健室に行くのが当たり前すぎて、違和感すらない。
あの日借りた折りたたみ傘は常に携帯しているのだけど、一向に取りにくる気配がない。一応、どこの教室かはわかっているから私から返しにいってもいいんだけど、それは少し抵抗がある。
知った顔に見つかるかもしれないし……。
「退屈だな……」
保健室の先生は別の仕事で今日はいないし、手持ち無沙汰だ。
時計の秒針が進むのをボーッと眺めていると、ガラガラと扉が開いた。
「うわ、マジでいるじゃん。あんた、ホントに保健室登校してんだ?」
甲高い声が前触れもなく降ってきた。
その声を聞いた途端、私は身の毛が立ち上がる。
身体を縮こめ、右へ左へ目を泳がせた。
「か、
視線の先に居るのは、私をイジメていた主犯格の女子だ。
一応、周囲の認識としては、私が河瀬さんの彼氏を寝取ったことになっている。
私はただ言い寄られて拒絶しただけなのだけど。
「授業サボっていい身分ね。良心痛まないの?」
「…………」
「なんとか言えよ」
「す、すみません」
乱暴な物言いに、私は肩をすくめる。
「さっさと教室に戻ってきなよ。いつまでもサボってないでさ」
「そ、それは……」
「あんたが戻ってこないとあたしに響くんだよね。ほら、ココって問題ごとにはうるさいっしょ? このままだとあたしが悪者扱いされて、高校進学できない可能性あんじゃん? リスクヘッジしときたい的な?」
「そう言われても……」
俯き加減に弱々しく口を開くと、河瀬さんは「チッ」とあからさまに舌打ちする。
「元はと言えば、あんたがあたしの彼氏寝取ったのが悪いんだろーが」
「だ、だから寝取ってません。私はただ、告白されただけです。それも断りました」
「はぁ……まだそういうこと言うんだ? こうやって罪認めない人がいるから警察も大変だよねー」
「だから本当に違うんです! そもそも私はまだ……」
「あ?」
「な、なんでもないです」
とにかく人の彼氏を寝取る真似を取ったりしない。
恋愛の経験値すらない私に、そんなことできるわけがない。
「仮にあんたの話を信じる場合、たっくんが嘘の噂を流したって言いたいんだよね?」
「……はい。私はそう思ってます」
「それこそありえねーから。当事者が噂を流すって意味わかんないし。たっくんにメリットないしね。お前とたっくんが二人でいるのみたって情報があるから、そう言う噂が立つんだよ」
「ご、誤解です! 二人でいたことなんてないです!」
告白された時は、確かに二人きりだった。
けど、それっきりだし。浮気と疑われるようなことは一つも心当たりがない。
「あーやっぱ話してると腹立ってくるわ」
「す、すみません」
「とにかくいつまでもセコイ真似してないで教室にくること。それ言いにきただけだから」
「…………」
「返事は?」
「はい……」
河瀬さんは苛立ちを含んだ吐息をこぼし、保健室を出ていく。
教室には戻れない。
今、間近で河瀬さんと対面して痛感した。
私はあの教室に戻ることが怖いんだ。
教室に通っていた頃は麻痺していたけど、こうして保健室登校になってからは身体が必死に抵抗している。
「あぁもう、誰か助けてよ……」
目元を両手で押さえながら、誰に向けるでもなく助けを求めた。
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