7月27日 −2−
「やあ、休みのところを呼び出してすまなかった」
校長室の扉を開いた途端、デスクの向こうに座っていたロマンスグレイの男性がさっと立ち上がって僕らを室内に招いた。
「校長の渕上です。君も顔は見知っていると思うが、こうして個別に話すのは初めてかな?」
彼はにこやかに笑いながら右手を差し出してくる。
僕は反射的に握手を受けた。だが、ふと気になって隣を見ると、優里先輩は相変わらずというかなんというか、腕組みをしたままで思いっきり仏頂面だった。
「比楽坂君も久しぶりだね。実験生として君が素晴らしい成績を叩き出してくれるおかげで、私も少々鼻が高い。本当に受け入れて良かったよ。今後に繋げるためにも、これからも頑張ってくれると嬉しい」
そう言って先輩にも右手を差し出す。だが、先輩は握手どころか腕組みを崩そうともしない。
「ああ、まだ無理な――」
「いいからボクらを呼びつけた理由を話したまえよ」
「……そうだな」
塩対応の先輩をとがめることもせず、校長は僕らを応接セットに導いた。
「要件は簡単だ。君たちが解き明かしたガラス破損現象――」
「ありふれた現象だ。夏に発生することは珍しいが、特に誇るようなものでもない」
先輩は校長の話を遮って一息にまくしたてると、そのままの勢いで立ち上がった。
「話がそれだけならボクらはこれで失礼する」
「まあまあ、そう慌てないでくれると嬉しいんだが?」
「慌ててなどいない! 責任を押し付けられるのはごめんだと――」
「誤解だよ。君たちに今回の責任を問うつもりは一切ない」
「だったらどうして呼んだ?」
「私自身、ガラス店に確認したんだよ。結果は四持君が先生方に説明した通りだった。加えて、次第に進行する可能性があると注意を受けた。それをふまえ防犯アラームを切った判断は私自身のもので、この失態の責任も私にある。安心したまえ」
そう言い切られ、背中の毛を逆立てた猫のようだった優里先輩の態度がようやく少しだけ緩んだ。
「……だったらどうして呼んだ?」
「ああ、私が聞きたいのは、熱割れ現象を任意のタイミングで発生させることができるか、という――」
「無理だ!」
先輩は校長の質問を一言で切って捨てた。
「四持が実演したように、条件を整えて現象の発生を促すことは可能だろう。だが、任意にとなると……」
「無理かね?」
「ああ」
「何かプラスの要因があったとしてもかね?」
「一体何が言いたい?」
校長の謎掛けのような質問に先輩は眉をしかめた。
「これを見てくれないか?」
先輩の興味を引くことに成功した校長は、すっと立ち上がると執務机から茶封筒を持ってきてテーブルに中身を開けた。
「あの遊歩道の街路樹には、毎年ボランティア同好会が野鳥用の巣箱を掛けているんだ。だが、今朝確認したところそのうちの一つが紛失していた。それがこの記録写真の物だ」
「巣箱にしてはずいぶん大きいんですね」
僕は写真を手に取り、ポケットからペンを抜き出して写真に添えてみた。
「ここに写りこんでいるシャープペンシルの大きさと比べると、タテヨコ四十五センチくらいはありそうに見えます」
「設置場所は?」
「遊歩道を挟んで最初にヒビ割れたガラスのちょうど正面にあたる」
その途端、先輩の眉毛がピクリと動いた。
◆◆
「もう少し、もう少し左」
それから数分後。僕は再び事件現場の遊歩道に立っていた。
前回と違うのは、僕の肩の上に比楽坂先輩が肩車しているところだ。
「ふむ、なるほど、もうちょい前に、あ、バカ、変なところを触るな!」
そんなことを言われても、街路樹の根元は根っこがうねっていて足場が悪い。僕はうっかり姿勢を崩しかけ、先輩の腿を抱え直そうとしてふと指先の違和感に気付いた。
「危なっ!」
「バカ! もう少し下を支えろ!」
「わかりました。わかりましたからっ!! これ以上暴れないでっ!!」
ギャアギャア騒ぎながらなんとか遊歩道に戻り、ほとんどひざまずくような姿勢で先輩を地上に戻す。
だが、先輩はスカートの裾をおさえ、半分涙目で僕を睨みつけている。
「だから脚立を借りようって言ったじゃないですか!」
「気付いたのか?」
「は、何の話です。体重の話なら気にされてたほどじゃ――」
「バカっ! そんなことじゃない!」
疑うような目つきでじっと僕を見つめていた先輩は、やがて諦めたように小さくため息をついた。
「気づかなかったのならいい」
それだけポツリとつぶやくと、わざと僕から目をそらすように空を見上げた。
一方、僕はさっき指先で偶然触れてしまった先輩の太ももの感触に愕然としていた。
先輩の太ももはハリがあり、女性らしいみずみずしい弾力にあふれていた。
だが、ただ一か所、左側の腿、付け根に近い内側の一部分だけはまるでえぐり取られたように肉が削げ、まるでムカデが這っているような傷跡の感触があった。
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