5月25日
僕らが屋上に登った日の深夜から雨が振りはじめた。ジメジメと蒸し暑い不快な天気が数日続き、同時に優里先輩からの連絡はぱったり途絶えた。
ちょうど中間考査の日程に重なり、僕自身試験勉強で手一杯だったこともあり、僕自身は連絡がないことを特に不思議にも思わなかった。
だが、試験終了直後に飛んできたLAIMのメッセージはずいぶんご立腹の様子だった。
『例の件、説明をするから今すぐ音楽室に来たまえ。君に麻子を紹介したおせっかいも同行させること。顔が見てみたい』
その直後にプンプン怒っているウサギのスタンプが送られてくる。
なぜ怒っているのかが全然判らない。
『了解しました。ところで、なぜ怒っているんですか?』
だが、返事は戻ってこなかった。返す気にもならないという所だろうか? 仕方ない。僕はため息をついて立ち上がる。
「なあ、延田」
試験の感想をキャアキャア言い合っているクラス内の陽キャグループに近寄ると、一瞬その場が沈黙に包まれ、周りの女子が露骨に身構えて変な目で睨まれた。
僕は日々ファッションやアイドルの話題で賑やかな彼女たちとも、趣味繋がりでそれなりに楽しそうなオタクグループとも距離を置いている。生徒会や部活連からはなかなか便利なヤツとして認識されているが、ほとんど誰とも絡まないのでクラス内ではほとんど空気の扱いだ。そんな空気がグループの中心人物である延田に馴れ馴れしく声をかけたのが気にいらなかったのだろう。
だが、延田はいつもの調子であっさり答える。
「あー、四持、何か用?」
その様子に取り巻きたちが一様に驚いた様子を見せる。
「今からちょっと顔を貸して欲しい。音楽室まで」
「あー、いいよ」
「マリア、ちょっと!」
軽く同意した彼女に
「すぐ行く? 準備するから待って」
「えー、マリア、カラオケは?」
「あー、そんなに時間はかかんないっしょ。あんたたち先に行ってて」
延田はひらひらと手を振ると、鞄を抱えて人垣を抜けてきた。
「あまりからかうなよ」
「え、どっちを?」
あっけにとられて無言で見送る取り巻きたちがかわいそうになって小声で諫めるが、彼女は笑って気にする様子もない。
「私が誰とつるもうと私の自由っしょ。で、音楽室ってことは例の件?」
「ああ、ちょっと変わった先輩がいて、謎解きをしてくれるらしい」
「へえ、女?」
「知らないか? 比楽坂先輩、二年生」
延田は名前を聞いて一瞬目を丸くすると、次の瞬間ニヤリと不敵に笑い、無言で腕を絡めてくる。
「何やってんだ? からかうなよ」
「依頼人はあーしだよ。ちゃんとエスコートしてくれないと」
「やだよ。離せ!」
訳がわからない。僕は慌てて彼女を引き剥がすが、彼女は再びまとわりついてくる。
「暑苦しい。離せ」
だが、なぜか音楽室の前で僕らを待っていた優里先輩は、そんな僕らの様子を見た途端に顔を引きつらせた。
「ふーん、ずいぶんと見せつけてくれるじゃないか」
まとわりつく延田をどうにか引き剥がしたところで、仁王立ちした優里先輩に冷たく皮肉られた。その表情はまるで氷のようで、先輩の周りに一瞬猛吹雪の幻影が見えたほどだ。
先輩の隣に立っていた見知らぬ女生徒がオロオロとしきりになだめているが、まったく効果がない。腕組みをしてひたすら無言で僕を睨みつけてくる。
「あー、麻子だ、ヤッホー」
ところが、そんな事態を引き起こした本人はのんきな口調でくだんの女生徒に呼びかけた。どうやらこの女生徒が女の泣き声を聞いたという〝麻子〟先輩らしい。
「ヤッホーじゃないわよ、何じゃれ合ってんの!?」
麻子先輩にたしなめられても延田はのんきな態度を崩さない。
「えー、別にいいっしょ。四持はあーしのツレだし」
「それは、付き合っているという意味なのかっ?」
「えー、ただのクラスメイト。でも、そんなこと先輩に関係なくないっすかー」
「延田! いいからこれ以上先輩を煽るなって!」
いつもの愛想の良さとは真逆の好戦的な態度に違和感を感じつつ、それでもどうにか延田を抑える。優里先輩はその間ずっと腕組みをしたまま冷たい表情を崩さなかったが、会話が途切れたところで僕に向かって小さくあごをしゃくった。
「開けて」
「え……またですか?」
それでもこの中では唯一の男だ。イヤだとは言えない。
進み出て取っ手を思い切り引く。妙に重い手応えも、バシュッとイヤな音をたてるところも相変わらずだった。
「来たまえ。中で話す」
「えー、やっぱりやめようよぅ」
途端に麻子先輩が怖じ気づくが、先輩は「絶対に大丈夫、それをこれから証明するんだから」とだけ言って強引に彼女を引っ張り込んだ。
「四持、この前の屋上の写真。みんなにも見せて」
「あ、はい」
僕は首からカメラを下ろし、液晶画面に屋上で撮った写真を表示して先輩に手渡す。カメラは先輩の手から麻子先輩、延田と渡り、再び優里先輩の手に戻る。
「今見てもらったのはちょうどこの上にある……」
言いながら優里先輩は天井を指さす。
「音楽室専用の換気装置だね。だが、どうやら壊れている」
「は? それとお化けの話に一体どんな関係があんの——」
延田が呆れたような声を上げた。が、先輩はフンと鼻息一つでその先を封じる。
「いいから、話は最後まで聞いて」
言いながらカメラをいじり、閉じたままだった海側のシャッターを画面に出して皆に見せる。
「これ、閉じてるだろ。でも、音楽室は防音上窓が開けられない。換気装置は二十四時間常に動いていなくてはいけないし、風を通すためにこれは本来開いてないとおかしい」
「つまり、どういうことなの? 優里」
話の流れがが全然見えず、麻子先輩が困惑気味に僕と先輩の顔を見る。
「あーしもよくわかんない〜」
延田は相変わらずだ。
「だからっ!」
先輩は自分の説明が理解されないもどかしさにむっとすると、まっすぐ僕を指さした。
「もう! 君が説明したまえ!」
「え! 僕?」
「ああ。君は私と同じだけの手がかりを見てきたんだ。判らない方がおかしいだろう?」
「ええっ、そんな!」
いきなり無茶振りされて本気で頭を抱える。
その時だった。
どこか遠くでかん高い悲鳴のような音が長く響いた。
まるでそれが合図だったかのように、室内の気配がはっきり変わったのを感じた。室温すらもすっと下がったみたいだった。
「ヒッ! で、出た! ゆ、ゆ、優里、マリア〜!!」
麻子先輩は悲鳴をあげて真っ青な顔で二人にしがみついた。
謎の声はやがて「ウゥ、ウゥゥ」という周期的な嗚咽に変わり、麻子はますます目をギュッと閉じてその場にうずくまる。
だが、優里先輩は麻子先輩の肩を抱いたまま、じっと僕を見て目をそらさなかった。
「……ええと」
苦し紛れに窓の外に目をやった僕は、そういえば最初にこの部屋で先輩に会ったときも夕日が差し込んでいたことを思い出した。
「もしかして、今日まで説明の間を開けたのは、天気に関係がありますか?」
先輩はかすかに目を見開くと、すぐに小さく頷いた。
「だとすると、西日か……もしかしてあの動きの渋いシャッター、西日が当たるとちゃんと開いたり?」
「そうだ。雨よけのカバーとシャッターは材質が違っていた。熱による膨張率も違う。だから日光の熱で緩んだんだ。あの悲鳴のような音はなんのことはない、シャッターがきしんで――」
「あーし、トイレ」
延田が突然宣言すると立ち上がった。そのまま話の途中にも関わらずとっとと出口に向かって歩きだす。
「おい、延田、まだ話は終わって――」
僕はたしなめようと駆け寄るが、彼女は扉の取っ手に手をかけてあっさり押し開いた。扉は何の抵抗もなくするりと開き、扉の向こうに消えた延田は首だけ出して小声で僕を呼ぶ。
「何だ?」
延田は僕の耳に顔を寄せ、ささやくように続ける。
「四持が誰と関わろうとあんたの勝手だけど、あの先輩には気をつけなよ」
「え?」
「前にあーしのツレがあの女に彼氏を取られたって話してたことがあるんだ。じゃ、チャオ!」
彼女はそれだけ言い残すと、右手をひらひらと振ってそのまま姿を消した。
「どうした?何だったんだ?」
ピアノのそばに戻ると、相変わらず麻子先輩にぶら下がられたままの先輩が、困惑顔で僕に問うた。
「いえ、友達とカラオケの約束があるからって……」
さっき聞いた警告には触れず、僕は曖昧に言葉を濁した。
「そ、それよりも優里、こ、この声はどう説明するの?」
室内には相変わらず嗚咽のようなうめき声が聞こえ続けていた。
「それに、私、悲鳴と同時に間違いなく人の気配を感じたんだよ」
「それも簡単に説明できる。吸気ダクトのシャッターが開いて部屋の陰圧が解消されたんだ。室内の空気が大きく動いて、それを気配と勘違いしただけさ」
「えぇ、でも」
「大丈夫。この世のすべての事象は、すべて科学的に説明できる。屋上に行こう。そこに答えがある」
先輩はきっぱりとそう言い、麻子先輩の手を引いて扉に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます