5月25日 −2−
屋上の様子は数日前とほとんど変化がなかった。唯一違っていたのは、あの日はほとんど回っていなかった風力発電機が勢いよく回転していたことだ。
「この場所……」
優里先輩は風車のそばまで近づくと、まるで神社の礼拝のように両手を強く打ち合わせた。
パンと響いた柏手は、周りの機器や壁に跳ね返り不思議な残響が長く残った。
「昔のお寺とかに良くある〝鳴き龍現象〟ってヤツだね。屋上に風車や太陽電池パネルが設置されて偶然こんな風になったんだよ」
「でも、それと音楽室の鳴き声に何の関係が……」
「ああ、そうか」
僕はようやく全てに納得した。
夕方になり排気装置のダクトに西日が当たると、熱で軸が緩み、さび付いたシャッターが開く。きしみ音はダクトを通じて音楽室に伝わり、女性の悲鳴に似た音を響かせる。
そしてあの周期的なうめき声だ。優里先輩の背後で勢いよく回転を続ける風車はブンブンという低い回転音をたてる。音は鳴き龍現象で複雑に響き、これまたダクトを通じて音楽室に届くのだ。
「つまり、よく晴れた、風の強い日にしかこの現象は起きないんですね」
「ああ、恐らく送風側のファンが壊れて回らなくなっているんだよ。そのせいで音楽室の中は空気が一方的に吸い出されて気圧が下がる。扉が重くて中々開かないのは内側から空気に引っ張られているからだ」
「えー、でもでも私」
「麻子が感じた気配というのは、シャッターが開いて空気がどっと流れ込んだときに室内の空気が動いたせいだ。それに、シャッターのきしみもファンの唸りも本当なら聞こえないほどかすかなものだ。防音構造の音楽室じゃなかったら、恐らく誰も気付かなかっただろうな」
優里先輩の説明を受けて、麻子先輩はようやくホッとしたように肩をなで下ろす。
「じゃあ、幽霊はいないのね。機械の調子が悪くてそんな音や気配が出ただけなのね」
「ああ、安心しろ。お化けなんてものは存在しない」
「よかった!」
麻子先輩はようやく笑顔を見せた。
「だったら、練習を再開しないと。ここ数日ずいぶんサボっちゃったから」
そう言い残すと、彼女はペコペコ頭を下げながら走り去っていった。恐らく音楽室に戻ってピアノを弾くのだろう。
◆◆
「判ってしまうとずいぶん単純な話でしたね」
僕は、優里先輩に渡されたスプレー式の潤滑剤を動きの渋いシャッター軸にたっぷり吹き付けながらしみじみと言った。
「いや、そうでもない。特定の条件がいくつも重ならないと起きない怪奇現象なんてなかなかないぞ。でもまあ……」
先輩は両手を頭の上で組み合わせ、大きく伸びをしながら続けた。
「今回は誰も不幸にならなくて良かったよ」
そのつぶやきには、いつも超然とした先輩には似つかわしくない感情があふれていた。
口元をわずかにほころばせ、換気装置からかすかに聞こえるピアノの演奏に耳を傾けている先輩に、僕は思いきって訊ねてみることにした。
「先輩、〝今回は〟って言いましたけど、いつもこんなことを?」
「こんなこと?」
「ええ、謎解きというか、人助けというか……」
「まさか! そんなにヒマじゃないぞ。今回の件はたまたま好奇心が湧いただけだ。ボクは常に実利実益しか求めないクールな人間だよ」
「あー、そうですか」
傲慢な口調や悪ぶった態度に隠され、それでも時折のぞく人の良さ。
怯えて震える麻子先輩を安心させるようになぐさめていた優しげな表情。
この人の本質はきっとそっちなんだろうな、と思う。
「そ、そんなことより、君こそどうなんだ!?」
案の定、憤慨した優里先輩が仕返しのように突っ込んできた。
「え、僕はこの前言ったとおりですよ。写真部復活のためなら生徒会の下働きだろうが、パパラッチだろうが何だってしますよ」
その瞬間、彼女はニヤリと舌なめずりをした。
「何でも、と言ったな」
彼女はにっこり笑うと、ぐいと身を乗り出した。
「聞いたぞ。後で取り消したりするなよ」
夕闇の迫る屋上に風が吹き抜け、優里先輩の髪をなびかせた。
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