5月20日
音楽室では、優里先輩が腕を組み、イライラと貧乏ゆすりをしながら待ち構えていた。
「あの……」
「遅い!」
開口一番叱られた。
「すいません、今日は日直だったもので」
「だったら、一言遅れるとメッセージくらいしてくれよ。せっかく連絡先を交換したのに」
「ああ、そうでした。すいません」
そもそも〝放課後〟というあいまいな約束しかしていなかったので遅いとなじられる理由などない……ないはずなのだが、ここ数日でこの面倒くさい先輩の性格を何となく把握していた僕は逆らわずに頭を下げた。
「ほら、それより行くよ!」
先輩はそれで気が済んだらしく、何の説明もなしに先に立ってさっさと歩き始める。
「行くって……どこへ?」
「例の声の正体を探りに」
勢いよく歩き出したくせに、数歩先の防音扉の前で早速立ち止まり、僕を上目遣いに見上げると無言であごをしゃくる。
「なんです?」
「開けたまえ」
「ああ、重たいですもんね、この扉」
「それだけじゃない。開け閉めするたびに耳がつんとなるのがイヤなんだ」
「確かに。じゃあ」
先輩と場所を入れ替え、重い扉にぐっと力を込める。気圧の関係か、この防音扉は開け閉めするたびにブシっと気密の破れる激しい音がする。先輩が、というより、ほとんどの女子生徒はこの扉が苦手じゃないだろうかと思う。
先輩は開いた隙間からするりと廊下に抜け、屋上に向かう階段に足をかけた。
「先輩、屋上には鍵が――」
「ボクを誰だと思ってる。そのくらい準備しているに決まっているだろう?」
「そうですね、愚問でした」
音楽室は最上階。屋上まではすぐに着いた。先輩は鉄扉の前でポケットから鍵を取り出してドアノブに差し込むと、さっさと解錠して押し開ける。
なるほど、さっきのは後輩をパシらせたいわけではなく、本当にあの重たい扉が苦手だったんだと気づいてちょっとだけホッとした。
「写真を」
屋上を吹き渡る風を受けて乱れる髪を押さえ、先輩は短く指示を出した。
「では失礼して」
僕はどこか遠くを見つめている先輩の横顔をファインダーにおさめ手早くシャッターを切る。
「おい、ボクを撮ってどうするんだ! このロケーションを記録しろと言ってるんだよ!」
そんなことは百も承知だ。僕はそれが最初からの予定だったように手早く屋上の風景をカメラにおさめていく。
「それにしても、ずいぶんと物が多い屋上ですね」
普通、校舎の屋上なんてものはガランとしていて、せいぜい隅の方にカップルがお弁当を食べるベンチが置かれている程度だと思っていたので、このごちゃつきぶりに驚いた。
ざっと見える範囲だけでも、大型のエアコン室外機がずらりと並び、さらに用途のわからない何本ものアンテナ、タテ型の風力発電機、そして残りの面積のほぼすべてを占領している太陽電池パネル。
「風力発電機と太陽電池はこの春休みに設置されたらしい。君もSSHとか ALSとか聞いたことがあるだろう?」
「ああ、スーパーサイエンスハイスクールでしたっけ? もう一つは、ええと……」
「先進的教育実践校の略だな。屋上だけじゃない、各教室にもカメラやらプロジェクターやら山のように付いてるだろう?」
「ああ」
確かに、中学までと違い、教室に黒板もホワイトボードもないのはかなり新鮮だった。
授業のテキストは教師があらかじめ用意したプレゼンシートが大画面スクリーンに投影され、授業中、特に強調したいマーキングや書き込みは教師が持つ特殊な指示棒で行う。
生徒の手元に配られたタブレットにも同じ画面が表示され、生徒自身の書き込みやマーキングもそれぞれのタッチペンでできるようになっている。
板書も黒板を写す作業も不要だ。その日の授業画面のスナップショットは自動的に生徒個人個人に割り当てられたクラウドストレージに送信され、自宅のパソコンやスマホからでも見返すことができる。
「その一環で、風力発電機と太陽電池が設置された。あと、校庭の片隅にコンテナが置かれてるだろう?」
「確かに。なんだろうと思ってました」
「あれは大型の蓄電池だ。災害時にはここは地域の避難場所にもなるからな。一般家庭数百軒分の電力を貯めておいて、避難所の電源や照明に使うそうだよ」
「詳しいですね」
入学時にはそんな説明は一切受けていない。それに、校舎自体そこそこ古ぼけているのに、新しく設置された機器類はピカピカに輝いていて、そのギャップはカメラの被写体としても面白い。
「なに、公開されている資料を読めばそのくらいわかる。そんなことよりあっちだ」
先輩は話を打ち切ると、太陽電池パネルの隙間を縫って歩き出す。しばらく歩いて立ち止まった先輩は、柵の外の風景を見ながら位置を微調整し、やがて一点で立ち止まった。
「音楽室の真上だ」
◆◆
そこにあったのは、縦横高さそれぞれ一・五メートルほどのコンクリート製の箱だった。
「なんですか?」
周りをぐるりと撮影しながら写真を撮る。ただのっぺらぼうの単純な箱ではない。海側と山側……つまり東西方向に、それぞれタテヨコ四〇センチほどの四角いプラスチックのカバーが出っ張っている。雨が入らないようにという配慮か、カバーは下側にしか開口部がない。
さらに北側にはメンテナンスハッチらしき鉄板ががっちりボルト止めされていた。
「何ですかこれ?」
出っ張ったカバーを覗き込んでみると、幅の狭い板を横にたくさん並べ、鱗のように一部を重ねたシャッターがあった。
「なんだか、ブラインドみたいな物がついてますけど?」
「給排気ダクトのカバーだ」
「給排気?」
「ああ」
先輩は僕の手をつかんで東側のカバー下に近づける。
「なにか感じるか?」
「いえ、いや、なんとなーく風が通っているような……」
しかし、覗き込んでみてもブラインドシャッターは平たく重なり合って閉じたままだ。
「じゃあ次は反対側だ」
先輩はそのまま僕の手を握って箱を回り込み、同じようにカバー下に手をかざさせた。
「どうだ?」
「はっきり風の流れを感じます。どんどん空気が出てきますね」
こちら側はブラインドの板が縦になり、隙間からどんどん空気が吐き出されている。
僕の答えに満足したのか、先輩は僕の手を離して腕組みをした。
「音楽室のような防音構造の部屋では、換気扇の音が邪魔になる」
「そりゃそうでしょう。せっかく防音なのに変な音が鳴ってたら意味ないですもんね」
「窓を開け放って換気するわけにもいかないからな。だから、室内の換気には専用のファンを使って音が気にならないほど離れたところから空気の出し入れをする」
「なるほど、それがこの箱、と」
「ああ。で、だ」
先輩は再び西側に回り込み、換気口の下にしゃがみ込んだ。
小柄な先輩が物陰にかがみ込むと、まるで小学生がかくれんぼをしているように見える。が、そんなことをうかつに口に出しでもしようものならまた例の軽蔑しきった眼差しで睨みつけられるだけなので、決して言わない。
ただ、手招きされるままに隣に座る。僕の座高だと屋上にペッタリと尻を落とさないと覗き込めない。
「このシャッター、動かせるか?」
「え、壊れたりしません?」
「普通はバネやオモリが付いていて、ファンが回ると自動的に開閉する。今こいつは閉じた状態だが、本来換気システムが動いている時には吸気も排気も開いてないといけない」
「確かに。これじゃ風が抜けません」
僕は板を一枚つまみ、反対側と同じように、縦にねじろうとした。
「あれ、固い」
両手で数枚まとめてねじるとようやく動いたが、同時に、かすかにきしむようなかん高い音が響いた。
「手を離せ!」
急に眉を吊り上げた先輩に命じられて慌てて手を離す。シャッターは耳障りな音を立てながらひどくゆっくりと閉じた。
「ふむ、開いたままになるには風量が足らないか。後は、なぜ今日は……」
先輩は急に黙り込み、スマホをいじり始める。放置された僕はおしりのホコリをはたきながらよっこらしょと立ち上がる。どこかに反響して尻を叩く音が妙に響く。
「おお、どこかの寺にこういうのあったな」
パンパンと拍手をして響きを確かめ、相変わらずスマホに夢中の先輩を置いてそばに設置されている風力発電機を見に行く。
確か〝サボニウス型〟とかいうやつだ。プロペラ式の発電機より効率は落ちるが、羽根に鳥が衝突する事故が起きにくいのがいいらしい。
今日はあいにく分厚い曇り空で風も弱く、風車は時々思い出したようにわずかに動いては止まる、を繰り返していた。
「おい、君!」
手持ち無沙汰で何気なく風車にカメラを向けていた僕は、急に呼ばれて慌てて振り返った。
「今日はダメだ。帰るぞ」
「は?」
先輩はそれ以上何の説明もなしにくるりと背を向けると、先に立ってさっさと歩き始めた。
「何やっている? 置いていくぞ」
彼女の行動は気まぐれで予測が難しい。恐らくまた何か、気に入らないことでもあったのだろうな。
僕はそう自分を納得させると、慌てて彼女の後を追った。
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