6月3日 −2−

「あ、あの、これなんすけど、演劇部を訪ねろって書かれてて」


 迷いの見える表情で封筒を差し出す男子。ただ、その見た目は何というか、相当に個性的だった。身長は百八十センチを遙かに超え、戸口に頭がつっかえているほど。眉が濃く、目鼻立ちはまるでローマ人のようにくっきりとしている。


「守護士、石蕗つわぶき彌七やしちじゃないか!」


 彼の姿をひと目見た瞬間、目を丸くした優里先輩がそう断じた。

 僕も彼を見た瞬間に同じ感想を持った。というか、昨夜スタバでパラパラと流し読みをしたっきりの先輩がそこまでしっかり小説の内容を読み込んでいることにまず驚いた。

 文芸部の例の小説では、戦国時代にタイムリープした主人公と最初に出会い、最後の戦いまで付き従った忠臣であり、ほのかな恋愛感情を交わし合った準主役と言っていい登場人物だ。作中で描写されるそのいでたちは、容貌魁偉ようぼうかいい、身の丈およそ六尺三寸の大男とあるから、現代の単位に直すと百九十センチくらいだろうか。

 少なくとも見た目はぴったり当てはまる。


「……へえ、探せば見つかるものなんだな……おい、古平、のんびり寝てる場合じゃない。石蕗彌七が来たぞ!」


 優里先輩はさっきまでの鷹揚な態度をかなぐり捨てて古平先輩をたたき起こす。


「ふぇ、な、何です?」


 いきなり現世に呼び戻された古平先輩は、来客と目を合わせた瞬間、ぽかんと口を開けた。


「……彌七……」


 まさに、タイムリープして意識を取り戻したばかりの主人公と彌七の邂逅をほうふつとさせる光景だった。


◆◆

 

 石蕗彌七、こと工藤康太、一年生。

 もともとバスケットのスポーツ推薦でウチに入学したが、新人戦でたちの悪い他校チームとあたってしまい、ラフプレーに巻き込まれて膝の靭帯を断裂してしまったという。


「切れたのは左の内側側副靭帯っす。手術は無事成功して、数日前にギブスも取れました」

「で、バスケ部にはちゃんと復帰できるのか?」


 優里先輩が見たこともない心配顔で工藤にたずねた。

 いや、見たこともないというのはウソだ。確か僕が保健室で目覚めたときもこんな顔をしていた……ような気がする。

 その後の印象があまりにもひどすぎて半分忘れかけていたが。


「おい四持、今、なにか失礼なことを考えてなかったか?」

「いえ、気のせいです」


 思わず棒読みになってしまい、絶対零度の冷たい視線を浴びせられるが、ここはとことん知らん顔で通す。


「ええと、復帰自体はできるそうっす。適切なリハビリを根気よく続ければ、早くて数ヶ月……」

「では、今年の夏の大会には間に合わないのか」

「ええ。来年にかけるしかないっすね」


 だが、さらりと答える工藤の表情にそれほど暗さはない。一見気弱そうに見えて、復帰を信じて疑わない一途なところもあるらしい。


「ただ、休部中いまはとにかく暇なんすよ。これまでずっと、朝も昼も放課後も、完全下校までずっと練習一筋だったんで、急に時間が余っても何をしたらいいのかわからなくて……」


 なるほど。僕自身、中学から写真部に所属しカメラを抱えてとにかく歩き回っていたので、活動場所ホームを急に失った喪失感は自分のことのようにわかる。


「そこにこの手紙が……なんで誘われたのかよくわかんないんすが、文化系の部活ならそれほど膝に負担にならないかなと思って」

「休部中に他部の活動に参加することは問題ないのか?」

「ええ、確かめました。規約上二つまで兼部は可能だそうっす。まあ、運動部の連中で兼部できるほどヒマなヤツはいないでしょうが」

「まあ、そうだな。じゃあ、詳しいことはコイツと話せ」

「ふえぇ、え?」


 いつの間にか場を仕切っていた優里先輩は、話の主導権をいきなり古平先輩に渡すと立ち上がって大きく伸びをした。


「さて、四持、帰るか」

「ちょちょちょ、ちょっと待って下さい!」


 慌てた古平先輩に止められる。


「比楽坂さんは手紙の主とか、ロッカーの件とか色々判っているんですよね? 私にもきちんと教えてくださいよ!」


 当然だ。自分だけ納得してとっとと帰ろうとするなんて、自分勝手にも程がある。


「えー、面倒くさいな。そうだ四持、お前が話せ」

「またですか? それに、僕も全部わかっている訳じゃないんですが?」

「そんなもの、想像でいいから話せ」

「むちゃくちゃだ。それになんでそんなに投げっぱなしなんです!?」

「ボクは自分の興味が満たせればあとはどうでもいいんだ」

「へえぇ、その割には色々——」


 その途端、先輩は顔を赤くして僕を蹴ってきた。


◆◆


「じゃあ、これ以上蹴られるのはイヤなので、僕がわかる部分だけ……」


 僕はそう前置きすると、今回の一件に関わるもろもろの出来事を、頭の中で改めて広げてみる。


「……と、その前に、彌七……工藤君、君に届いた衣装を見せてもらってもいいかな?」

「あ、え? はい、これっす」


 工藤君は良くわかっていない様子で、それでも紙袋を開いてきれいに畳まれた武者姿の衣装を取り出し、僕に手渡す。


「ああやっぱり。きれいに直ってます」


 バサリと広げて確かめると、紺色の半着も薄墨色の袴も、恐らく虫食いで失われたであろう部分が、よく似た柄の布できれいに補修されている。足された布の柄の鮮明さからみて、つくろわれたのはごくごく最近のことだろう。


「それに、この陣羽織、刺繍部分が妙に新しくないですか?」


 広げて古平先輩に見せると、彼女は無言でこくこくと頭を縦に振る。


「刺繍部分が最も食害が激しかったんだろう。全部完璧にやり替えてあるな」


 優里先輩が糸目をなぞりながら口を挟む。


「……ということは……つまり?」


 古平先輩の顔にようやく理解の色が広がりはじめた。


「そうです。先輩たちが保管していた代々の衣装は、虫に食われてあらかた駄目になっていたんですよ」

「まさかそんな……」


 古平先輩は言葉をなくし、悲壮感たっぷりにうなだれる。


「おいおい古平、この後も劇に必要な役者候補と、きれいに補修された衣装がセットで君を訪ねてくるはずだ。文化祭ほんばんまでひと月を切っているんだぞ。そのわずかな時間で素人を役者に仕上げるのが君の役目だ。そうやって時間を無駄にしてるヒマなんかない!」


 優里先輩はそう言って激を飛ばすと、


「わかっただろ。君を応援しているのはボクらだけじゃない。絶対に諦めるなよ」


 付け加えながら立ち上がった。


「じゃあ、後のことはボクと四持に任せてくれ。君はこの先余計なことに気を回さず、だだひたすら劇の成功だけを考えろ。いいね!」


 そう言って古平先輩に強めの圧をかけながら不器用な目配せを飛ばしてくる。僕も小さく頷き、連れだって演劇部室をあとにした。


◆◆


「……ところで先輩」

「なんだ後輩」

「さっき、あの場でわざと触れなかったことがありますよね? 言いたくないからよくわかってない僕に説明させたんでしょう?」


 政治家のカバン持ちよろしくジュラルミンケースを抱えて付き従いながら、僕は優里先輩にやんわり問いかけた。


「君みたいな勘のいい後輩は嫌いだな。ま、今の古平には不必要な情報だったからな」


 そう。先輩は肝心の衣装泥棒の正体について触れることを意図的に避けた。あえて強めに念を押して古平先輩が犯人探しに関わることを封じた。僕はそれが不思議だった。


「先輩は昨日、犯人の目星はもうついているようなことを言ってませんでしたっけ?」

「本当に嫌なことを覚えているな。世の中には触れずにいた方がいいこともあるんだぞ」

「ええ、でも、ちゃんと理解はしておきたいです」

「何を?」

「先輩の考え方を、です」


 途端に先輩は背中のむず痒さをこらえるような微妙な表情になった。


「ああ、もう!」


 先輩はそう言って吐き出すように悪態をつくと、


「調べることがある。図書館に行くぞ」


 それだけ告げ、部室前のプランターを蹴飛ばす勢いでずんずん歩き出した。

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